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KEIBEN ミュージアム 第1回

陪審法廷

日本の弁護士は、1876(明治9)年制定の代言人規則によって免許代言人ができたことにはじまる。戦前、弁護士は司法官僚機構の監督下におかれていた。戦後、日本国憲法施行にともない、1949(昭和24)年に、完全な自治権を認めた新しい弁護士法が制定され、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士が誕生した。本連載では、明治から今日まで、刑事弁護にかかわる司法制度や弁護士の歴史を、写真と文で紹介する(な)。

陪審法廷(京都地方裁判所第15号法廷)

陪審法廷
陪審法廷

2009(平成21)年5月21日、裁判員裁判が始まった。ここに、戦後はじめて司法への市民参加の道が開かれた。
司法への市民参加については、1999(平成11)年に司法制度改革審議会が発足する以前から、市民、研究者、弁護士などの間で、その必要性が話題になっていた。官僚裁判官による裁判、とくに事実認定が市民の感覚からズレており、冤罪が起こる原因の一つで、それを防ぐためには欧米諸国で採用されている陪審裁判や参審裁判を取り入れるべきだとする意見が多数あった。作家の伊佐千尋さんらがはじめた「陪審裁判を考える会」(1982年、発足)、佐伯千仞先生が中心になって創った「陪審制度を復活する会」(1995年、発足)、弁護士会などが積極的に調査・研究活動を進めていたが、司法への市民参加が立法化される道のりは遠いと思われていた。それが、平成の司法制度改革の中で、あれよあれよと言う間に実現したので、驚いたのは私だけではないだろう。
裁判員裁判に関しては、裁判官と裁判員が協働して事実認定を行うので本来の市民参加ではない、裁判員は単なるお飾りにすぎないとの批判がある。事実認定を市民だけで行う陪審裁判が本来の姿だとする意見はいまでも根強くある。
ところで、わが国でも、陪審裁判が1928(昭和3)年から太平洋戦争の激化に伴い停止される1943(昭和18)年まで、15年間にわたって行われていた。このことをはじめて知ったのは、36年前、陪審裁判を考える会に入会した後であった。
陪審員になれる資格が、①帝国臣民で年齢30歳以上の男子、②同一市町村に引き続き2年以上居住、③2年以上連続で国税3円以上納めていること、④読み書きができること、という厳しい条件があった。さらに、陪審の評決(「答申」と呼ばれた)は裁判官を拘束しなかったので、裁判官が答申に納得しない場合は、何度でもやり直しを命ずることができたこと、有罪判決に対して控訴ができないことなど、被告人にとって有利とは言えない制度であった。しかし、停止されるまで全国で460件の陪審裁判が行われ、無罪81件(無罪率17.6%)、有罪378件(82.1%)、公訴棄却1件(0.3%)、という結果がでている。無罪率は、現在の約0.01%と比較すると圧倒的に高い。
ここで紹介する陪審法廷は、京都地方裁判所にあった第15号法廷である。3階建で、1階が法廷、2階以上には評議室、陪審員の宿泊設備が備えられていた。1928(昭和3)年に建てられ、1997(平成9)年に解体されたのち、1998(平成10)年に、立命館大学に移設された。
向かって、正面が裁判官席、その左脇に検事席があり、右側が陪審員席(陪審員の数は12名)、左側に被告人席と弁護人席がある。裁判員と裁判官が一緒に並んでいる現在の裁判員法廷とは大きくかたちが違う。
この陪審法廷は、立命館大学では、法学部や法科大学院の授業などでも使用されるが、一般にも公開されている。
この法廷の傍聴席に座ると、弁護人と検事との間で激しい論戦が繰り広げられ、それに耳を傾ける陪審員の姿が現代に甦ってくるようだ。戦前の陪審裁判の光景を頭に浮かべながら、陪審裁判の実現への思いを強めた。

成澤壽信

●参考資料:
末川記念館松本記念ホール陪審法廷の解説、同ホール備え付けビデオ教材『日本における陪審制——その歴史と意義』(18分)。
『陪審手引』(大日本陪審協会、1931〔(昭和6〕年、復刻版:四宮啓弁護士による解説付、現代人文社、1999年)


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