
神さま、機械様!
2025年4月、私はLJCC(Lay Judge Community Club)大阪交流会へ参加するために、新大阪行の新幹線に乗車していた。奇遇にもその日は、「大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)」の開幕日ということで、車内は家族連れや海外からの観光客でいっぱいだった。そして、この時より遡ること55年前、日本で最初の万博もまた大阪で開催されていた(1970年日本万国博覧会)。戦後の高度経済成長を経て、世界から経済大国と認められた日本にとって重要な国家的イベントだった。その70年大阪万博の開会式において、華々しい表舞台の裏で、人知れず汗を流していた者たちがいた。そのうちの1人が濱清次(はま・せいじ)さんだ。
僕の小さいときは、大阪から汽車で母方の田舎(茨城県)へよう行ってました。上野で乗り継いで、筑波山の麓まで。トンネルに入ると窓を閉めとかんと煙が車内に入ってくるような(蒸気)機関車でしたわ。日が暮れると、誘蛾灯がポッポッポって点いて客車の窓からそれを眺めてたんです。当時はまだ電気やなくてロウソクとか行燈やったんやろな。夏は毎年行ってたみたいです。
濱さんは、茨城県で生まれてすぐに大阪府へ移住した。幻想的な田園風景は本当に幼少期の記憶のようで、今では根っこから関西人である。大阪で根を張った彼は、日本電信電話公社(現在のNTTグループ)で長いこと無線通信の業務を担ってきた。
昔はマイクロウェーブというのを扱ってまして、真空管の掃除なんかをしていましたが、だんだんと光や衛星通信になってしまって。会社が移動通信(現在の携帯電話)に力を入れるようになると、無線回線を各地の電話局の交換機につなぎこんで、地域の一般電話を助けるというような、無線機器の設置や保守といった仕事をしてました。
あとそれから、各放送局のテレビ中継もやってました。その頃、大晦日は延暦寺(比叡山)から「除夜の鐘」の中継をしたり、花園から「高校ラグビー」の中継をしたりするのが年末年始でしたね。それでも一番は、大阪万博(1970年)で昭和天皇の開会宣言を、(現地の)電気通信タワーから内本町の中継センターまで、無線で電波を飛ばした時がね……。
天皇陛下がボチボチしゃべろうかいう時に、画像が乱れ始めて、あれって真空管ですからね。これは困ったないうことで、もうどないしよって、「機械様、機械様、お願いします!」って機械をさすったら直ったんですわ(笑)。ほんで天皇陛下が「開会宣言します」って無事に終わって、はぇ~って。
歴史に記録のない驚きの出来事を思いがけず耳にした。日本で初の万博開会宣言を全国が、「宇宙テレビ中継」を通じて世界が固唾をのんで見守っていたその時、とんでもないトラブルが発生していて、とんでもない方法で乗り切ったというまさに逸話である。半世紀以上の時を経て明かされた事実と、通信のプロである濱さんが繰り出した昭和感丸出しの「神の手」に大笑いした。舞台裏で人知れず流していた汗は、冷や汗のほうだった。
その後も長い間、社会インフラを支える電気通信事業に携わってきた濱さんだが、裁判員当時は賃貸マンション等における管理人のアルバイトに身を置いていた。そして、83歳となった現在は、お連れ合いの介護を兼ねて主夫業に専念している。
今は一日一日が普通に、平和に生きていければ良いという生き方で、(管理人の仕事は)火事もあれば水漏れもあって、亡くなる人もおる。何があるかわからないから、人生の経験で刺激やったんかな?
賃貸物件の管理人は、物件で起きるあらゆるトラブルの最前線となる。濱さんは管理人として2ケタに及ぶ独居死や孤独死に遭遇したそうだ。今は悠々自適の好々爺である彼の裁判員経験を聴かせてもらおう。担当した裁判は、少々複雑な殺人未遂事件だった。


えらいことになった──選任手続
妻から、「えらいもん来てるよ」と連絡があって、何が来たんかなと思って、帰って見てみたら最高裁判所ってなに? 結局、中を見たら裁判員制度ということで、えーこんなん来たんかって。まぁいっぺん行ってみたいな、当たれば仕方ないなって。
ご自宅に届いた候補者登録通知を冷静に受け止める。当時69歳だった濱さんには断るという選択肢はなかったと言う。そして、忘れかけていた頃に呼出状が届く。
なんの裁判やるかっていうのは全然わかりませんし、とにかく行ってみようと。(管理会社の)社長に休むって電話したら、「あーいいよ。勉強やから行っておいで」と。たぶん当たらんやろから、そのまま帰って仕事しますとも言いました。妻にも、「どっちみち、すぐ帰ってくるわ」言うて家を出ました。当時は、妻もアルバイトしてましたし、あんまり気にしいひんかったですね。
とにかく行くだけ行ってみようと、濱さんは約1時間をかけて大阪地裁へと向かった。
30人くらい来てて、こんだけの人数やし、まぁ当たらへんやろと。別に期待もしてないし、気楽な気持ちでしたわ。でも、裁判所に入る前に、道路上で街宣車が怒鳴りまくってて、これなんやろなって。何言うてるかはわからんかったけど、ワーワーやってましたね。(選任手続で)詳しい説明がなかったんですね。ちょっとやっかいやなって、これは一筋縄ではいけへんのかなって思いました。
事件は、労働組合に加入した従業員と経営者の間に起きたいわゆる労働争議の果ての殺人未遂だった。被害者の2人が加入した労働組合により、「無期限ストライキ」と称して事業所の敷地が占拠され、経営が悪化したことなどから、飲酒により酩酊状態となった被告人(経営者)が、包丁で被害者(従業員)を刺したという内容だ。
労組が絡むという事件に濱さんは少し躊躇した。しかし、候補者控室に設置された大型モニターに自分の番号が出てしまう。
職員の方が、「今から抽選を行います」って。ほんで、「うわっ! 当たったやないか」って。いやいやいや嬉しくないよ。えらいことになったなって。まず、社長に電話して当たりました言うたら、「おーそうか。ほなまぁやっといで。給料はないよー」とか言われて(笑)。その時は、バイトさんが僕の他にもおったんで、まぁいいかと思って、ほんならいつまででも休んだるわってね(笑)。でもちょっとね……、これ(選任手続)で終わったらよかったのになって。
行ってはみたが、やりたいもやりたくないもなく臨んだ裁判員等選任手続。好奇心だけで乗り切るにはやや込み入った事件だった。それでも濱さんは、豊富な人生経験と持ち前の明るさで、裁判員に挑戦した。
男性4名と女性2名の正裁判員、男女1名ずつの補充裁判員は、会社員や主婦、会社経営者に料理人のほか重度身体障がい者の方もいて、介護者を伴ってストレッチャーで参加されるなど、本当に多様な合議体となった。
500円自腹で裁判官も一緒に昼食会。まさか弁当は食べさせてはくれませんでしたね(笑)。せやけど、お弁当は豪華でしたよ。(公判中)1回だけ女性の裁判員が外へ出はったんですけど、外で食べるところがないって苦労してはったんですわ。それからはみんな(毎日)弁当で。自己紹介は、「○番です。よろしくお願いします」程度で、どこから来たとかそういうのは言わんでええと言われたんちゃうかな?
ご飯食べて、13時になったら、「ほんなら順番に並んでください」って、裁判長、裁判官、ほんで我々が並んで、一番後ろに補充裁判員の人がずるずると続いて。(法廷に入ると)裁判所の職員さんが、順番に座る場所を案内してくれました。傍聴席はいっぱいでしたね。その時に、上からグッと見下ろす目線になって、「なにこれ!?」って感じで、異様な雰囲気でしたね。
選任手続日の午後から初公判という初期の運用ゆえの慌ただしさ。それ以上に、濱さんが直感した「異様な雰囲気」は労働争議ゆえの裁判だからだろうか。緊迫した空気に包まれた初公判が幕を開ける。

これが裁判所なんや!?──初公判
それまで司法に関わる機会も関心もなかった濱さんにとって、すべてが初めてとなる刑事裁判は、「テレビドラマと一緒や」と感じたそうだ。唯一、イメージと違っていたのは被告人だったと言う。
ただの普通のおじさんというイメージでしたね。僕と同じ70くらいやったんとちゃいますかね? せやけど老けてはりました。やはり気苦労してはったんちゃいますか? シュンとしてはりましたね。
被告人には、飲酒による影響下での犯行で服役した過去があった。そして今回もまた、飲酒による酩酊状態だったとして殺意を否認している。検察官、弁護人双方の冒頭陳述はどうだったのだろうか。
検察官は若い男性2人組で、資料も配られましたけど、細かく読む間がなかったですね。やはり審理に集中していますから、目線を下に向けるゆうことはあんまりなかったですね。ちゃんと聞いて何を言っているかいうのを自分で理解せないかんですから。弁護人も男2人で、被告人はお酒を飲んではって酩酊していたんちゃうかと。せやから、まぁ体が勝手に動いたっちゅうことで、酒のせいだと言うてはりましたね。
でもね、被告人に恨みはあったと思いますね。自分の領域を、自分の築いた事業を侵されているんですからね。やっぱり殺意っちゅうのはあったんちゃうかと思いますね。
「見て聞いて分かる裁判」を体現するかのような検察官による冒頭陳述は、濱さんを釘付けにした。一方で、弁護人の無理な言い分にも、まずは聞いてみた上で冷静な分析を加える。初日午後からの初公判はここまでで、種々の事務手続を終えて、裁判所を出る頃にはすっかり日が暮れていた。
裁判所出たのは、19時頃だったんちゃう? 17時頃に公判終わって、翌日の説明。朝はどっから裁判所に入ってもらうとかの説明やったと思いますね。外に出た時は真っ暗けやった。(閉庁しているから)裏から出ました。裁判所の(正面)玄関から入ったんは初日の朝だけ。2日目からは入るのも出るのも裏から。始めに裁判長から、「労組が関与している」という話があって、出入りは裏口やし、トイレも固定の場所だけ使用。
法廷で直感した異様さが実感に変わる。もう一つ、濱さんが直面した現実が印象深い。
何日目だったか忘れましたが、法廷から評議室までの廊下で、他の事件の被告人とすれ違ったんですよ。その時、手錠されとって紐(腰縄)で結わわれてて。うわっ!? これが裁判所なんやって実感しましたね。やっぱり裁判所に来たんやなっていうイメージが湧きました。怖くはなかったですよ。
報道などでは見ない剝き出しの手錠姿は衝撃の光景だったのだろう。それにしても、法廷と評議室を結ぶ動線上で、他の事件とはいえ被告人とすれ違うケースを初めて聴いた。
(2025年08月15日公開)