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第16回

クルド人のデニズさんと入管施設の収容をめぐるストーリー (後編)

入管の外でも続く、苦しみの日々


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「難民申請中」の13年間

 「難民は、認定を受けたから『難民』になるわけではなく、『難民』であるから逃れてくる」と、日本難民協会は報告書に書いている。

 難民とは、「紛争や人権侵害などから自分の命を守るため、やむを得ず母国を追われた人たち」である。

 日本は1981年から難民条約に加入しており、難民を保護する国際的な責任を負っている。条約の中には、「命の危険がある国に強制的に送り返してはいけない」「不法入国などを理由として、難民を罰してはいけない」という条項がある(だから、入管職員が送還の航空券を独断で準備することも、『難民』に対しては本来許されない)。

 しかし、日本政府は逃れてきた人たちを「難民」として認定しない。そして「『難民』じゃないから、保護する必要はない」という。

 日本で認定される難民の数は、この数年、申請者の0.1~0.4%と極端に少ない数で推移している。世界に目を向けると、4割近い難民が難民条約に基づいて保護されており、補完的な保護を含むと46%(2019年)が保護されている。G7の国々も、申請者の4割以上を認定するドイツをはじめ、多くの難民を受け入れている。

 1%を切っている日本の認定率は異常に映る。

 それでも、難民申請中の人たちは、この0.1~0.4%に一縷の望みをかけて、日本で暮らす。

 難民認定が出る日を待ちながら暮らすのは、経済的にも肉体的にも、精神的にも負担が大きい。ホームレス状態になる人もいるし、そのあいだも入管センターはずっと口を開けて待ち受けている。

 (日本では、難民認定を含めた外国人在留に関する実務を入管が一元的に担うため、難民認定に関わる体制が「難民保護」ではなく「管理」に偏っているという制度的な問題も指摘されている)※参考:難民支援協会ウェブサイト

 「私、13年難民申請してる。その間は、保険もない。仕事できない。許可をもらわないと東京を出られない」デニズさんはいう。

 しかしその年月が5年、10年と積みあがっていく中でも、人は生きていかないといけない。在留資格が宙ぶらりんで、いつ収容されるかも分からなくても、彼ら彼女らは人として暮らしていく。そのあいだに愛する人と出会うこともある。家族ができることもある。

 デニズさんが奥さんと出会ったのは、日本に逃れてきた翌年のことだった。

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

奥さんとデニズさんのストーリー

 「2007年の暮れ、夜空に緑と白の流星を見てね。すっごい綺麗で、つい願い事をしてしまったの」

 公園の噴水広場にデニズさんの奥さんがやってきた。小柄な身体ににこにこと快活な笑顔で、奥さんはデニズさんとの出会いを振り返る。デニズさんとの思い出を語るのがとても嬉しそうだ。

 「言うのも恥ずかしいんだけど、そのとき人生がうまくいってなかったから、『私を助けてくれる王子様に出会えますように』って願った。デニズと出会ったのはその1週間後だった」

 「友達とバーにいるときに、絡まれていた私を助けてくれたのがデニズだった。それからやり取りをするようになって、すぐに仲良くなったの。一目惚れでした」

 「デニズは、『私はビザがない人です』とすぐに話した。私、当時は難民のことはよく知らなかったけど、『結婚を前提に付き合いたい』とデニズに言われたとき、デニズが難民であるかどうか、クルド人であるかどうかは考えなかった。はじめは慎重だったけど、デニズのピュアな気持ちが伝染して、付き合うようになりました」

 「歌や洋服の趣味も合うし、気も合うしね」

 奥さんはよく笑う人だった。

 「デニズはピュアで壁のない人。一緒に暮らす前も、デニズは隣の家のおばあちゃんと仲良しで、デニズがおばあちゃんにパイナップル持って行くと、おばあちゃんはリンゴ持ってやってくる、みたいなご近所付き合いをしてた」

 「そのおばあちゃんには『どうか彼と結婚してください』と頼まれたこともある」うふふと笑う奥さん。

 「あるとき、デニズとトルコ人の知り合いの間でトラブルがあった。相手が電話で私のことを侮辱したみたいで、デニズは抗議に行った。そうしたら手も出さないうちに相手に警察を呼ばれて捕まって、結局裁判になった」

 「その訴訟の証人として裁判所に行ったとき、法廷で裁判長に『デニズさんと結婚しますか』と聞かれた。えー? そんなことここで言わなきゃいけないの? と思ったけれど、『はい、結婚します』と言った。そしたら、デニズが目をまんまるくして、『いいの?』って」

 ふたりは2011年に結婚した。

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

「あんなに悔しいことはないです……」

 奥さんに話を聞いているあいだ、姿の見えなかったデニズさんが戻ってきた。その背中に赤い夕焼けが見えた。手には5人分のアイスが入った袋があった。

 「これ、みなさんに」デニズさんが言う。

 「いいんですか?」私たちが聞くと、

 「うん。公園だもの。当たり前じゃない。奥さんの休日は私たち、こうやって散歩して、アイスたべるよ。私、奥さんの仕事なかったらふたりでずっと散歩していたいよ」

 デニズさんはもう明るさを取り戻していた。

 アイスをかじりながら、奥さんはデニズさんを見つめる。

 「あのビデオはね、あの入管での暴行のビデオを見たときは……あまりの衝撃で、私、泣いて、朝まで震えが止まらなかった。それまでは、あんなにひどいと思ってなかったから」

 「あんなに悔しいことはないです……大切な家族が辱めを受けている、侮辱されている……あんなに大人数で……。怒りと悔しさで、最後まで見られなかった。翌日、牛久(入管センター)が開く9時ちょうどに電話したけど、あれを見た後だと、私も具合が悪くなってしまった」

 「怖かったです。ほんとに、怖かったです。普通じゃない。家族がこんなことされてると思うと……こんなことやっちゃだめだ、ほんとに……」

身体の無理がたたり、仮放免後に通院した

罰則規定と支援者の苦悩

 ついこの7月に、法務大臣の「出入国管理政策懇談会」で、入管難民法の改正に向けた提言がなされた。外国人が国外退去を拒否した場合は刑事罰を科すなどの内容で、出入国在留管理庁は提言を踏まえ、入管難民法の改正を検討するという。

 出国命令に従わず罰則を科されるとなると、帰国できない外国人は刑事犯になり、入管施設と刑務所を行き来することになるだろう。

 難民条約に「不法入国などを理由として、難民を罰してはいけない」という条項があっても、「この人たちは認定された『難民』ではない」として処罰の対象にする。それは、迫害されて逃れてきたかもしれない人を、日本でも迫害することではないのか。

 罰則が科されれば、訴訟を準備する弁護士・行政書士や、食事や部屋を提供した支援者・家族も刑事事件の「共犯」として罰されるおそれが出てくる。実際に、不法滞在に対して同居の妻が共犯に問われた事件があったという(一審は有罪、高裁で無罪になった)。

 デニズさんの奥さんも、「一番の支援者は家族です。罰則が作られたら、家族も犯罪者として扱われるんじゃないか」と危惧する。

 「そういう目で見られ始めると、外国人の家族も差別の対象になる。今、差別がこんなに世界中で問題になっているのに、まだ差別を助長するの? って思う」

 「4年という長い収容の中で、デニズとずっと引き離されているとき、私も悪いって言われているみたいでした。今もこうしてデニズがいつでもまた収容されるという状況で、私にも罰を与えられているのか? と思うこともある」

 「デニズにビザがないことを知ってたんだから結婚しなきゃいいじゃん、と言われることもある。でも、これは理性で決めることじゃないから。ビザを持つ人かどうかじゃなくて、人間としてデニズを選んだから」

 「大変なこともあるけど、難民申請中の人と結婚することは、間違いなんかじゃない」

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

訴訟を通じて変わったこと、訴訟の先の未来

 デニズさんは「私は暴力をやめてほしいと思って裁判始めた」という。

 「入管は、暴力をカメラの前でもやった。それが裁判をして、ビデオが出てきて、分かった。映像が出た後、変わったよ。分からない人が、分かった。今、ちょっと分かる人たちが多くなった。入管の中でもちゃんと守る人たちは、暴力をやめた」

 「分かってる人は増えたから、それだけでも、変化はあるよ」

 デニズさんの告発でビデオが出てきたのも、入管の中に良心を持った人がいたからなのかもしれないね、とデニズさんと奥さんは話す。

 「中にいる時間が長かったから、中で会う日本人は、いつも怖かった」というデニズさん。でも、外に出て、駅の階段から落ちた人がいたら、それが日本人であっても外国人であっても助ける。

 「それは人間だから。私が誰も助けなかったら、誰も私を助けないと思います」

 デニズさんはトルコでも日本でも人間の悪意や暴力にさらされながら、それを大災と諦めたり、それに悪意で応えたりする人ではなかった。4年間、抑圧されつづけても、「ダメなことはダメだ」と思いつづけ、声を上げつづけた。

 勇気とは瞬発的な跳躍だけではなく、4年でも13年でも41年でも、心を折られず、おかしいと思うことをおかしいと言いつづけ、そして理不尽の中でも優しくありつづける強さのことかもしれない。

 「裁判の先の未来? 私は、奥さんと一緒に死ぬまで日本で生きて、一緒に死にたい。天国でも一緒になりたい。奥さんをとても愛してるから、幸せにしてあげたい。とても優しい奥さんでしょ?」デニズさんが明るく言うと、

 「私はデニズに、本当の自由を味わわせてあげたい。こうして外に出てこられても、彼はまだ全然自由じゃない。私と同じ自由を彼にもあげたいの」

  奥さんが応じた。

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

 話しているうちに日はすっかり暮れて、夜風がさらさらと階段を下っていった。

 それからしばらくして、デニズさんから連絡が来た。

 「8月末に入管から出頭命令が来ていたけど、それはコロナ対応で行かなくてよくなった。でも、次にいつ手紙が来るか分からない」

 「だから、いつまた収容になるかも分からない。不安は消えない」

 デニズさんの戦いが、デニズさんの勇気が守られますように、私は心から願った。

(2021年12月03日) CALL4より転載

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