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第16回野口善國弁護士に聞く

子どもに「信じてくれる人を裏切ってはいけない」と思ってもらう


1 子どもに親身になって寄り添う

國富 野口先生はこれまで、多くの少年事件に携わってこられていますが、少年事件に携わりたいと思うようになったきっかけは何でしょうか。

野口 私は大学生の頃に、森田宗一判事の「非行少年の友達になってくれる学生はいませんか」という呼び掛けで設立された「少年友の会」というボランティア団体に参加しました。そして、家庭裁判所から、試験観察中の少年、保護観察中の少年を紹介されて、彼らと一緒に遊んだり、彼らに勉強を教えたりするようになりました。また、大学2年生のときから、横浜にある試験観察の補導委託施設「慈徳学園」を設立された花輪次郎先生のお手伝いをするようになり、そこでいろいろな経験をしました。そこから最初は家庭裁判所の裁判官になりたいと思いましたが紆余曲折を経て現在に至ります。

國富 慈徳学園での印象的なエピソードはありますか。

野口 花輪ご夫妻は自分の子ども3人を育てながら、20人くらいの非行少年を預かって一緒に暮らしていたわけですが、そこに万引の常習の子がいました。その子は、自分のことが嫌になって、「僕の手を切ってください」と花輪先生に言うのです。彼が試験的に母親の下に帰ったときに、私は花輪先生から彼の様子を見てくるように言われ見に行ったら、彼の母親が「あの子はもう駄目だから早く少年院に入れてください」と花輪先生に電話しているわけです。その時、母親には交際相手の男性がいて、その子のことが邪魔だったのでしょうね。その後、施設に帰ってきた彼に対して花輪ご夫妻は愛情をもって接していくわけです。すると3カ月くらいしたら、なんと彼の盗癖が治ったのです。それに彼は吃音に悩まされていましたが、普通に喋れるようにもなりました。「子どもはわずか3カ月でこんなにも変わることができるのか」と感動しましたね。大学2年生から大学を卒業するまで、東京の下宿から横浜の慈徳学園に毎週通うようになりました。

國富 3カ月で盗癖も吃音も治ってしまうなんてすごい変化ですよね。花輪先生はどのように子どもたちと接しておられましたか。

野口 たとえば、窃盗常習犯の子に1万円を渡して銀行に預けてくるように頼むわけです。1万円あったらそのまま逃げようかと少年は思いますよね。ただ、1万円はすぐになくなると思うので、逃げずに帰ってくるわけです。今度は7万円を渡します。1週間くらいは持つので、少年は迷いますが帰ってきます。その次は20万円を渡すわけです。20万円もあれば、1カ月くらいは暮らせて仕事も見つかりそうですから、そのまま逃げることができそうですよね。でも、「自分を信頼して20万円も渡してくれた」と子どもは考えるわけです。迷いながらも施設に帰ってくるわけですよ。20万円を持ち逃げされるかもしれないけど、花輪先生は「20万円でこの子が救えたら安いものじゃないですか」とおっしゃられました。もちろんいきなり20万円を渡すのではなく、1万円、7万円、20万円と段階的に渡す金額を増やして子どもに考える機会を作っているわけです。いきなり20万円を渡したらまず持ち逃げしてしまいますからね。

 またあるとき、花輪先生が「今からみんなで泥棒に行くぞ」と言い出しました。相撲をするために土俵に敷く砂が必要なのですが花輪先生にはお金がないので買えない。そこで、子どもたちをトラックに乗せて、海岸に行って盗んでくるわけです。でも実は、砂を海岸から持ち帰る許可を役所からもらっています。帰ってきたら、子どもたちに、「実は許可を得ていたんだ」「だまして悪かったな」「でも面白かったよな」と伝えるのですね。

國富 上から抑えつけるというのではなく、子どもを信頼して、子どもたちと同じ目線で接するという方法なんですね。

野口 私はいまだに子どもたちに対して花輪先生と同じ接し方をしようと努力していますね。ある女の子は小学校のときに両親が離婚して、お母さんについて行ったら、新しいお父さんに性的虐待を受けたために施設に預けられました。彼女は16歳のときに施設を脱走して、風俗で生計を立ててきて、19歳で初めて捕まったわけです。19歳まで何も悪いことをしないで一人で頑張って生きてきた彼女を、一度の過ちでいきなり少年院に送るのは間違っていると思って、チャンスを与えてくれるように力説しました。しかし、証人になってくれた施設の先生には、「この子は絶対に逃げます」と言われてしまいました。それでも高齢者施設に頼み込み、彼女に3カ月間住み込みのボランティアをしてもらうことにしました。私自身も「逃げてしまうだろう」と思っていましたが、逃げないんです。無断外泊もしませんでした。子どもに親身になって寄り添っていければ、子どももこちらを信頼してくれるようになりますよね。

國富 いわゆる非行少年と言われる子どもたちは、親の愛情を十分に受けていないことが多いですよね。なので、私たちが真剣に向き合うことで、自分自身を見つめ直すチャンスになりますね。

野口 彼らは自分が愛されているという感情を持てないため自己評価が低く、「どうせ自分は駄目なんだ」と思ってしまっている。少年院を出たばかりの女の子の面倒をみたことがあるのですが、その後、大学に入りました。最初のうちは遠慮がちというか、他人行儀なのですね。大人を警戒しているのかもしれません。その後、勉強を教えたりするなど一緒に時間を過ごしていく中で、少しずつ心を開いてくれるようになりました。それから2年くらい経つと、「爺ちゃん助けて」といった私に甘えるようなメールが頻繁に来るようになりました。その子はその後、私がレポートの書き方などを指導したことの効果もあったのか、成績は良く、「私、大学院に行こうかな」と言っています。自分がやったことで、子どもが変わって行く姿を自分で確かめられるということは楽しいし、嬉しいですね。

2 子どもが自分に向き合えるための余裕を作る

國富 付添人として子どもを叱る弁護士もいると聞きますが、野口先生は子どもを叱るべきだと思いますか。

野口 普通は事件を起こした子に大人は「おまえ反省しているのか」と言いますよね。でも、僕はお説教はしません。今でも電話くれるのですが、鑑別所を出て1カ月で捕まった18歳の子が思い出に残っています。その子に初めて会ったときですが、その子によれば、説教されると思っているのにニコニコしながら雑談している私のことを「森の小人みたいな小さな爺さんがただ笑っているだけ」と不思議がり、後で鑑別所の人に、「あの人は本当に弁護士なの?」と聞いたそうです。彼女は生まれた頃から施設に預けられていて、親の顔も知らなかった。中学生の頃は児童自立支援施設に行き、最終的に少年院にも行っていますが、普通の生活の仕方がまったくわからないわけです。「電気がいきなり消えました」と言うから、話を聞いてみるとそもそも電気代を払っていなかったり、食事を作っても残りをフライパンごと捨てたりしているわけです。家庭生活を経験していないわけですから仕方がないじゃないですか。そのような子どもに説教したところで何もなりませんよね。かえって心を閉ざしてしまいます。子どもに考える余裕を与えるために説教はしません。

國富 短い時間の中で子どもと信頼関係を築いていかなければなりませんが、コミュニケーション能力が低い子どもや、なかなか心を開いてくれない子どもの場合はどのように接していますか。

野口 子どもの話を真正面から受け止めるという姿勢や態度が大切だと思います。そういった態度を子どもに示すためには、その子が何を言いたいのかを見つけることが大事です。だから、子どもが好きなことをまず調べます。子どもの部屋に行ってサッカーボールがあったりすると、その子はスポーツをやっている場合が多いじゃないですか。そこで、「俺と腕相撲しようか」と言って子どもと腕相撲をしたりします。もちろん私が負けますので、「君は強いね」と言ったりしてね。また、プラモデルが置いてあったらプラモデルの話だけをして帰ります。子どもが興味関心を持っている話をすることが大事ですね。それと、こっちが何を話すかとかじゃなくて、その子が何を話したいかをどうやって見つけるかが大切ですね。

國富 たとえその分野の知識がなくても、自分の好きな物を理解してくれようとしている姿勢を見せるだけでも、子どもに与える印象は違いますよね。そのように子どもとコミュニケーションをしっかりととったうえで反省を促していくわけですね。

野口 心からの反省なんてすぐできるわけはありません。だから、私は説教じみたことは言いませんし、反省させようとはしません。たまに厳しいことを言うことはありますが、別に怒鳴ったり、叱ったりはしません。

 私がある少年を私の知り合いの会社に就職させ、私の家の近くに住まわせ、担当の保護司になりました。しかし、途中で少年がもう自宅に帰りたいと言い出しました。保護観察所は、本人が帰りたいと言っていて、親も引き取ると言っている以上、帰さないわけにいかないと言いました。私は、帰したら危ないと思っていたのですが、その子は家に帰りました。その1カ月後にまた捕まって少年院に行きました。そして、私が少年院に会いに行ったら、その子が、「僕は野口先生を裏切ったのになぜまた来てくれるんだ」と言うから、「君がとことん悪くなって俺が諦めるか君が良くなるか、俺は勝負をしているのだから負けられない」と伝えました。すると、「それは先生が勝つよね」と彼が言ってくれました。厳しさというのは、怒るとか怖がらすといったことではなくて、「信じてくれる人を裏切ってはいけない」と子どもに思ってもらえるかではないでしょうか。これは、そこまで我々が本気で少年に向かい合えるのかということの裏返しでもあります。

國富 4週間しかなくて、さらに観護措置を取られているときは、裁判所にアピールするために「早く反省させなきゃ」と焦ってしまいます。

野口 まずは、本人を落ち着かせることです。本人が落ち着いて心に余裕ができたら、自分のことについて嫌でもいろいろと考えるようになるわけじゃないですか。心の余裕を子どもにどうやって与えていくのかが大切ではないでしょうか。勉強が好きな子がいじめで同級生を傷つけた事件がありました。そこで、私はその子と一緒に英語や国語の勉強を1〜2カ月続けたわけです。すると、その子は安心してくるのですね。そうなったときに「これからいじめの問題を考えてみるか」と言って、いじめを扱ったドキュメント番組を見せて感想を書いてもらい、次に、自分が同級生を傷つけたときどうすれば良かったと思うといったことを書いてもらったりして、徐々に事件に直面していってもらいました。

 4週間程度の間に、本当に反省するなどということは元々あまり問題性の少ない、内省力のある子に限られると思います。

國富 いきなり事件に直面しても、子どもも自分に向き合えないかもしれませんよね。まだ信頼関係もできていないわけですし。

野口 子どもは事件に直面することを拒否したい気持ちがあるわけです。だから、静かに様子を見ながら、徐々に入っていくわけですね。本当の心からの反省というものは、子どもが自分と向き合う作業のうえにようやくできていくわけです。なので、我々は事件に向き合えるように子どもの環境のみならず心も整える必要があるのではないでしょうか。

 同級生を死なせてしまった傷害致死事件を担当したことがあります。暴力を振るった主犯格の子は少年院に行ったのですが、僕が担当した子は少年院には行きませんでした。だからといって彼をこのまま放置しておくわけにもいきませんよね。そこで、いきなり示談にはしなくて、毎月遺族に会って謝罪する、毎回作文を書かせるということを続けました。2、3年経ってから和解をしたのですが、そのときに書いた手紙が、最初の内容とはまったく違っていて、本当に反省していることが伝わる内容でした。

國富 裁判所はわかりやすい成果物を評価するので、こちらも安易に反省文を書かせようとしてしまいますが、心からの反省を子どもができるようにすることに力点を置いていくべきなんですね。

野口 うわべだけの反省はまったく意味がありません。なるべく反省する方向に導こうと思ってはいるのだけど、さっき言ったみたいに段階があるわけです。まずは落ち着かせて、自分のことを考えてもらう。だから、あの4週間でできることは反省の始まりくらいですよね。

3 少年のせいにしない

國富 少年事件で、私は保護者とも面談しますが、少年自身に振り返らせるよりも、保護者自身に自分たちが子どもにどう接してきたか、そこに問題はなかったか、ということを振り返ってもらうほうが難しいように思います。

野口 基本は少年と一緒ではないでしょうか。拙著である『親をせめるな』(教育史料出版会、2009年)という本でも書いたのですが、親を責めたり非難したりしたからといって親が反省するわけではありません。私は、親が頑張ってきたことを必ず褒めます。少年サッカーに付いて行ってお茶の当番をしたとか、少年野球でいつもお弁当を作っていたなど親として頑張ってきたことをまず褒めるわけです。それから「あなたの子はいい子だよ」「絶対に良くなるよ」と言って、親を勇気づけ安心させる。親が安定していけば、子どもも変わりはじめます。そして、子どもが変わっていけば親もますます安定していきます。自分のことを悪い親だと思ったら、頑張れないじゃないですか。親を勇気づけることは大切なことですよ。

國富 私は保護者との対応の仕方も含めて「もっとこうすれば良かったな」と反省することばかりですが、野口先生にも「失敗したな」と思うことはあるのでしょうか。

野口 私も、年中失敗ばかりしています。普通は自分の期待通りにいかなかったことをもって失敗と言うわけじゃないですか。ただ、ここでよくよく考えてもらいたいのですが、自分の期待通りにならなかったのは、自分の推測が間違っていたということです。「これだけやったから大丈夫なはずだ」という思い込みが間違っていたわけで、それは少年のせいではなくて、弁護士のせいだと私は思っています。自分の力を過信して少年の抱えている重大な課題を克服できなかったことを棚に上げて、「少年に裏切られた」と言うのは間違っています。少年がこちらの期待通りにできなくて再非行してしまう。それを失敗というのであれば、失敗かもしれません。ただ、それを少年のせいにしてはいけません。それは我々の見込み違い、力不足と考えるべきです。再非行があったとしても、その原因を考え直し、今後、少年のために何ができるのかを常に考え、その時点でベストな選択をしていくことが大切なのではないでしょうか。

(「この弁護士に聞く第43回」『季刊刑事弁護』113号〔2023年〕を転載)

(2023年09月20日公開) 


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