漫画家・浅見理都が刑事弁護人に聞くザイヤのオオカミ

第4回 髙橋宗吾弁護士に聞く(2)

先輩から受け継ぎ、若手が変えていく刑事弁護

地域や世代の差を無くし、いろいろな人を巻き込む


違うものを「違う」と言う

 「この人、天才だな」って思う瞬間はありますか。

 あります。どうやったって敵わない。

 最近、ラクになってきたのは、この人の真似はできないと思える人が何人かいて、割り切れるようになったからかもしれません。圧倒的な研究熱心さで、論客として切れ味鋭い人もいるし、法廷でのパフォーマンス、その場でのひらめきが圧倒的な人もいます。

 一般人から見ていると、そういう天才的な部分はわかりづらいですね。私は今村(核)先生のNHKのドキュメンタリーを何回も見ましたが、あの人は一見大雑把でありながら、科学的に細かく証明していくのがすごいなと思いました。

 そういう感じで、高野先生をはじめ、「この人、天才だな」って思う部分があるということですよね。

 天才というのが正しいかどうかはわかりませんが、すごいなと思う部分のある先生は、これまでにすごく多くのものを積み上げてきているなと感じています。

 高野先生に関して言えば、刑事弁護をずっとやり続けること自体もそうですし、自分が思う正解とずれている今の実務全部と戦えるというか、妥協がありません。それは手当たり次第に戦うという意味ではなく、自分の中にしっかりした軸と理想があって、それとずれるものについては『違う』とはっきり言えるのがすごいなと思います。

 僕はどちらかというと、目の前の事象を落ち着けるためにバランスをとりたくなってしまうタイプだから、そこが一番弱いところです。「この件に関して言えば、ここは裁判官を怒らせずに、いったん引っ込めておくか」みたいな、「その方がこの事件にとってはいいんじゃないか」という判断もしがちです。

 一番弱いところとおっしゃいましたが、そこができるのはとても強みに思います。

刑弁にすべてを捧げるべきか

 法廷での被告人質問でも何でもいいのですが、刑事弁護の一連の手続の流れの中で、一番やりがいを感じるところはどこですか。

 最終弁論だと思います。一番、プレゼンテーションの醍醐味というか、裁判員との対話みたいなものを感じる場面です。プレゼンに苦手意識があまりないというのもあると思いますが、やはり裁判の最後の場面ですし、力が入ります。特に裁判員裁判などでは、連日の法廷の最後の場面になるので、ランナーズハイみたいな状態になっているということもあるような気がします。

 一方、尋問で鋭く切り込んでいくとか、そういうことが特にうまい弁護士かと言われると、あまり自信はありません。冒陳や弁論のプレゼンテーションは、他の人と比べられてもある程度自信はありますが、やはりその場勝負の側面が大きい尋問は難しいなと常々思っています。

 以前、坂根(真也)先生にインタビューしたときは、尋問のやりとりを考えているときが一番やりがいを感じて、よく電車を乗り過ごすというエピソードを伺いました。

 常に尋問メモをポケットに入れているという話を聞いたこともあります。坂根先生が365日尋問のことを考えているとか、うちの趙さんもそういうことをよく言います。

 そうなんですか。

 「とりあえず形から真似しよう」みたいなことは思っていて、僕も最近は直近の尋問のメモを印刷した状態で常にかばんに入れておいて、お風呂などでも尋問のシミュレーションをして、なんてことをしています。電車を乗り過ごすことはあまりないので、坂根先生ほど人生を捧げきれていないのは間違いないですが……。

 何かお話を聞いていると、刑弁にすべてを捧げないとダメみたいな印象がありますが、そういうのはやっぱりありますか。

 そういう雰囲気はあるかもしれません。刑事事件を年に1〜2件しかやらない弁護士から見たら、私もそういう雰囲気を醸し出しているように見えるかもしれません。

 ただ、私は、それが必ずしも絶対に必要なことだと思わなくてもいいと、今は思っています。刑事しかやらない弁護士を求める依頼者も、そうでない依頼者もいると思っているからです。

 刑事弁護の場面でも、刑事事件と関係ないことをいろいろ知っていて、バランス感覚のある弁護をできる弁護士にも、需要があると思っています。刑事弁護からちょっと離れた知見のある人のほうが、いいアイデアが出るというケースもあるでしょうし。

 そういう意味では、刑事弁護ももっと多くの弁護士がやりやすい雰囲気があってもいいと思います。手を抜くとか、必要な活動をしないとか、それはもちろん問題ですが、これからもっと弁護士の情報が一般の人にもいきわたって、依頼者が自分で弁護士を選べるようになれば、自然と弁護のクオリティは上がっていくんじゃないかと思っています。

 確かに。結構、大御所の先生は、100%振り切ってなんぼみたいな感じの人が多いなという勝手な印象がありますけど……。

 そうできている先輩たちが、今日までの刑事弁護を担ってきてくれたという部分はあると思います。東京の神山(啓史)先生、大阪の後藤(貞人)先生など、みなさんほぼ刑事弁護しかやっていないようです。高野先生が実は民事事件などもたくさんやっているというのは、たまたま近くで見て知っていますが。

 私は、刑事弁護がそういう人しかできない分野なんだというふうにはしたくありません。個人的には、そういうのに憧れるので、何か矛盾を感じたりはしますが。

 へぇー。でも、言われてみると、そういうことは漫画家の世界にもありますね。

 そうですよね、絶対……。

 私が言われたことの一つに、「結婚したら、面白い漫画は書けない」があります。担当編集者からではないのですが……。

 でも、本当にそういう職人的な業界もあるじゃないですか。あながち否定できないところが、またつらいところです。

 刑事弁護もそうですが、結婚して子どもが生まれると、できる事件の数が減るという感覚は、確かにあります。まず素朴に家にいる時間を長くしたくなってしまうから、今の身体拘束が長引く日本の司法の中で、刑事事件をたくさん受任するのは厳しくなります。

 そうなんですね。なんか、そのあたりの話、似てるなと思いました。

 結婚することが漫画に活きるかもしれないし、それは刑事弁護でも一緒かなと。家族内で起きた事件をやるなら、自分に家族がいるからこそ理解できる部分は出てくると思っています。

 それで幅が広がる人もいますしね。

 そう思います。刑事弁護も、我々が主張していることが裁判官や裁判員に受け入れられないといけないし、そもそも扱う事件は一般社会で起きている事件です。弁護士も裁判官も、本当は社会経験が直接活きる仕事なんだと思います。

(つづく)

(2021年08月30日公開) 


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