
裁判員より良い経験!?
「えっ!? 私ですか? では、エレファントカシマシの“風と共に”」
これは、2019年5月に生放送された文化放送ラジオ「田村淳のNewsCLUB」に出演した際、大ファンだと言うアーティストの楽曲をリクエストした時の小野麻由美(おの・まゆみ)さんの発言である。
リクエスト曲の希望を聞かれはしましたけど、まさか自分がコールしていいなんて! とても光栄で、ファン冥利に尽きます。裁判員よりも貴重で良い経験でした(笑)。
2018年にLJCC(Lay Judge Community Club)のメンバーとなった小野さんは、最初に連絡をいただいた2日後には交流会へと参加していた。物静かな雰囲気とは対照的なロックバンドのファンで、LJCCだけでなく他団体の活動にも自らの意思で参加するアクティブな方である。そんな彼女と司法とのつながりは意外なところから始まっていた。
2004年くらいに(勤務していた)会社を訴えたんです。給料の遅延で。ずっと我慢していたんだけど、気づいたらとんでもない金額になっていて……。バカだったんですよね。仕事好きでしたし、良いお客さんばかりで、なんとかなると思っていたんです。
簡易裁判所ではダメなくらいすごい金額で、地裁で訴える必要があって、相談した女性弁護士さんが訴状について(無償で)メールで教えてくれて、裁判所でも職員さんが書き方をちょっとだけ教えてくれて。周囲に恵まれていました。(法律の世界は)意外と親切なんだって思いました。
結局、和解でした。このままゼロは困るし、とにかく終わらせたかった。満足はしていないけど、納得するしかない。それに、和解の席で久しぶりに会った社長の情けない顔を見たらスッキリしちゃいました(笑)。
当時、営業職だった小野さんの成績は極めて優秀で、営業3人分くらいの売り上げを稼いでいたそうだ。泣き寝入りせずに自ら動き状況を打破する行動力は、普段のおっとりとした佇まいからは想像もつかない。そして、彼女のスタンスは裁判員をやる前もやった後も一貫して変わらない。
やりたいとは思ってないです。逆に、なんでやりたいのかがわからない。興味本位なんじゃないのかな。人の人生に関わらなければならないし、そんな簡単にできることじゃないですから。でも、選任手続に行く前にネットでいろいろ検索して、経験者のブログを読んだんですよ。その中で、「やってよかった」と書かれていたことに興味を持ちました。何をもってよかったのかと。
今までにないタイプの裁判員経験者でありながら、その意見には大いに賛同する。裁判員をやったこと自体は、「ある意味で貴重」と言う小野さんにとって、果たしてやってよかったと言える体験だったのだろうか。
空席だらけ──選任手続
小野さんは、裁判員制度ができた当時も今も、複数の派遣会社に登録し、様々な企業で一定期間従事するいわゆる派遣社員だ。新聞で制度施行を知ったが、関係ないし、自分がなるわけがないと思っていたそうだ。
その頃、いろいろあって会社を辞めて実家に戻って、しばらくすると母が病気になって、その間に実家の建て替えとかあって、忙しかったしいろいろ辛かった。そんな時に(制度施行の)ニュースを見たんですけど、「へぇ」くらいだったと思います。
候補者登録通知が来たときは、封筒に小さく「最高裁判所」って書いてあって、なんで自分に? でも、その後(呼出状)は8月の下旬に来て、半年以上あいていたので忘れていました。不在票に「東京地裁」って書いてあって、そういえば去年何か来てたなと、翌日は土曜日だったんですけど(再配達が)待ちきれなくて、郵便局へ取りに行ったんですよ。家まで待てずに、その場でこっそり開けて(笑)。呼び出されちゃっているよ私、どうしよう……。

その時点で断れる事情がなかった小野さんは、選任手続期日に裁判所へと足を運んだ。唯一の希望は、9月いっぱいで契約が切れた仕事の、次の派遣先が決まれば断れるかもしれないということだった。
当日、行ったら書類があるのに(人がいない)空席がいっぱいあって、どういうことなの!? 行くものだと、行かなきゃいけないものだと思っていたので、行かなくてもよかったんだってそこで初めて知りました。いや、ダメなんですけどね(笑)。
数えたんですよ、私。空席数えるより、人を数えたほうが早くて。24~25人。3人に1人が当たっちゃうじゃんって思いました。たぶん私のことだから、補欠とかに当たっちゃうんじゃないかなって思ったんです。だって、やりたくないと思っているからこそ当たってしまう。私の人生って、いつもそんな感じだったので。
自ら訴訟を起こして以来、約13年振りに裁判所へ行くも空席だらけの候補者控室に愕然としたという。辞退率の高騰、出頭率の低下が可視化された光景だろう。そして、思念と逆行する現象は確かにわかる。残念なことに現実化してしまった。
モニターの上半分に正裁判員の番号があって、(自分の番号が)なかったから、よかったと思って下半分を見たら、(補充の枠に自分の番号が)あって「えっ!?」って思ったのをはっきり覚えています。そう思っている間に、「席を立って、(机の書類は)そのままでいいので、とにかく行ってください!」って。
あの時、何も考えられなかったんですよね。「えっ!?」と思っているうちに連れていかれて、何か(宣誓書)に「サインして、読んで」って言われて、言われるがままでした。非現実的な、何かそんな感じだったのを覚えています。夢だったらいいなって。その時、どんな顔していたんだろう……。
補充裁判員であることまで含めて見事に嫌な予感的中だった。小野さんの呆然とする様子が生々しい。かくして男女3人ずつ、補充裁判員も男女1人ずつの合議体が出来上がった。年齢も30代から70代までのサラリーマンや自営業といったバランス型だ。
その日は、法廷で入る順番とかも聞いたと思います。補充は後ろに座ってもらいますとも。帰りに、とりあえず落ち着きたくて、(裁判所)地下の食堂で昼食を食べていこうと思ったんです。そうしたら、エレベーターホールでもう1人の補充の方と会って、2人で食堂へ行ったんです。その時に「一緒に楽しもうね!」と言ってくれて、それで気持ちがすごい楽になったんですよね。それに「補充だし」とも言われて、そっか補充だからちょっと気が楽なのかなって初めて思ったんです。
「恵まれていた」、そう言う小野さんは、知らず知らずのうちに周囲からの助けを得ることができる、いわゆる「持っている人」なのではないかと思う。

補充裁判員の視点──初公判
事件は、共犯者4人が起こした強盗傷人。主犯格が店長を務める宅配チェーン店に、実行犯たちが侵入し、何も知らない副店長を鉄パイプで殴り、倒れたところを足で踏みつけて、売上金約140万円を奪ったという事件である。小野さんたちが担当したのは、主犯格の友人とされる立場の被告人。被告人の後輩にあたる連絡係が、さらに知り合いである実行犯に指示して、犯行に及んだというとても複雑な事件だった。主犯格と実行犯の間につながりはなく、いわゆる闇バイトのはしりのような事件だったとも言える。
本当にバカなのかなって思います。(山分けしても1人約30万円)たかがそんなお金で一生を棒に振っていいの? もちろん、そもそも事件はダメなんだけど。被害者も足で頭を踏みつけられて、ありえないですよね。「絶対許さない」って言っていました。被告人は、「お金を盗むことはそうだけど、ケガをさせることまでは計画になかった」と言っていて、その点と被告人も主犯格なのではないかという点が主な争点でした。
犯行動機の稚拙さに呆れる小野さんだが、一方で、20代の犯行グループ4人を「くん付け」で呼んでいた。実は、事件は2つに分かれていて、被告人たちは同じチェーン店の別な店舗でも同様のことを行っていた。あらためて初公判から進めていこう。
見学(リハーサル)したときとは雰囲気が全然違っていて別物の法廷でした。「初日の1個目の事件は練習と思って」と裁判長から言われて。そっちは主犯格と被告人がそこの店長さんにテキーラを飲ませて酔って寝ている間に、鍵を取ってお金を盗んだという内容でした。
補充の席は被告人のほぼ正面で、髪も黒くてジャケットだったか格好もビシッとしてちゃんとした人だなと思いました。意外といえば意外でした。中国籍でしたが、日本人よりも綺麗な日本語を使っていましたよ。きっと頭が良い子なんだと思います。
「事件からしてヤンチャな感じ」の被告人を想像していたそうだが、25歳の好青年がそこに座っていた。では、検察側、弁護側双方からの主張はどうだろう。冒頭陳述の様子をそれぞれの印象を含めて聴いてみたい。
検察官は、男女1人ずつで女性はハキハキ話してしっかりしていたんですけど、男性がモゴモゴと何言っているかわからなくて、裁判長から「もっとマイクに近づいて、ハッキリと言ってください」って何回か注意されていました。でも、冒頭陳述はメチャメチャわかりやすかったです。紙の資料でしたがカラフルで、共犯者4人の関係図もあって、とても頭に入ってきやすかったですよ。
弁護人は男性2人で、イケオジみたいな2人でした(笑)。でも、わかりにくかったですね。資料自体が図柄ではなく文字でベタ打ちだったので、聞きながら目で追っていたけどわからなくなっちゃって。後で読み返すことはなかったな。
裁判長から、「無理してメモを取らなくていいですよ」って言われていたので、とりあえず(初公判は)聞いていたんですけど、これメモ取らなきゃダメだろう、メモ取らなきゃ覚えていられないよって。なんでいらないって言ったのかよくわからなかった。
活舌の悪さは訓練で解決できる問題だろう。一方の、弁護人も見た目だけではなく中身も磨くべきか。登場人物が多く複雑な事件だ。どれだけ公判前整理手続で簡略化したとしても、メモが不要になるほどまでは及ばない。小野さんの動揺が見て取れる。せっかくなので裁判官の印象も聴いてみよう。
裁判長は見た感じも温和というか怖い感じはしなくて、趣味もゴルフとか意外と普通でした。ただ、初公判の前に「疑わしきは被告人の利益に」と言われて、「難しいからこの後もちょくちょく話しますね」と言っていたのですが、結局その1回だけでした。
公判中、席が後ろなので裁判官たちの足元がめっちゃ見えるんですね。裁判長が(上半身は)キリっとしているのに足元がクタっとしていてかわいかったんですよ(笑)。裁判ってなんか暗い話じゃないですか。それがすごく嫌で、なんかお茶目で笑える話をしたくて、「ビシッと座っているのに(下半身は)力が抜けてお行儀悪いぞ!」って他のみんな(裁判員)に言っていました(笑)。
あと、公判の途中で(法廷での)裁判員の席順を変えていました。評議室でも1回席替えをしました。誰の隣になるんだろうって思っていたら、「補充はそのままで」と言われて……。ぬか喜びでした。
法壇の向こう側、横に並ぶ裁判員からも傍聴席からも見ることができない景色。補充裁判員にだけ許された視界は、裁判長の思わぬ気の緩みをとらえたようだ。一方で、法廷や評議室での席替えは評価に値する。裁判員が得られる情報の公平性を考える上で、極めて有効な手段だと思う。ただし、補充裁判員も同列に扱うべきだ。
(2025年06月13日公開)