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2019.02.08

久松 英二 × 石塚 伸一 対談「宗教学の観点から考える日本の司法政策への新たなアプローチ」【犯罪学研究センター】

世界と日本における宗教観から司法政策を検討

今や世界のスタンダードとなった死刑廃止論。一方、日本では死刑存置派が多数を占めると言われます。世界の宗教に精通する世界仏教文化研究センターのセンター長 久松教授を招き、世界と日本における宗教観の違いから談論していただきました。


久松 英二(Eiji Hisamatsu)本学国際学部教授、世界仏教文化研究センター センター長

久松 英二(Eiji Hisamatsu)
本学国際学部教授、世界仏教文化研究センター センター長


久松 英二(Eiji Hisamatsu)
本学国際学部教授、世界仏教文化研究センター センター長


専門は東方教会神秘主義思想、比較宗教思想。ウィーン大学で博士号(神学)を取得。カトリックの修道生活を送った経歴を持つ。


石塚 伸一(Shinichi Ishizuka)
本学法学部教授、犯罪学研究センター センター長・「治療法学」「法教育・法情報」ユニット長

犯罪学研究センターのセンター長を務めるほか、物質依存、暴力依存からの回復を望む人がゆるやかに繋がるネットワーク「“えんたく”(アディクション円卓会議)プロジェクト」のリーダーも務める。犯罪研究や支援・立ち直りに関するプロジェクトに日々奔走。専門は刑事学。


石塚 伸一(Shinichi Ishizuka)本学法学部教授、犯罪学研究センター センター長

石塚 伸一(Shinichi Ishizuka)
本学法学部教授、犯罪学研究センター センター長



――宗教学の知見から、日本の刑事司法の現状についてどのような考えをお持ちですか。

久松:
今の日本の法律学・刑事司法政策は、近代の西洋文化から輸入したものと言えます。西洋の考えはキリスト教やイスラム教、ユダヤ教など、旧約聖書から始まった一神教の教えに基づいているため、日本人の感覚には合わない部分があるのではないかと感じます。

石塚:
現状としては西洋の考えがスタンダードになっていますよね。人間の個を尊重する点でも広く受け入れられています。特に死刑のあり方については、2018年にローマ法王・フランシスコ氏が否定的な見解を明確にしたことが大きな話題になりました。

久松:
そうですね。これまでカトリックの教理問答では死刑容認の姿勢でしたが、死刑は廃止すべきだと改訂されました。「人間の命は神のもの。人が手を出していい領域ではない」という解釈です。
一神教は、いわば神と人間の契約関係です。神は救いを与える代わりに、人間は神の命令に従う。そして善悪の判断は神の権限に属します。人間が神のように振る舞うことは根源悪とされます。たとえば殺人罪についても、正当防衛など特殊な場合があり得るので、絶対的根拠に基づく断罪は人間には不可能だとされているんですね。

石塚:
神の権限といえば、遺伝子操作もそうですよね。

久松:
はい。命の始めと終わりは神の領域なので、手を加えることは大きな罪だという認識ですね。キリスト教では、子どもに「あなたの命はあなた自身のものではない」と教えることで、命を大切にする教育ができるんです。キリスト教徒が少ない日本においては、なかなかピンとこない感覚ですよね。

石塚:
そうですね。その点でお話しすると、日本では「子どもの命は親のものだ」という感覚が強いように感じます。親子心中が同情的な目で見られるのが一例でしょうか。

久松
日本での道徳的な観念は神道や仏教に大きく影響を受けています。刑事司法政策を日本人一人ひとりの肌感覚に近付けるには、日本の伝統的な精神を踏まえた上で、世界に対して普遍的に訴えられる内容を再構築していく必要があると考えています。



――世界仏教文化研究センターと犯罪学研究センターの関わりから見えてくる、今後の刑事司法政策の展望はありますか?

久松:
罪をおかした人の社会復帰という観点から見た場合、先ほど申し上げた神道・仏教のうち、神道は新たな展開を阻む要素になる恐れがあると考えます。神道は基本的に、健全な共同体を守ることに重きが置かれている。健全さを阻む存在が「穢れ」であり、日本に死刑存置の支持者が多いのは、まさに「犯罪者=穢れ」を排除しようという考え方があるためです。こういった感覚では、罪をおかした人の社会復帰に議論が結びつきません。

石塚:
確かに、日本人は犯罪を降って湧いた災禍のように捉え、早く忘れようとする傾向があります。残念なことに、犯罪事件だけでなく冤罪事件も同様に風化されがちです。それだと何の未来も生まないんですよね。

久松:
そこで展開を持たせるのが、神道同様に深く根づいている仏教思想、特に浄土真宗の教えではないかと見ています。親鸞聖人の人間観の根本には「宿業因縁(しゅくごういんねん)」があります。人間は誰しも過去世から背負う業に傷つき、もがいているという考え。つまり「罪をおかす人」は、どこかに存在する他者ではなく、業を背負いながら「共に生きる者」とする視点です。

石塚:
犯罪を特定の個人の問題ではなく、人間全体の問題として業を共有する「共業(ぐうごう)」の心ですか。内に持つものは誰もが同じで、縁が巡ってくれば自分にも起こりうる。凶悪犯と呼ばれる人たちの存在を、自分を含む社会が生んでしまった業として引き受けるんですね。

久松:
まさにその通りです。社会全体を自分自身の問題として見る。この視点を提供することが、今後の日本における仏教学の重要な課題であると考えます。と同時に、当センターが犯罪学研究センターとの共同研究に向けて貢献できる点でもあります。

石塚:
罪をおかした人が社会に戻るサポートを、日本独自の宗教観から切り込むというアプローチは新しいですね。本学に世界仏教文化研究センター矯正・保護総合センター、そして犯罪学研究センターが揃っていることは、足掛かりをつかむ大きな強みになると思います。矯正・保護の観点に絡めて仏教の思想が広がれば、より良い刑事司法に繋がる可能性は大きいですね。



――久松先生ご自身の学生時代を振り返りつつ、龍谷大学の学生に応援メッセージを。

久松:
日頃から就職活動や人間関係など、頭を悩ませる問題は多いでしょう。ですが、もっと根源的な部分「自分は何のために生きるのか?」「自分の本当の幸せとは何か?」といった問いに向き合う時間をぜひ持ってほしいです。


私は20歳の時、聖職者になるべく修道院で修練期と呼ばれる期間を送っていました。世俗から離れて修練に専念する中、「生きるとは何か」をじっくり考えた一年間は、人生にとって大変大きな収穫でした。大学生は感受性が豊かな年頃です。今しっかり考えることが、深みのある人生に繋がると思います。

石塚:
根源的な問いですか。難しいテーマですが、そういったことを考える時間が未来を拓くことに繋がるんですね。私自身も、本学での学びや浄土真宗の宗教観を通じて、学生たちにヒントを与えることができればと思います。

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