
たまたま、たまたま──公判
公判2日目。証人などは一切なく、証拠調べや被害者からの書面による意見陳述、被告人質問が中心となった。
被害者のケガの写真は、ボコって腫れてました。被害者の意見陳述は、手紙(書面)だったのでそこは少し和らぎました。本人が出てきたら、こっちも辛くなるなって。割と女性の裁判員は平気で、逆に男の僕のほうが聞いていて感情的になるというか、「絶対に許せない」、「現在も一人では夜眠れない」という部分が心に染みてしまい、まるで被害者家族のような気持ちになってしまいました。
被害者の氏名は、選任手続の時だけで公判中も評議室でもずっと(AとかBの)匿名でした。裁判後に、子どもの学校でPTA会長を務めたんですが、被害者と同年代のお母さんたちと話す機会が増えてきて、その中にもし居たらと思うと……。結果、被害者氏名は記憶になくてよかったと思っています。
被害者特定事項の保護は、2015年に法改正され、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」に明記された。被害者に配慮した裁判の進行を末﨑さんも評価する。続いて被告人質問では、率直な疑問をぶつけた。
争点というわけではないですけど、「もともと(ターゲットを)物色していない。たまたま会社に忘れ物をして、たまたま駐車場(事件現場)に停めて、たまたま女の人が通りかかって、たまたま襲ったという事件です」って(弁護人が)言ってたんで、そんな夜中に会社に何か取りに行くかって思って、ここで質問しておかな二度とこんな機会ないし、直接質問するのはすごい怖かったんですけど、言わしてもらいました。
「忘れ物を取りに帰ったと言っていますけど、本当にそうですか? 物色してたんではないですか?」って。でも、「忘れ物を取りに帰っただけでした」ってあっさり言われて……。被告人は、弱々しい受け答えで、気弱な感じでした。「本当に申し訳ございませんでした。一生、償っていきたいと思います」って、ありきたりな言葉で刺さってこなかったですね。
もはや苦肉の策とも言える弁護人の主張だ。他方で、怖い大男というイメージは先入観だったと気づかされた。公判2日目は、検察官の求刑8年という論告求刑と、弁護人からは4~5年が相当という求刑意見が出て結審した。同種性犯罪の前科(懲役6年)から仮出所後、半年余りでの今回犯行だったからか、執行猶予の話はなかった。
初の求刑超え──評議~判決
ここからは評議となる。量刑判断のみの議論だが、予想以上に紛糾した。
「まず、皆さんの率直な意見を聞いてみたい」と(裁判長に)言われて、求刑8年に対してどう思うのかと、どれくらいの数字が妥当かも聞かれました。僕、とんでもない数字を言ってたんですよ。もう許せなかったし、再犯でもあったし……。女性裁判官の2人も「(求刑)8年は少ないよね」ってはっきり言ってました。
裁判長から、「前科は服役を終えているので、今回はこっちで判断します」って言われて。こんな出てきてすぐの犯行で? そもそも刑務所自体が何をするところなんですか? ただ閉じ込めておくだけじゃないですよね? そうやって裁判長にはけっこう詰めましたね。そうしたら、「性犯罪再犯防止指導を受けております」って説明してくれましたけどね。でも結果がこれですよ!
「僕ら一般の感覚でいうと、この事件の前にも同じことやっとるという話で。刑務所のプログラム自体が機能していないですよね!」って、裁判員全員が口々に裁判長に詰め寄ってましたね。最後は、「今回はこの事件なんで、過去は一切考えないです」ってはっきり言われて、それがルールやったらしょうがないよねって。
末﨑さんの中の正義に火がついた。彼だけでなく、裁判員たちからの怒号のような詰問が裁判長を責める。それでも、渋々納得した裁判員たちに、量刑検索システム(データベース)が示されて2回目の量刑意見集約が行われた。
「実は皆さま、数字を決めるには」って、急にデータベースの話をされて、(同種事例は)全部1ケタでした。えっ!? こんな短い期間(懲役年数)で今までやってきたんだ? ショックでした。僕が出した数字はなんだったの?
2周目はデータベースを見せられているので、なんとなくみんな基準を理解しているんですよね。これぐらいが妥当じゃないかって納得している人もいました。でも、僕はあまり曲げたくなかったんで、参考にはできなかったです。
前科の取扱い。過去の判例が示す量刑傾向。どちらも末﨑さんにとっては衝撃そのものだった。それでも、結論は導き出され、懲役9年という評決に至った。これは、徳島地裁の裁判員裁判で初の求刑を上回る判決、いわゆる「求刑超え」となる判決だった。
途中で、判決日までに絶対に結論出さないといけないんですかって裁判長に聞いたんですよ。そしたら、「意見がまとまらなければ延ばすこともできます」とは言われました。けどまあ、ここで僕が「やっぱり9年ではダメだ!」って言っても、それってみんなのスケジュールにえらい迷惑かけるかなって……。でも、(評議を)18時や19時までやってたらこんなに引きずらんとおれたんかな、とかも思いました。
そもそも9年というのも、求刑8年というのもあまり意識してなかったです。少なかろうそれって。正直、被害者のことはあまり頭になくて、事実に対する判断と、許せないという気持ちみたいなものなので。それに、(当時の量刑検索システムは)裁判官だけの量刑の数字なので、一般参加型のデータではないので、一般市民の感覚とはズレてるんでしょうね。
裁判員裁判の歴史において、全国初の求刑超えは2010年5月のさいたま地裁で性犯罪(強制わいせつ致傷)だった。実は、この判決より少し前、2010年2月に徳島地裁で開かれたやはり性犯罪(強姦致傷など)の裁判員裁判において、裁判長が判決言渡時に「性犯罪に対する今までの量刑は軽すぎる。量刑分布を見直す必要がある」という異例の発言をしていた。それから1年余りの時を経て、その時の裁判員たちの思いを末﨑さんたちは具現化したことになる。
ちなみに、「強制わいせつ罪」や「強姦罪」という罪名も、2017年と2023年の2度にわたる法改正を経て、今ではそれぞれ「不同意わいせつ罪」、「不同意性交等罪」となり、性差にとらわれず適用の範囲や罪状の解釈が広がった。今回の被告人の犯行は、現在では「不同意性交等致傷罪(改正刑法第181条2項)」に該当し、より重い量刑で処罰される。翌日、徳島地裁で初、全国で5例目となる求刑超え判決が被告人に言い渡された。
9年と言われてどんな顔するんやろうって見てました。傍聴席も弁護人も検察官も見えてなくて、視野を狭くして、被告人とだけ真剣に向き合ってました。(被告人は)表情を変えることもなく下を向いてました。聞いてないんじゃなくて、しっかり嚙み締めてくれとるんだろうなって。もう二度とすんなよ、という気持ちで。今度こそ刑務所のプログラムが機能してくれれば……。
末﨑さんの痛切な願いが込められた判決。現在では、すでに出所したであろう元被告人に届いていることを祈らずにはいられない。1人だけで出席した記者会見では、やはり「求刑超え」に関する質問ばかりが飛んだ。そして、満足はしていないけれど、納得はした4日間の裁判員経験を胸に裁判所をあとにした。
妻は「4日間お疲れさん」って。記者会見の報道を録画してくれていて、でも子どもたちがいる前では流さずに、夜寝静まったあとに再生してくれました。職場でも「お疲れさーん」って。男ばかりの職場で中身も性犯罪なので、「おもろかったやろ?」と。あ、そういう目で見る人もいるんやねって思いました。
命のやりとりこそ──裁判後
当初、普段の仕事と違う刺激が「面白そう」と思って臨んだ裁判員。制度や司法の世界は末﨑さんにどんな感想や気づきを与えたのだろう。
被告人の更生とか罰とか、被告人1人のために弁護人もいて検察官もいて、判断する立場の裁判所があると。こうやって司法というのが成り立っているんだなって。ただ、司法の世界の人たちって、やっぱり感覚が少し違うのかなと。市民感覚を取り入れるとは言いながらも、まだかけ離れている部分もあるんやろうな。でも、もう何年も経っているので、データベースも市民感覚に上書きされているはず。市民感覚が入る経験を積めば積むほどいい感じになるので、すごくいいことやと思っています。
やはり、従前の性犯罪に対する量刑の甘さが一番気になったようだ。同じ徳島地裁で指摘された「量刑分布」だが、裁判員制度施行以来、性犯罪事案においては、明らかに重罰化傾向にあるとされている。これこそが、末﨑さんの言う市民感覚の現れなのだろう。
思いもしない事件だったんですが、みんなでしっかり議論して、答えを出して、結果は別として経験としてはすごくよかったですね。二度と味わうことができない。責任感をすごく感じた時間でした。一方で、裁判員ってやりっ放し感がありますよね。被告人は、刑務所で反省したのか? 更生プログラムをきちんと受講したのか? そういったアウトプットからのフィードバックってないですよね。
多くの裁判員経験者が気にかける被告人のその後。前科の取扱いと同じように難しい問題だが、市民感覚の一つであることは間違いない。
末﨑さんとは、徳島の報道記者を介して交流が始まった。2013年にはLJCCの活動で徳島刑務所を見学し、最近では徳島交流会の中心的存在だ。


守秘義務というのが引っかかってて、普段は話さない、経験した人しかわからないことってあるんですよ。それを初めて堂々としゃべれる仲間に出会えた。やっぱり口に出して話したらストレスも発散できますし、そこがすごく共感できるメンバーなんです! 一方で、お菓子のない評議室とか(笑)、他所はこんなやり方してたんだとか、そういうのを聞けるのも楽しいですね。逆に、裁判の内容がきつかったり、人が死んだりしている話を聞くと辛いなと、でも聞いてもらった人が楽になっているんじゃないかって思っています。
評議室では、常にチョコレートが置いてあったという末﨑さんたちと違い、私のときは何もなかった……。そんな話を共有するだけでもLJCCの存在意義はあると考えている。最後に、裁判員は家族や周囲の人に勧められるのかを聴いてみた。
家族でも勧めます! 性犯罪でも人が亡くなっているような事件でも、娘には「行ってこい」って。命がかかっている裁判こそ、その命のやりとりがわかる。人生経験として、その背景も聞いとったほうがいい。悪い経験になるかもしれんけど、絶対に勉強になる。たとえ死刑事案でも娘なら大丈夫やと思います。
やった人にしかわからない世界。だからこそ経験者の声に耳を傾けてもらい、その一端でも摑み取ってもらえれば本懐だ。末﨑さんは、今春1人の新社会人を世に送り出した。その門出のお手伝いができたことを光栄に思う。裁判員という共通の経験とLJCCという緩やかなつながりがなければなかった世界だ。
(2025年3月17日インタビュー)
【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
・第4回 私たちには優しい裁判長(吉中宏子さん)
・第5回 背広にネクタイが定石(田中洋さん)
・第6回 やりたくない裁判員(小野麻由美さん)
(2025年07月14日公開)