漫画家・浅見理都が刑事弁護人に聞くザイヤのオオカミ

第3回 久保有希子弁護士に聞く(1)

常に謙虚であり続ける

どんな話でも決めつけず、受け止める


弁護士になった決め手

 弁護士になるときに、検察官も選択肢に入りましたか。

 入りました。修習のとき、本当にギリギリまで悩んでいました。

 裁判官も?

 裁判官も考えました。検察修習を受けるときは検察官になるつもりで「頑張ろう」と思っていましたし、裁判修習のときは「裁判官になろう」と思っていました。もちろん弁護修習も同様です。実際、教官や指導担当の方々の話を聞いていると、それぞれやりがいがあって面白そうでした。

 指導をして下さった方々にも本当にお世話になって、実務修習が終わった段階でも、まだ進路を決めていませんでした。優柔不断なのかもしれません。

 そういうなかで、弁護士になった決め手は?

 いくつかありますが、正直なところ「転勤はできれば避けたい」というのがありました(弁護士には転勤がありませんから)。また「自分の考えとか力でいろいろ調べたり、能動的に動けるのは弁護士かな」という気がしました。

 裁判官は与えられた材料の中で判断せざるを得ないので、実際は「イチケイのカラス」のようにはなかなかいきません。自分で何か調べに行ったりするのには限界があって、自分の性格に合わないような気がしました。「自分の体を動かして、足を動かして調べたり、人に会って話をするほうが自分の性格には合っているな」と思ったのは大きいです。

 検察官は自分の足でということはありますが、警察に指示を出すことが中心になりますし、組織としていろいろなことを考えなければならない。そういうこともあって「検察官は自由度が少ないのかもしれない」と思ったので、「自由にいろいろなことができるのは弁護士だ」と思いました。

 後悔はありませんか。

 ありません。今では「こっちが自分には本当に合っていたな」と思います。

刑事弁護で大切にしたい点

 刑事事件をやるうえで、ここは大切にしておこうと思う点はありますか。

 そうですね。いろいろありますが、謙虚でないといけないということが、私の中では一番大きい気がします。自分の考えていることが常に正しいという考え方だと、どこかで慢心してしまい、見るべきものが見えなくなると思っています。

 自分の考えていることが他の人──裁判員とか裁判官から見て共感してもらえるのか。弁護士も長くやっていると勉強がおろそかになりやすいので、自分の知識だったり、やっていることについて常に検証し、正すべきところは正さないといけません。また、他の人のアドバイスも聞くべきときは聞くようにしないといけないと思っています。

 謙虚でいることは、どの職種でも大事だと感じますね。他の弁護士と情報交換をしたりしますか。

 刑事弁護のコミュニティーは狭いので、事件について悩んでいることがあれば、気軽に先輩や後輩に相談することはあります。

 今まで刑事事件をやってきて、「こんなことあるんだ」と驚いたことはありますか。

 覚せい剤の密輸事件でのことですが、覚せい剤の隠し方があまりにも巧妙で、しかも事件ごとに全然違ったりするので、「こんな隠し方ができるんだ」と驚くことはあります。

 また、依頼者(被疑者・被告人)から話を聞いたときに「えっ!?」って思うようなこともあります。実際にあとで証拠を見ると、本当にそのとおりでビックリするようなことが裏付けられたりすること、ありますね。

 へぇー。

 そういうことがあると、自分の見方だけで依頼者の話がおかしいと判断してはいけないと思います。依頼者が変な主張をしているのではないかと思ったときに、「それはおかしいよ」って一蹴する人もいるとは思います。

 でも、これは謙虚さにもつながりますが、いったん依頼者の話を受け止めて、そういうことがあり得るのか。あるいは、それに沿うような証拠はないのか。そういうことを考えなければいけないと思っています。

 なるほど。依頼者から話を聞いていて「嘘だ」と思ったけど、実際に調べたら本当だったこともあると思います。逆に調べたらやっぱり嘘だったとか、自分に都合のいいことしか言ってなかったとかありますか。そういうときは心が折れたりしませんか。

 それはないですね。相手も人間なので、そういう場で自分に有利な方向に話をするのは、誰でもあると思っています。話を聞いているときは、前提として「これは絶対に嘘だ」と決めつけないようにしています。

 私は神様ではないので、神の目で物事を見ることができません。どんな話でも受け止めて、怪しいところがあったとしても「そうかそうか」と話を聞く。疑問に思ったことはぶつけつつ、それでも依頼者が自分の主張を続ける場合は、あとで証拠を見ながら、それを検討することになります。

 これはよくあることで、実際に証拠を見たら「あぁ、違ったな」と思うことはあるし、疑問に思ったとおり、話が違ったなと思うこともあります。しかし、それは裏切られたというよりは、それを踏まえて「裁判をどうしようか、ちゃんと考えよう」と話をするだけです。そもそも徹底的にだまされるようなことはないので、「そうかそうか」と思いながら話を聞いているだけです。

 私だったら、そこでガックリしてしまうかもしれません。徹底的に騙されるようなことはないというのも印象深いです。久保先生は新人時代からそうでしたか。その余裕はどこから出てくるのでしょうか。

 依頼者に裏切られたと感じたことは、多分ないと思います。話を聞いている段階で、ある程度「話が本当であれば、こういう証拠があるはずだ」と想定できるので、真実かどうかはあとで証拠を見ればいい。そう思いながら話を聞いていることはあります。

 なるほど。「証拠」という拠り所があるんですね。依頼者に寄り添いつつも、軸はブレないところがプロだなと感じました。

(つづく)

(2021年06月21日公開) 


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