困ったときの鑑定──裁判からトラブル解決まで<br>第3回

困ったときの鑑定──裁判からトラブル解決まで
第3回

決め手はセロハンテープ

齋藤健吾 株式会社齋藤鑑識証明研究所代表


 みなさま、こんにちは! 齋藤鑑識証明研究所の齋藤健吾です。

 私は、初めてお会いする方に名刺を渡して自己紹介をする時に、「民間で指紋鑑定や筆跡鑑定をしています」と、言います。すると、「私の指紋は珍しいですか? ちょっと見て下さい」と人差し指を差し出されて、質問されることが多いです。ですが、珍しいかどうかは人差し指だけを見て、判断することはできません。と言うのも、人は10本指がそれぞれ違う指紋を持っているからです。

 このように、指紋の性質と皆さんのイメージが違っていることもありますので、今回は指紋の特性について事例を交えながら紹介します。

1 事案の発生

 ある日、機械工場で働く田中健太郎(仮称)さんは、いつものように会社に出勤して作業服に着替えようとしたら、自分のロッカーの扉に誹謗中傷する文章の印刷された紙が貼られていました。それを見た田中さんは、どのように対処していいかも分からず、慌てて張り紙を剝がしロッカーの中に入れ、作業着に着替えて職場に向かいました。その後、いつものように仕事をしながらも、誰があのような張り紙を貼ったのか考えてしまい、同僚の人たちを疑いの目で見るようになり、仕事を終えて帰る頃には疑心暗鬼になっていました。

 家に帰って気持ちを落ち着かせ、自分はあの張り紙を貼られるような原因を作っているのだろうか? 誰が張ったのか? 単独犯か? 複数人が面白半分でやったのか? じっくりと心当たりを考えていました。しかし、これといった明確な答えは思いつきませんでした。このままでは、職場の誰とも話したくなくなってしまうと感じ、次の日に思い切って上司に相談してみることにしました。

2 上司に相談

 次の日、上司(川口純〔仮称〕さん)に相談したいことがあると言って、話し合いをする機会を作って貰い、張り紙を見せました。事情を聞いた川口さんは、自分の職場でこのようなことが起きるとは考えてもいなかったので、ショックを受けている様子でした。

 川口さんから、「誰がやったのか心当たりはないのか?」と聞かれ、田中さんは「自分の中でかなり考えましたが、思い当たる人はいませんでした」と答えました。この話し合いでは、解決の糸口が見い出すせことはできませんでしたが、会社の上層部に事実を報告し、調査して貰えるよう、川口さんは約束してくれました。

 後日、川口さんが上層部に報告したところ、会社としても事態を重く受け止め、調査してもらえることになりました。そこで、解決方法を検討したところ、指紋から「犯人」を突き止めるやり方が良いのではないかとなりました。

 早速、川口さんは上層部からの指示を受け、指紋鑑定を実施する会社がないか調べたところ、弊社のホームページを発見して、ご依頼をいただきました。

3 指紋鑑定の流れ

 川口さんから指紋鑑定のご依頼をいただき、一緒に鑑定の進め方を考えました。しかし、この案件は容疑対象者(「犯人」に心当たり)がないことがネックでした。通常の案件ですと、怪しい人物がいて、その人の指紋を確保して解決に向かうのですが、今回は、該当する人物がいないので、指紋の取りようがありません。そこで思いついたのが、ロッカーに張り紙をする時間帯に、その部署で働いていた全員の人から、指紋を提供してもらうものでした。

 この方法は確実に指紋が採れますが、難点があります。まず、法律的問題として、人から指紋を強制的に採ることはできません。人から指紋の押捺をしてもらう時は必ず本人の同意が必要になります。

 次に、指紋を採られる人の心理として、自分の指紋を会社に採られることは、「犯人扱い」されているようで気持ちの良いものではありません。後々に会社に対する不信感につながる懸念があります。そうならず、「犯人」の可能性がある人から指紋を提供してもらうには、川口さんの部下への説明がとても重要になります。

 川口さんは指紋を採ることを理解してもらうために、「犯人」の可能性がある人を全員集めて、以下の2つを真剣に伝え、どうか協力して欲しいと切にお願いしました。

① 指紋を採る目的は、「犯人」を罰するためではなく、職場の秩序維持と再発防止であること。
② 指紋鑑定が終わったら、指紋は全員に返すことを約束する。

 これらのことについて、川口さんが誠意をもって話をしたら、みんな納得してくれたようで、全員から指紋を提供してもらえることになりました。これで、指紋鑑定に必要な資料は揃い、指紋鑑定に取りかかれます。

 今回の鑑定は、以下の手順で進めます。

⑴ ロッカーに張られていた誹謗文書の指紋検出を行い、「犯人」の指紋を確保する。
⑵ 「犯人」の指紋と押捺した全員の指紋を照合して、一致した人が「犯人」と特定できる。

4 指紋鑑定の実施

 我々は、ロッカーに張られた張り紙からの指紋検出を始めました。張り紙は、セロハンテープを使って、ロッカーに張られていたので、まずは、これらを専用のオイルで別々に分離させて検出します。すると、セロハンテープの粘着面から指紋を確保することができました。

 しかも、セロハンテープの粘着面は張り紙を貼るときに、「犯人」しか触らないので、これは「犯人」の指紋と考えて間違いありません。

 次に、この指紋と「犯人」の可能性がある人たちの指紋を10本指すべて照合します。

 ここで、指紋の特性について、解説します。この世界では誰一人として同じ指紋を持っていないことは有名な話だと思いますが、これを誤解して、人はオリジナルな指紋を1種類持っていると解釈している人が多いです。つまり、1人の10本指は全て同じ指紋であると認識していることになります。

 ですが、実際は1人の人物でも指1本1本すべて違う種類の指紋を持っており、1人は10種類の指紋を持っています。そうすると、「犯人」の可能性がある人から指紋を押捺するときは、10本の指をすべて押捺する必要があります。参考に押捺指紋の画像を示します。

10指押捺指紋(サンプル)

 早速、セロハンテープから採取した指紋との照合をします。「犯人」が残したセロハンテープの指紋は、左手の人差し指かもしれませんし、右手の親指かもしれません。それが分からないため、1人につき、10本の指をすべて照合し、一致するかどうかを判断しなければなりません。ですので、全員分やると、人数×10本指の照合回数になります。

 そのようにして、全員分の指紋と照合したら、「犯人」の可能性がある人の中から右手の人差し指の指紋と一致する人物が表れました。

5 鑑定結果の報告

 指紋が一致した人物の名前を川口さんに報告すると、とても意外な人物だったそうです。川口さんは、その人物を呼び出すと、問いただす前から観念した様子でした。改めて張り紙のことを話すと、自分がやったと話してくれました。理由を聞くと、自分は仕事に対して熱心に取り組んでいるのに、評価されるのがいつも同期入社の田中さんで、そのことを疎ましく思っていたそうです。さらに、最近は自分が得意だと思っていた仕事も、上司の指示で田中さんに任せられたことに腹が立ったそうです。

 それを聞いた川口さんは、そこまで強く思っていたことを想像もしていなかったので、改めて部下とのコミュニケーションをしっかり図らないといけないと思ったそうです。

 話し合いの結果、職場には張り紙をした人物名を公表せずに解決したことを伝え、穏便に済ますこととなりました。そのかわりに、田中さんに直接謝罪することを約束して解決したそうです。

【次回予告】「指紋が“いつ”着いたかを特定する方法!?」を予定しています。

(2023年10月30日公開)


こちらの記事もおすすめ