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第14回

パスポートを奪われた安田純平さんのストーリー

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「移動の自由が重要なのは、経験の機会を増やすから」

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 冬の終わりを境に、世界は一変した。

 ウイルスの拡大を防ぐために「行きたいところに行けない」も必要だという時代が始まった。各国は入国制限を始め、航空会社は相次いでフライトをキャンセルした。移動はどんどん困難になっていった。

 ジャーナリストの安田純平さんに話を聞いたのは、世界が切り替わる寸前の、まだ「人はどこにでも行ける」と思えた時代だった。

 安田さんは2019年に国からパスポートの発給拒否処分を受け、その処分の取り消しとパスポートの発給を求めて訴訟を起こしている。

 なぜ安田さんはパスポートの発給を拒否されたのだろうか。なぜ安田さんは、「過去にあんなことがあったのだからパスポートをもらえなくてもいい」と言われたのだろうか。

パスポートがないと、190か国以上に行けなくなる

 安田純平さんは、新聞記者を経てフリーになり、紛争地域や被災地を取材してきたジャーナリストだ。「戦場だけでなく、その周りの難民の人たちも含めて、現地の様子やそこでの暮らしを伝えたい」と、アフガニスタンやイラクをはじめとする紛争地に赴き、取材内容を発表しつづけてきた。

 安田さんは2015年、取材のために入ったシリアで武装勢力に拘束され、2018年、3年4カ月の拘束ののちに解放されてトルコ経由で帰国した。

 拘束中にパスポートを取り上げられていた安田さんは、帰国からしばらく経った2019年1月、インドやヨーロッパ各国への家族旅行を計画して、パスポートの発給を申請した。

 ところがそれから半年後の7月に届いたのは、「トルコ共和国から5年間の入国禁止措置を受けている」という理由でパスポートの発給自体を拒否する外務大臣の通知書だった。

 パスポートとは身分証明書であり、国境を越える移動に必要なものだ。外務省のホームページには「パスポート(旅券)は生命の次に大切なもの!」と太字で書かれている。

 世界は広く、国連加盟国だけでも190以上、日本人が行ける国もまた190以上にのぼる。パスポートがないということは、国籍を証明する身分証をうしなうだけでなく、このすべてに行けなくなることを意味する。

 「この訴訟に名前を付けるとしたら、『移動の自由』訴訟だと思います」

 話を聞くために訪ねた弁護士事務所では、安田さんの訴訟を担当する弁護団が会議を開いていた。弁護団の一人が手を挙げていう。

 「パスポートを持つことで得られる『国境を越えた移動の自由』は、憲法22条(居住移転・職業選択の自由、外国への移住・国籍離脱の自由)や、憲法13条(自己決定権)で保障された基本的人権。そんな重要な権利が侵害されていることが最大の問題です」

発給拒否の根拠は、旅券法という古い法律

 「それもあるけれど、『旅券法という古い法律を濫用して、国が個人のパスポートを奪えてしまうこと』も問題視したほうがいいと思う」、会議の席でほかの弁護士がいう。

 安田さんに対するパスポート発給拒否処分は、旅券法13条1項1号にもとづいて行われた。「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」にパスポート発給を拒否できる、というのがこの1号の規定だ。

 「1か国でも入国禁止措置を取られた人からパスポート自体を取り上げ、そのほかの190以上の国に行けないようにする。こうした運用が、旅券法の条項を使ってできてしまう」安田さんと弁護団は問題意識を話す。

 「しかもトルコ入国禁止の通知は私には届いていないので、本当にトルコが私に対して入国禁止措置を取っているかも分からない」と安田さんが付け加える。

 パスポートの発給などを定める「旅券法」は、1951年にできた古い法律だ。当時は、パスポートの95%が「予定された渡航先を1往復して帰国したら効力を失う」というシングル旅券だった時代。

 ひとつのパスポートで世界中どこへでも何度も往復できる今の時代に、当時の様子はなかなか想像しにくいが、13条1項1号が制定された目的は「渡航先に入れないことで本人のお金と時間が無駄になる事態を避けるため」という趣旨の国会記録が残っている。

 安田さんは、「そもそも本当にトルコが入国禁止措置をとっているか明らかでないので、旅券法13条1項1号は適用できない」し、「旅券法13条1項1号自体が、憲法で保障された移動の自由を侵害する法律であり、憲法違反のものだ」として、発給拒否処分の取り消しと、パスポートの発給を求め、国(外務大臣)を訴えている。

安田さんにパスポートを出さない本当の理由は

 「手塚治虫の作品『アドルフに告ぐ』に、大戦前夜、日本に住むユダヤ人が国外でパスポートをスられて身分を証明できなくなり、ナチス政権下のドイツに送られるシーンがあります」

 弁護団の会議がひと段落した後、安田さんはゆっくりと話を始める。

 「パスポートは移動のためにも、国籍を証明するためにも必要な書類。紛失したら、怖くて仕方ないですよね」

 「アドルフに告ぐ」のエピソードは、「命の次に大切な」パスポートがなく国籍を証明できないことが、命を危険にさらす例だが、これを昔のことと笑ってばかりはいられない。ウイルスに侵された世界で、国籍を証明できない人はどんな扱いを受けるだろうかと思いをはせる。

 「パスポートは本来、機械的に発給するもの、」安田さんは一息置いて、「のはずです」と続ける。

 「そのときの政府が『この人にはパスポートを出す』、『この人には出さない』と恣意的に決められるようになったらどうなるか。その人の価値観や思想信条によって、政府が人を自国に閉じ込め、国籍を証明できる人とできない人を決められるようになってしまいます」

 「今回のパスポート発給拒否処分はどうか。これは事実上、私の過去を理由として、恣意的に行われている可能性があります」と安田さんはいう。

 法律上、国がパスポートの発給を制限できるケースは、7つの条項に分かれる。その中の13条1項7号は「外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」を発給制限の対象とする。

 「今回の発給拒否処分は、外見上は、1号でいう『入国禁止措置』がトルコでされているから、ということを理由にしています。しかしその実質は、7号という異なる条項の『日本国の利益又は公安を害する』者に私が該当するとして、超法規的に判断されている可能性がある。私の過去が理由でしょう」

「社会の目」と処分がリンクしているのではないか

 背景には、安田さんが過去にシリアで拘束され、解放されたことを「社会に迷惑をかけた」として今も問題視する言論があるのではないかと安田さんは指摘する。

 2000年代から、紛争地で日本人が拘束されるたびに「危険な場所に行く責任は本人がとるべき(であり、社会や国家は責任を負わない)」という「自己責任論」がメディアに出てきた。

 安田さんがシリアで拘束されたときにも、「紛争地域に行った方が悪く、社会に『迷惑』をかけている」という批判があった。

 それから3年4か月を経て安田さんが解放されたときにも、安田さんを労う論調は少なかった。

 メディアで目にしたのは、「安田さんは『自己責任』で行くべき場所(つまり行くべきではなかった場所)で拘束され、その後解放に至るまでの一連の出来事で、社会を騒がせ、政府と国民に『迷惑』をかけた」という批判だった。バッシングも多く見かけた。

 今も、安田さんは壮絶なバッシングを受ける。

 「私は今でも『税金を返せ』と、毎日のように言われています。匿名メールは今も来る。SNSには自殺しろとか、死ねとか、Twitterが凍結するひどい内容の書き込みもされる」

 「外国に行かないで日本にいればいいという人もいるけど、家族の顔も知られているし、日本では気が休まらない。心配せずに家族と一緒にいられる場所を求めて日本を出ようとしても、それさえ許されない」

 「シリアで拘束され、解放されたことが『社会に迷惑をかけたこと』であり、7号の『日本国の利益又は公安を害する行為』だというのならば、何をもって『迷惑』か、何をもって『日本国の利益又は公安を害する行為』に当たるかを明らかにしないといけない。しかしその線引きは非常にあいまいです」

 「線引きのルールもなく、『迷惑』にあたる行為を恣意的に判断できるのならば、私以外にも、目立った行動をテレビなどのメディアが取り上げれば、簡単に『世間の迷惑』が作られてしまう」

(2021年10月08日) CALL4より転載

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