
辛かった涙──公判
法廷では、様々な証拠類と共犯者の3人だけでなく、被害者や被告人の母親など多数の証人が出てきた。
包帯でグルグル巻きの(被害者の)写真を見た覚えがあって、左腕骨折などで全治2カ月の重傷。頭を足で踏みつけられて、死んじゃってもおかしくないくらいで酷いなと思いました。他にも、現場の写真や鉄パイプの写真、お店の間取り図や人の配置図などを見ました。防犯カメラは肝心なところが映ってなくて。
実行犯の子が連絡係から言われた内容を書き留めたメモには、「ボコボコ」って書いてあったんですよ。主犯格や被告人は、ケガをさせるつもりはなかったと言っていたのに。でも、連絡係の子は、法廷では何も話さなくて、「黙秘権を行使します」とだけ繰り返していました。この連絡係にしゃべってほしかった。実行犯に指示したことが、上(先輩である被告人)から言われていたことなのかどうかがわからない。被告人以外の裁判は終わっていて、(それによると)「言われたからそのとおりにやったのに、俺が悪者にされてふざけるな!」って、慕っていた先輩なのに顔も見たくないって。この子の証人尋問は遮蔽措置でした。
あとは、電話の通話記録も見ました。話した内容はわからなくて、何時何分に(どのくらいの時間)電話していたという記録。でも、犯行前夜から当日くらいまでしかなくて、基本は主犯格と被告人が話して、被告人から連絡係に、そして連絡係が実行犯にという縦にしか繋がっていなくて、誰が暴行の指示をしたのかが争点なのに、みんな言うことが違うから全然わからない。
ここまで聴いただけでもクラクラする。共犯ということは複数の意志で犯行に臨むということであり、各人の機微を読み取るのはこんなにも大変なものなのか……。気を取り直して、証人尋問のうち最も衝撃的だったという被告人の母親が出廷したときの様子を聴かせてもらう。
あの姿を見たらショックで、そりゃ(母親だし)泣きますよね。でもその前に、私たちが法廷に入ったら被告人がもうギャン泣きだったんですね。えっ! どうしたの? という感じで。ずっと面会禁止でお母さんと会えてなかったんですよね。それで裁判を始められなくて、弁護人も「どうしよう」って。でも、落ち着くまで待ちましょうってなって。泣き止んでから始めたんです。
でも、後になって冷静に考えると、あれは反省の涙なのか、お母さんに対しての涙なのか……。お母さんも最初は泣いていたけれど、証言台に立ったときは治まっていて、「もしも執行猶予になったら、私が責任をもって監督します」と言っていました。
母の涙は、女性裁判員だけでランチに出た際も話題になったらしく、「被告人よりお母さん。あの涙を見ちゃったら……こんな辛いことはない」と小野さんは振り返る。
公判の最後には、検察官からの懲役12年という論告求刑と、弁護人からの執行猶予付判決を求める最終弁論があって結審した。
被告人以外は(裁判が)終わっていて、主犯格が懲役9年、連絡係が5とか6年、実行犯は他にもいろいろやっていてどうなったかわかりません。(求刑が)重いのか軽いのかわからないけど、一般的にみると12年って重いなと感じますね。
最後まで真剣に──評議~判決
いよいよ評議だ。評議は丸2日間に判決公判日の午前中と直前まで設定されていた。
みんな仲良く、いい雰囲気でした。最初に「どうですか?」と聞かれて、やっぱみんな一番に言いにくいというのがあるじゃないですか。でも、補充の2人が真っ先に「補充ですけど言っていいですか?」って手を挙げて、意見を言ったり、質問したりしました。その後からは皆さんガンガン言うようになって(笑)。
例えば、「通話記録の中で、この何分と何分の間にどこまで話し合えたのかな? こんな相談や指示ができていたのかな?」みたいな疑問点を投げかける人や意見を言う人がいて、そんな活発な議論でした。
全体的に偏っていなくて、誰かと誰かではなくて、スムーズな流れで話し合えていてバランスがよかった。裁判長は自分の意見を言わなかったし、裁判官も議論の流れの中で、「僕はこう思います」とか「これどう思いますか?」とか、そのタイミングがすごいよかった。私が思っていたことと同じことを裁判官が言って、なんかホッとしたのを覚えています。
補充で気楽だから議論の口火を切ったわけではない。言うべきことがあったから手を挙げただけだ。複雑な相関図と背景をもつ難しい評議に際して、裁判長もこの補充コンビに助けられたに違いない。
活発な議論の結果、「ケガを負わせることまでは知っていた」とした上で主犯格と認定したそうだ。ここからは量刑判断となる。量刑検索システム(データベース)も活用しての第2ラウンドだ。
私は、データベースよりは重くてよいと思っていて、それくらいひどい事件だと思っていました。付箋使って「あなたは(懲役)何年だと思いますか? その理由はなんですか?」って裁判官も含めてみんなの意見を聞いた上で、もう1回考えてみましょうっていう流れでした。(評決権がないことは)最初からわかっていることだから何とも思わなかったけど、気が楽とも思っていませんでした。気を楽にしていると真剣に向き合えないじゃないですか。だから、最後の最後まで真剣に向き合うことが必要だと。
評議のはしりだけでなくさわりに至るまで真摯な姿勢を見せる小野さんに感服だ。裁判所、裁判官からしたら感謝の限りだろう。ところが、裁判所はこんなに真剣な彼女に対して驚きの不義理を告げた。
評議の前だったか、どこで言われたか覚えてないけど、「もう役目を終えたので何だったら来なくても大丈夫ですよ」って言われて、「えっ!?」みたいな感じで、始まる前に言って。やる気まんまんだったのに……。でも遠慮がちに、「すみません、最後までいてよろしいでしょうか?」って聞いたら、「もちろんです」って言ってくれました。みんなの前で突然言われたのでショックでした。
印象としての記憶なので、実際はもう少し丁寧に告げられたのだと思う。それでも、一般の社会人にとっては、数時間先の予定ですら重要になるわけなので、裁判所は常に先んじて案内すべきだろう。

最後まで真剣に臨んだ補充裁判員のおかげで、合議体は懲役9年という結論を導き出し、判決公判に臨んだ。ところが、再び小野さんに思いもよらない言葉が掛けられる。
法廷に向かう直前に、「一緒には座れませんので傍聴席からで」と言われて、その時も「えっ!?」って2回目(笑)。傍聴席の真ん中に座らされて、なんか寂しいな……。もうあそこ(法壇)には登れないのねって。(結審のときに)「最後だよ」って先に言って欲しかった。
判決文の読み上げ中はあまり顔を上げませんでした。でも、たまたま顔を上げたときに被告人と目が合って、すごく睨まれていて「怖い」と思ったんですよ。それからは絶対に見なかった。被告人質問のときに、「素人に裁かれたくない」って言われていたので。やっぱり裁判員が入っていることに納得してない感じはしました。私たちだって好きで来ているんじゃないよ、と思っていましたけど(笑)。
繰り返すが、裁判所は何事も先んじて裁判員に案内すべきだ。そして、それまでのスーツ姿からジャージ姿に一変して、ふんぞり返って座る被告人から睨まれたのだから、小野さんの心境は察するに余り有る。判決言渡を終えると逃げるように評議室へ戻った。それに急ぐ理由が彼女たちにはあった。
私たち残業しないチームだったので(笑)、17時少し前に(判決公判が)終わって、戻ったら早くアンケート書いて感謝状ももらわなきゃいけなくて、時間がなかったんですよ。アンケートも10分くらいで書いたので、本当はもっとゆっくり書きたかった。
落ち着いて振り返れるように、アンケートは後日郵送という選択肢も設けることを裁判所には提案したい。いずれにしても、定時で裁判員を終えた小野さんたち女性裁判員は、彼女の行きつけのお店で食事をして解散した。
やってよかった?──裁判後
やる前も今も、「基本はやりたくない」という小野さんに裁判員をやってみた率直な感想を聴いてみた。
疲れたというより、毎日辛かった。法廷って、妬みとか恨みとか人間の嫌なものすべてが詰まっているじゃないですか。今回の事件みたいに友達同士で裏切ったり、人のせいにしたりしている関係に心が痛かった……。あの場が嫌で嫌で仕方なかったんです。
最後の日に、裁判長から「終わったので忘れてくださいね。この後、何かあっても僕の責任です」と言われたんですけど、なんか忘れちゃいけない気がして、2回くらい傍聴に行ったんですよ。でも、法廷に入ったときに過呼吸みたいになって具合が悪くなっちゃって、どうしようって思っていたら、ちょうど小学生くらいの子どもたちが入ってきて、ちゃんと座って一生懸命メモを取っているのを見て、きっと私も大丈夫って。そうしたら(落ち着いて)安心して見られるようになりました。

自分が経験したことがなんだったのか、それを知るために、答えを求めて裁判所へ足を運んだ。私も同じことを考え、同じことをしていたので、言葉にできないが共感できる。では、裁判員を経験して犯罪や社会に対する見かたに変化が生じたのか、と問うてみたら意外な答えが返ってきた。
たまに誰かに裁判員の経験を話す時、人って(犯罪の)被害者だけでなく加害者にもなり得るって言うと、「えっ?」って言う人が多いことに驚きます。元々、被害者というより加害者になる可能性があると思っているんですね。例えば、カッとなって手を振り上げて、それを自分の意識とは別に振り下ろしてしまうことってあると思います。法廷のあの場(被告人席)に立つということがどういうことかわかれば、自分は立ちたくないし、大事な人にも立ってほしくないと思えるはずです。自分も加害者になり得るとわかっていたら、振り上げた手を下ろすことができるんじゃないかと思います。
事件の被害者になる可能性と同じ質量で加害者にもなり得る。裁判員を経験することが犯罪抑止に寄与するとしたら、それは裁判員制度の真価の一つなのだと考える。
最後に、ブログで読んだ「やってよかった」の答えは見つかったのだろうか。
裁判長には「忘れて」と言われたけど、人の人生に関わったということは背負っていくべきだと思っていて、意識していなくても人の人生に影響を与えていることって実はけっこうあるじゃないですか。そう思うと、今から関わりますみたいなことで臨めるのであれば、それはそれでいいんじゃないかな。向こうはなんとも思っていないだろうけど、被告人のことを意識して、今からあなたの人生に関わりますよって。そうした経験はよいと思います。(今回は)ちゃんと意識して真面目に臨めたと思っているので。
次は……、無理だけど、私のことだから辞退したいとは言えない。99%無理と思っていても、1%があればやってしまう……。辛くなるってわかっていても断れないと思うな。そういう経験がちょいちょいあります(笑)。
やってよかったがやりたいとは思わない。でもきっと断れない。そして、背負い込む責任は小野さんが秘める人間力の一端だろう。裁判後、程なくして新しい派遣先へと通うことになり、今はLJCCメンバーとして緩やかに繋がっている。冒頭のリクエストコールは、ささやかだが裁判員経験へのご褒美だ。
(2025年2月1日インタビュー)
【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
・第3回 許せない罪(西澤雅子さん)
・第4回 私たちには優しい裁判長(吉中宏子さん)
・第5回 背広にネクタイが定石(田中洋さん)
(2025年06月13日公開)