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第1回

「異端」の弁護が社会をつくる

──公共訴訟としての刑事弁護

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タトゥー事件①

タトゥーを彫る彼の、「あの」前のこと

文:谷口太規弁護士・Call4代表
写真:神宮巨樹


衝撃の出会い

「ただ衝撃でした。その場で彫られていく鮮やかな絵、ジィーッというタトゥーマシンの低い音。その全てが、ともかく衝撃で」

大阪でタトゥーの彫り師をしているタイキ氏が、タトゥーと出会ったのは、まだ高校生の時のことだ。友人に誘われて行ったライブハウスの一角で、彫り師がその場でタトゥーを彫っていくイベントが行われていた。初めて見る、人の身体にタトゥーが彫られていく様子。タイキ氏は、目当てだったライブそっちのけでその彫り師の動きに見入った。動けなかった。これまで感じたことのないような感覚が体を駆け巡った。

そして、その日から
彼の人生はタトゥー一色となった。

 イベントの翌日、彼は、熱に浮かされたように、その彫り師が所属していたタトゥースタジオを訪ねた。高校生はタトゥーを入れられない、そう言われても、「どうやったら彫り師になれるんですか?」と食いさがった。人の身体に彫れないなら、と、タイキ氏は、当時通っていた工業高校で使っていた作業着に絵を描いた。

「学校中の作業着に絵を描いちゃったんです。友達のも全部。めっちゃ怒られました。」

 タイキ氏は笑うが、当時、タトゥーというアートへの想いがどれだけ強く彼を動かしていたかを示すエピソードだ。

 17歳の時にやりたいと思ったり、憧れたことって、実際にはあまり長く続かなかったりするじゃないですか? タイキさんの場合は違った?

「はい、一度もその気持ちが薄れたことはないですね。どんどん強くなるっていうか。」

 彼の左のふくらはぎは、黒く墨で塗りつぶされたかのようになっている。そして、その端に、ひらがなの「つ」のような線が入っている。18歳になってタトゥーを入れられるようになって、彼が初めて自分で彫ったのがその「つ」だ。右利きだったので左足が最初の練習場所となった。

「何を入れるかというより、ともかく早くうまくなりたいって始めたんです。手の中にあるタトゥーマシンをともかく動かさなきゃ、って。それでできたのがこれでした」

 練習を重ねたため、すぐに彼のふくらはぎは何度も重ねられた絵柄で真っ黒になっていった。左の次は右だった。両足が真っ黒になった。20歳を過ぎた頃に、彼は初めて他人の身体にタトゥーを彫った。相手は母親だった。息子がタトゥーに夢中になるのを「ほどほどにしなさいね」と言いながら見守っていた母親であったが、ある時、ここに彫って欲しいと、自分の手の甲を指差した。

「隠せない場所だし、僕は止めたんですよ(笑)。でも、ここが良いって。なんでそう思ったかはわからないんですけど。」

「それで、初めて他人に彫ったら、当たり前なんですけど、全然自分は痛くないんですよ。だから、なんというか、痛みに敏感にならなきゃという気持ちになりました。それから、ひとの肌に彫ったら、ああ人というのはそれぞれに違うんだなということも分かりました。本当に十人十色なんだな、と。」

 タイキ氏にとっては、タトゥーを彫ることが学びの場であった。彼は、タトゥーを通して、生きるのに必要で、大切なことを少しずつ知っていった。

 それから、練習を重ね、先輩彫り師から学び、技術を磨き、少しずつお客さんが増えていった。

「続けていると、前に彫ったお客さんが再度来てくれることも少しずつ増えてきて。そうすると、自分が彫ったタトゥーがお客さんの過ごした時間とともに変化してくるのとかも知ることができて。少し色が変わったり、くすみが出てきたり。お客さんとともに生きているんですよね。」

 ともかく好きなことを仕事にして生きていることが嬉しくて仕方なかった、そう言ったタイキ氏は、一息おいて、「でも」と続けた。そして、こう言った。

「あの日を境に、突然世界が変わりました。」

「あの」日、そして引かれた境界

 2015年4月、大阪のタトゥー彫り師たちの元に、大阪府警の刑事たちが訪れた。名古屋にあった彫り師向けの薬局店が、薬機法によって摘発を受けた。対面でしか販売をしてはいけないとされている消毒液を販売したという被疑事実であった。その薬局店の販売履歴から大阪の彫り師たちがリストアップされた。名目は、その薬局の薬機法違反の裏付け捜査だった。

 ところが、捜査に訪れた警察は、彫り師たちに、医師免許の有無を確認し出した。「タトゥーは医療行為だ。医師免許がない者が医療行為をすることは許されない。」大阪府警はそんな見解を打ち出し、タトゥー彫り師たちは一気に参考人から被疑者として扱われることになった。タイキ氏も例外ではなかった。同じ年の6月になってタイキ氏の取調べが始まった。タトゥーを彫るのは医者じゃないとできないなんて聞いたことがない。寝耳に水であった。もちろん医師免許など持っていなかった。日本全国どこを探しても医師免許を持った彫り師など存在しない。

 逮捕こそされなかったが、下絵や道具は全部押収された。警察は女性客にあたりをつけ、呼び出し、タイキ氏がタトゥーの施術を行ったことについての供述調書を作成した。警察は、タイキ氏がちゃんと衛生管理をしていなかったとか、その後健康被害が生じたとか、怖い思いをしたといった供述を取りたかったようだが、客たちは誰一人としてそんな話はしなかった。実際、タイキ氏は細心の注意を払って衛生管理をし、客の身体に問題が生じないよう対策をとっていた。

 しかし、それでも、警察はタイキ氏を検察に送致し、そして検察はタイキ氏に罰金30万円の略式命令を発した。つまり、医師でない者がタトゥーを彫ることを犯罪だとしたのである。

 そう、この日、突然境界が引かれた。タイキ氏が17歳の時に衝撃的に出会い、その後全てを打ち込んできたタトゥー彫りは、この日夢の仕事から犯罪行為へと変わった。ごく普通に、好きなことを仕事にしながら生きていた一人の青年は、突如社会の異端とされた。そして、彼は仕事を失い、後ろ指を差され、犯罪者のレッテルを貼られた。

境界を問うこと

 タイキ氏と社会との間に突如引かれた境界。それがもたらす断絶。タイキ氏は、どうすれば良いのかと、頭が真っ白になったという。

 しかし、この断絶こそが、この国の「罪と罰」を特徴付けている。犯罪や刑事事件という言葉が持ち出された途端、それは突然私たちの日常や暮らしと切り離される。手錠をかけられ、フラッシュを浴びながら、フードの中に顔を隠して車に乗り込む人たち。アウトローの世界、道を踏み外した人たちの行き着いた場所。それは「あちら側」の物語だ。

 すぐに幾多もの例が思い浮かぶ。例えば酒井法子やピエール瀧。堀江貴文やカルロス・ゴーン。お茶の間の主役として、あるいは経済界を牽引する時代の寵児として、スポットライトを浴び、成功者としてのポジティブな評価を身に纏っていた者たちの扱いが一夜にして180度逆転する。「だからそうだったんだ」「今考えてみれば」そんな言葉で、これまでの行動や作品や業績は、グレーのフィルターを通して再解釈、流布され、固定化していく。

 しかし、当たり前だが、一夜にして180度現実が変わることはあり得ない。人はすべらかな連続した時間と事実の積み重ねを生きている。一夜にして変わったのは解釈や評価であり、言説だ。つまり、その変化は、不確かで、流動的で、グラグラとしたあやうい地盤の上に成り立っている。それにもかかわらず、その言説は、ある人の社会的生活を一変させるに十分なインパクトを持つ。一つの逮捕や一つの起訴が、技術や産業の発展の形をまるっきり変えることだってある。

 だからこそ私たちはこの断絶の前に立ち止まる必要がある。この境界は合っているのか、と。刑事弁護とは、この境界に最初に投げかけられるその問いのことを言う。ある人間をこの社会から断絶し、「異端」にならしめたその境界は本当に正しいのか。明確なのか、そもそも必要なものなのか。その「異端」を私たちは排除すべきなのか。

 この連載では、この社会における境界が問われた/ている刑事事件を取り上げ、そこに関わる被疑者・被告人や、刑事弁護人の姿や言葉を伝えながら、その多層な輪郭をできるだけ丁寧にトレースしていきたい。

 縁遠く見える「罪や罰」は、実は、私たちが今立つ場所と地続きだ。それどころか、「罪と罰」こそが私たちの社会を規定するとさえ言える。罪を犯したとされ、罰を与えられようとしている「異端」を代理する刑事弁護は、その人を護るためだけのものではない。それは、「異端」と「私たち」の間に引かれようとしている境界の是非を問う営為だ。「異端」の刑事弁護は、社会のあり方を問う公共訴訟でもあるのだ。その実際がより知られることで、私たちはより良い判断をすることができるはずだ。

 第2回では、タイキ氏のその後、そしてタイキ氏と刑事弁護人が闘った「タトゥー裁判」のその後を追う。

次回につづく

(2019年10月25日) CALL4より転載


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