裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第8回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第8回

それはそれ、これはこれ

濱 清次さん

公判期日:2011年9月2日~9月14日/大阪地方裁判所
起訴罪名:殺人未遂ほか
インタビューアー:田口真義


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濱清次(はま・せいじ)さん(2025年4月14日、筆者撮影)

神さま、機械様!

 2025年4月、私はLJCC(Lay Judge Community Club)大阪交流会へ参加するために、新大阪行の新幹線に乗車していた。奇遇にもその日は、「大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)」の開幕日ということで、車内は家族連れや海外からの観光客でいっぱいだった。そして、この時より遡ること55年前、日本で最初の万博もまた大阪で開催されていた(1970年日本万国博覧会)。戦後の高度経済成長を経て、世界から経済大国と認められた日本にとって重要な国家的イベントだった。その70年大阪万博の開会式において、華々しい表舞台の裏で、人知れず汗を流していた者たちがいた。そのうちの1人が濱清次(はま・せいじ)さんだ。

 濱さんは、茨城県で生まれてすぐに大阪府へ移住した。幻想的な田園風景は本当に幼少期の記憶のようで、今では根っこから関西人である。大阪で根を張った彼は、日本電信電話公社(現在のNTTグループ)で長いこと無線通信の業務を担ってきた。

 歴史に記録のない驚きの出来事を思いがけず耳にした。日本で初の万博開会宣言を全国が、「宇宙テレビ中継」を通じて世界が固唾をのんで見守っていたその時、とんでもないトラブルが発生していて、とんでもない方法で乗り切ったというまさに逸話である。半世紀以上の時を経て明かされた事実と、通信のプロである濱さんが繰り出した昭和感丸出しの「神の手」に大笑いした。舞台裏で人知れず流していた汗は、冷や汗のほうだった。

 その後も長い間、社会インフラを支える電気通信事業に携わってきた濱さんだが、裁判員当時は賃貸マンション等における管理人のアルバイトに身を置いていた。そして、83歳となった現在は、お連れ合いの介護を兼ねて主夫業に専念している。

 賃貸物件の管理人は、物件で起きるあらゆるトラブルの最前線となる。濱さんは管理人として2ケタに及ぶ独居死や孤独死に遭遇したそうだ。今は悠々自適の好々爺である彼の裁判員経験を聴かせてもらおう。担当した裁判は、少々複雑な殺人未遂事件だった。

LJCC大阪交流会に初参加する濱さん(右から2人目)(2015年4月12日、LJCC提供)
LJCC大阪交流会に参加する濱さん(左端)(2025年4月13日、LJCC提供)

えらいことになった──選任手続

 ご自宅に届いた候補者登録通知を冷静に受け止める。当時69歳だった濱さんには断るという選択肢はなかったと言う。そして、忘れかけていた頃に呼出状が届く。

 とにかく行くだけ行ってみようと、濱さんは約1時間をかけて大阪地裁へと向かった。

 事件は、労働組合に加入した従業員と経営者の間に起きたいわゆる労働争議の果ての殺人未遂だった。被害者の2人が加入した労働組合により、「無期限ストライキ」と称して事業所の敷地が占拠され、経営が悪化したことなどから、飲酒により酩酊状態となった被告人(経営者)が、包丁で被害者(従業員)を刺したという内容だ。

 労組が絡むという事件に濱さんは少し躊躇した。しかし、候補者控室に設置された大型モニターに自分の番号が出てしまう。

 行ってはみたが、やりたいもやりたくないもなく臨んだ裁判員等選任手続。好奇心だけで乗り切るにはやや込み入った事件だった。それでも濱さんは、豊富な人生経験と持ち前の明るさで、裁判員に挑戦した。

 男性4名と女性2名の正裁判員、男女1名ずつの補充裁判員は、会社員や主婦、会社経営者に料理人のほか重度身体障がい者の方もいて、介護者を伴ってストレッチャーで参加されるなど、本当に多様な合議体となった。

 選任手続日の午後から初公判という初期の運用ゆえの慌ただしさ。それ以上に、濱さんが直感した「異様な雰囲気」は労働争議ゆえの裁判だからだろうか。緊迫した空気に包まれた初公判が幕を開ける。

大阪地方裁判所(2025年4月22日、筆者撮影)

これが裁判所なんや!?──初公判

 それまで司法に関わる機会も関心もなかった濱さんにとって、すべてが初めてとなる刑事裁判は、「テレビドラマと一緒や」と感じたそうだ。唯一、イメージと違っていたのは被告人だったと言う。

 被告人には、飲酒による影響下での犯行で服役した過去があった。そして今回もまた、飲酒による酩酊状態だったとして殺意を否認している。検察官、弁護人双方の冒頭陳述はどうだったのだろうか。

 「見て聞いて分かる裁判」を体現するかのような検察官による冒頭陳述は、濱さんを釘付けにした。一方で、弁護人の無理な言い分にも、まずは聞いてみた上で冷静な分析を加える。初日午後からの初公判はここまでで、種々の事務手続を終えて、裁判所を出る頃にはすっかり日が暮れていた。

 法廷で直感した異様さが実感に変わる。もう一つ、濱さんが直面した現実が印象深い。

 報道などでは見ない剝き出しの手錠姿は衝撃の光景だったのだろう。それにしても、法廷と評議室を結ぶ動線上で、他の事件とはいえ被告人とすれ違うケースを初めて聴いた。

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(2025年08月15日公開)


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