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第10回村岡啓一弁護士に聞く

刑事弁護人は「在野性」ということを決して忘れてはいけない


1 被疑者・被告人が刑事弁護の主体である

和田 村岡先生は接見の問題に取り組まれてこられました。そして、最大判平11・3・24(民集53巻3号514頁)につながるわけです。接見指定を受けることなく、依頼者と接見できるという今の刑事弁護ができているのはこの判決があるからだと思っています。接見問題に取り組まれるようになったきっかけは何ですか。

村岡 日弁連人権擁護委員会の部会が独立して接見交通権確立実行委員会がつくられたことがスタートです。実行委員会という名前からあきらかなように実践的な部隊でした。各地で閉塞状況にある接見指定制度を国賠訴訟で突破しようという戦略を立てて、各地で訴訟を起こしていきました。

和田 委員会ではどういった議論をされたのですか。

村岡 憲法論ですね。同委員会のメンバーが中心になって憲法論を刑事訴訟法に落として考えました。日本国憲法のベースとなったアメリカ合衆国憲法の考え方を基にして議論をしていくと、弁護人は補佐をするけれども、あくまでも主体は被疑者・被告人だということ、それから黙秘権などが中心になってくるわけです。そこから説き起こす必要があると我々は考えました。接見交通権というのは、憲法34条、37条の「弁護人の援助を受ける権利」の根幹をなすものとして、憲法上の権利であるということをスタートにしたのです。

和田 被疑者・被告人を主体にするべきというお考えのもと口頭弁論をされたわけですね。

村岡 最初の上告理由書では十分に展開されていませんでした。大法廷弁論の期日までの間に、我々は反省したんですよ。「身柄の調整」といった考え方を前提にしていたこと自体、弁護人自身が被疑者・被告人を「弁護の客体」として捉えていたわけです。この誤りに大法廷弁論の前に気づいて大法廷弁論は完全に被疑者主体論でいきました。裁判官も頷いていたので、我々の議論は裁判所に通用したんじゃないか、と考えた人も多くいました。でも、それほど最高裁は甘くはないだろうと、私は負ける予感がありました。

和田 結果的に負けたとはいえ、接見指定が現実的にほぼなくなったのは、この判決の影響ではないかと思っています。この判決後の運用の意義について、どのように評価されていますか。

村岡 接見指定が身柄の調整として合理的ということを言う他方で、検察官は弁護人と協議をした上で適切な時期に会わせなければならないと接見実現義務を検察官に課したことが、実務を変えていく大きな成果だったと思いますね(日本における接見交通権の歴史や理論については、葛野尋之・石田倫識編著『接見交通権の理論と実務』が詳しい)。

2 雇われガンマン? 忠実な執事?

和田 被疑者・被告人の主体性を認めるという発想は刑事弁護をされる上でも意識されてきましたか。

村岡 かつて、わが国の弁護士は数が圧倒的に少なかったし、民間人の中ではやはり権威を持っていた。だから、とりわけ被疑者・被告人という「悪の烙印」を押されている人たちの弁護をするに際し、「俺に任せとけ」という発想が根強くあったと思います。弁護士は当然法律論に通じているわけだし、どうやれば裁判所や検察庁を説得できるかという意味では弁護士は主役だけれど、その説明を抜きにして「すべて俺に任せとけ」という姿勢に対する反発が私にはありました。だから一種のアンチテーゼとして、弁護人なんてそんなに偉いものじゃなくて、所詮は「雇われガンマン」、ハイアード・ガンにすぎないとあえて言ったのです。

和田 「雇われガンマン」という言葉は、ややもすると言いなりになるという意味として捉えられそうですが、決めるのは被疑者・被告人本人で、それを実現するための弁護人ということですよね。

村岡 そうです。ハイアード・ガンというのは、決して褒められた表現ではありません。金さえもらえば何でもやるという悪し様な罵りのニュアンスなんです。しかし、ハイアード・ガン論において重要なことは、最後の意思決定権は本人が持っているということです。弁護人は力をつくして専門家としての知識と方針を提供し、それに従うように説得はするけれども、最終的に本人が決断する。最終的に本人が決断した以上、それに従うのが弁護人であるということです。

和田 弁護活動をするに際し、弁護人として本人をすごく敬っているように私は聞こえます。

村岡 いや、逆ですね。私は自分の意見について徹底的に依頼者と議論します。だから、「なんであんなに依頼者を叱りつけるのですか?」とやりとりを聞いていた両脇の弁護人に言われることがありました。私の考え方は、そこで説得できなければ自分は依頼者に従うしかないのですから、大激論をやるわけですよ。実際、ほとんどの場合には私の主張を最終的には依頼者が受け入れてくれました。

和田 説得に失敗されたことはありますか。

村岡 1件だけ説得に失敗したことがあります。覚醒剤の事件でした。私の依頼者は、覚醒剤の反応は出ているにもかかわらず、覚醒剤ではない別の薬を使ったと言い張るわけです。仕方がないから覚醒剤反応自体からすべて争いました。すると、技官が法廷に来て、日本には輸入されていないけれど、同じピークを示す薬があるということがわかったのです。私は「そんな弁明をしても駄目だよ」と説得をつくして失敗したけれど、たしかに別の薬があったのです。最終的に、彼の弁明は通らなくて、有罪になり執行猶予がついた事件なのですが、その後、その被告人と路上でばったりと会って、「ほらな、弁護士さん、俺の言ったとおりだったろう」と言われました。その言葉を聞いて愕然としましたね。今でもその言葉が耳に残っています。そこで反省したのが、当たり前のことだけど、自分が常に正しいと思っていること自体が非常に危険だということです。

和田 アメリカには、「何が起きたかは関係ない」「あなたが無罪を主張してくれと言うのなら、そう主張するよ」という弁護士がいると聞きます。そういう弁護士についてはどう思われますか。

村岡 プロとして究極的な弁護人とはそういうものかもしれませんね。ただ、日本では受け入れられないんじゃないかな。証明できるか否かで有罪・無罪が決まる立証をめぐるゲームだと徹底して考えられないんじゃないかと思うんですよ。やはりどこかで実体的真実を弁護人も考えている。だから、私は被疑者・被告人と大激論をするわけです。自分なりの事件の真実をどこかで意識しているわけです。徹底してゲームだと考えることができれば、大激論なんてなりませんよ。

和田 何がベストなのかということを説明して、本人に決めてもらうわけですから、激論を交わすこと自体が本人に対する誠意だと思います。

村岡 そのとおりです。だからむしろ、弁護人は「忠実な執事」というふうに言ったほうがいいのかもしれないですね。

3 イギリスで当番弁護士制度に出会う

和田 村岡先生は1988年にイギリスに留学されますが、弁護士何年目のときですか。また、どうして留学をしようと考えたのですか。

村岡 弁護士12年目の頃ですね。弁護士を続けていると、自分の感覚の中で鈍い、冴えていないという「澱」のようなものが知らず知らずのうちに溜まってくるんです。これを感じたのが一番のきっかけです。そこで、自分に2年間有給休暇をやることにして留学を決意しました。で、どこに行こうか考えたときに、せっかく行くなら接見交通権が問題になっていた北アイルランドにしようと考えました。当時、北アイルランドではIRAのテロが多発しており、テロリストと疑われた被疑者は弁護人とも接見できなかったのです。
 北アイルランドの接見交通の問題について研究をしたいと思ってロンドン大学に行くことにしたのですけれど、イギリスから北アイルランドへは危険が大きいので、外国人は渡航できなかったのです。接見交通権の一番ひどい所の対応を見にきたはずなのに調査ができない。そんなときに、たまたま学会で私の前にいたのがロジャー・イード氏でした。彼から「なんで東京から来たんだ」と聞かれたので、「日本ではこういう23日間の身柄拘束があって、弁護人の接見が自由じゃない」「接見交通権について調査に来た」と話したら、いろいろな人を紹介してくれたんです。イード氏は、弁護士だったけど学者に転向したということで、かつて彼のいた事務所を紹介されて、私は当番弁護士制度に出会うわけです。それで当番弁護士を実際に体験したいからとお願いしていました。すると、ある日の夜中に「ケイ、いい事件が入ったぞ、来い」って呼び出しがあって、私自身、少年による住居侵入窃盗事件の当番弁護士の随行者として行くことになり、当番弁護士制度を実際に体験することができました。

和田 帰国後、どういった経緯で当番弁護士制度にかかわることになるのですか。

村岡 日本に帰ってきて接見交通権の委員会に戻ったら、昔の仲間に大歓迎されたんだけど、そのときに「おまえ、当番弁護士、知ってるか」って言われて、「えっ、なんで当番弁護士、知ってんの!?」って私のほうが驚きました。庭山英雄先生がオックスフォードで体験をしてきた当番弁護士制度に関するドキュメンタリーがNHKで放送されたそうなんです(『ドキュメント冤罪──誤判はなくせるのか・英米司法からの報告』〔NHK、1989年5月〕)。で、「当番弁護士制度って知ってる?」と言うから、「知ってるも何も実際にそれやってきたよ」と答えたんです。すると、東京弁護士会の新生・法友全期会10周年記念シンポで、イギリスの当番弁護士の話をしてくれということになったのです。

和田 一大派閥ですね。

村岡 札幌弁護士会会報に書いた「当番弁護士、出動す」という体験記や英国で収集してきた資料を使って話をしました。その報告を終えた後の討論で、「日本で当番弁護士制度をやるのは難しいな」という消極的な議論が出てきたのです。そのときに一番前に座っていた福岡県弁護士会の萬年浩雄弁護士が「だったら福岡がやるばい」とその場で宣言して福岡に戻り、私は九弁連主催の「起訴前弁護に関する九州会議」で当番弁護士制度のシステムと実際を報告することになりました。翌日の西日本新聞の朝刊を見たら、「当番弁護士、福岡県弁護士会で導入」といった1面トップの見出しがあり、本当に驚きました。載っちゃった以上、福岡もやらざるをえないですよね。福岡県弁護士会は当番弁護士制度のうち待機制(ロータ制)を実施することになるわけです。

和田 大分県弁護士会も当番弁護士制度を始めましたよね。それにも村岡先生は関わられていたのでしょうか。

村岡 私が福岡県弁護士会の当番弁護士制度導入のお手伝いをすることになり、福岡にちょくちょく行くようになりました。当時は札幌・福岡間の直行便があまりなくて、東京経由で行くことが多かったんですね。同じ経路で行くのに飽きてきたので、接見交通権委員会の中に大分県弁護士会会長の濱田英敏先生がいたから、「別府温泉経由で福岡に行きたい」とお願いしたら、「お安い御用だ」とおっしゃられて、立派な由緒ある温泉宿をすぐ取ってくれました。それで濱田先生から「九弁連で君が話をしていた当番弁護士制度の名簿制だったらできるかもしれないから、それについてもう少し詳しく話してくれ」という話になり、結局、大分県弁護士会が名簿制(パネル制)で先陣を切ったのです(日本における当番弁護士制度導入の経緯やその成果については、福岡県弁護士会編『当番弁護士は刑事手続を変えた──弁護士たちの挑戦』が詳しい。村岡弁護士も寄稿している)。

和田 報告書の「当番弁護士、出動す」が日弁連の資料として配布され、広がっていったわけですね。

村岡 ただ、私自身、日本ではこの制度は無理だと思っていました。イギリスでは、全国一律にはこだわらず、できるところからやろうという発想になるんです。でも、日本はそうではなくて、何かやろうとしたら全国一律でなければならず、やれない理由を考えるのです。大変なことだとみんなわかっているわけだから。なので、先陣を切った大分県弁護士会と福岡県弁護士会には感謝しかないですね。

和田 接見交通制度や当番弁護士制度など、村岡先生はこれまでわが国の刑事司法制度を変えてこられました。しかし、人質司法をはじめ、変えていかなければならない深刻な問題も根強くあります。そんな時代で活動する弁護士にメッセージをお願いします。

村岡 「弁護権」という言い方は弁護人主体論を反映しているわけで、こういう言い方は国際的に通用しない。被疑者・被告人の「弁護人の援助を受ける権利」が本質であって、私たちがあたかも自由権のように弁護権があるという発想で議論するのは誤りなのです。今のビデオ接見や刑事手続のIT化も、弁護人の負担の軽減といった議論の背後には、弁護人が主人公であるという発想があるのでしょう。証人特定事項の秘匿とか日本版司法取引制度の導入など、刑事司法がどんどん変わってきており、私が当然視していた、弁護人は「国家の宿敵」として依頼者を弁護するということから、「国家の協力者」であるかのように変わってきました。従来から日本で弁護士を特徴付ける言葉として、「在野性」という言葉が使われてきました。これはものすごく意味のある言葉だと思います。被疑者・被告人は、否応なしに裁きの場に登場させられた人であり、国家の側からすると常に客体なんですよね。しかし、それを主体に変えてフェアなトライアルをするため、そしてフェアな刑罰を科すために弁護人がいるわけです。ですから、刑事弁護人は「在野性」ということを決して忘れてはいけない。国家から独立しているというだけじゃなくて、本来的に依頼者のサポーターなんです。それを忘れるなってことですね。

(「この弁護士に聞く第39回」『季刊刑事弁護』109号〔2022年〕を転載)

(2022年06月20日公開) 

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