裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第7回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第7回

誕生日ばってん裁判員

末﨑賢二さん

公判期日:2011年6月13日~6月16日/徳島地方裁判所
起訴罪名:強制わいせつ致傷ほか
インタビューアー:田口真義


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末﨑賢二(すえざき・けんじ)さん(2025年3月17日、筆者撮影)

仕事より行きたい

 本業の不動産業では、毎年春になると故郷を離れて新生活を始める人々が、部屋を探しにやってくる。今年の春も1人の若者が遠く徳島県から東京の企業へと就職するため、住まいを求めて訪ねてきた。その新社会人の父親が末﨑賢二(すえざき・けんじ)さんだ。

 末﨑さんは、2011年に徳島地裁で強制わいせつ致傷や住居侵入、傷害など3件の併合審理を担当した裁判員経験者であり、3人の子どもを持つ公務員だ。今回、私が部屋探しをお手伝いしたのは、長女の娘さんだった。

 福岡県で生まれた末﨑さんは、新卒社会人として徳島県で就職し、移住して20年余りが経つ。関西のイントネーションと筑後弁の温かい口調は、耳当たりもノリも良く、場の空気がとても和む。

 「悪いこと」をしたという心当たりはなかったそうだが、確信も持てなかったそうだ。そうして「選ばれるわけがない」と高をくくっていたが、竣工したばかりの新居に呼出状が届いてしまった。

 偶然とはいえ誕生日に呼び出されるとは気の毒だ。候補者登録通知の時は黙っていた職場にも、さすがに言わなければならなくなる。当時、現場に出ることが常だった末﨑さんの予定は、すでにすべての公判期日において仕事が入っていた。それでも呼出状を持って恐る恐る上司に事実を伝えた。

 行きたい気持ちを謙虚に表し、うまく選任手続への切符を手にした。制度初期において公務員の裁判員休暇は当然整備されていた。ただ、初の適用となる末﨑さんが現れるまで誰もその存在を知らなかったそうだ。

宝くじは絶対──選任手続

 誕生日の朝、末﨑さんは恐る恐る裁判所へと向かった。新居から裁判所までは自動車で移動するのが合理的だ。

 司法に関心も、裁判所に関わりもない一般市民の素直なイメージとして頷ける。

徳島地裁旧庁舎案内図(裁判員用駐車スペース)

 仕事の途中でも、作業着でも、選任手続だけは出席する。そんな人たちに支えられながら裁判員制度は成り立っている。末﨑さんも慣れない格好で真面目に足を運んでいる。しかし、机に置かれた事件概要を見て驚愕する。

 自分が住む地域、それも普段の生活圏の中で、思いもよらない事件が起きていたことに動揺を隠せない末﨑さん。そして、選任された瞬間の気持ちも赤裸々に語ってくれた。

 やってみたい気持ちを隠す必要はないと思う。その動機も含めて自然なことだ。ともあれ末﨑さんたち選ばれた裁判員は、今後のスケジュールなどの説明を受けたあと、各自連絡する時間を与えられたそうだ。この頃の裁判員裁判は、選任手続日の午後からいきなり初公判という運用が主流だった。

 初公判までの限られた時間の中で、最小限の相手に連絡しなければならなかった。しかし、隠せない喜びは実家のご両親にまで届けた。そして、限られた時間で買いに走った宝くじは、残念ながら当たらなかったそうだ。

怖い怖い──初公判

 大学生、会社員、自営業や主婦といった20代から70代までの男性4人、女性2人の正裁判員に男女1人ずつの補充裁判員の計8名というバランスの取れた合議体だ。裁判官3人も含めた全員での昼食会を前後して、法廷の下見や入廷のリハーサルが行われた。

徳島地方裁判所(2025年3月18日、末﨑賢二さん撮影)

 裁判員制度施行当初から旧庁舎のままだった徳島地裁は、2012年より建て替えが進められ、2016年11月に徳島城をイメージした近代的な外観とバリアフリーや災害対応を施された新庁舎に生まれ変わった。

 そして、いよいよ初公判。末﨑さんは劇場の奈落のような所を通って、「戦場」へと向かった。担当したのは3件の併合審理だが、今回は強制わいせつ致傷事件に話を絞る。公訴事実は3件すべてにおいて認めていた。

 被告人は、深夜に町中を車で徘徊しながらターゲットを物色し、被害者を見つけると事件現場へと先回りし、被害者の口をふさいで抱きかかえ、無理やり車へ押し込み脅迫のうえ犯行に及んだとされている。その際に、前額部(おでこ)の打撲および皮下血腫のケガを被害者に負わせた。その被告人と対峙した感想を聴いてみた。

 大柄な被告人を前にして、末﨑さんたちは息をのんだ。検察官と弁護人双方の冒頭陳述はどうだろうか。

 検察官の「刺す言葉」。むろん、被告人を糾弾する立場なので当然なのだが印象的な表現だ。初日、選任手続に続いて始まった初公判を終えた末﨑さんは帰宅の途についた。

 ボーっとしながらも足は自宅へ向かう。そして、思い巡らすうちに「うちの近所は大丈夫か?」と家族が心配になったそうだ。無事に帰宅した末﨑さんを家族が迎える。

 家族の温もりが溢れるが、タイミングが悪かった。末﨑さんの裁判員1日目は忘れられない誕生日となった。

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(2025年07月14日公開)


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