裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第8回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第8回

それはそれ、これはこれ

濱 清次さん

公判期日:2011年9月2日~9月14日/大阪地方裁判所
起訴罪名:殺人未遂ほか
インタビューアー:田口真義


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法廷での記念写真を手にする濱清次さん(2025年4月14日、筆者撮影)

静かな法廷──公判

 2日目の朝、濱さんたち裁判員は大阪地裁の裏口から入り、証拠調べから始まる公判に臨んだ。

 豊富な人生経験と言えばそれまでだが、独居死や孤独死に関しては表現するのが憚られるような状況をいくつか聴いた。それでも最後はちゃんと笑いをとりにくる。

 そして、被害者2名のうち、重傷(入通院加療約2カ月間)だった1名を含む様々な証人が証言台に立った。

 被害者は、個人ではなく組織の中で動いていたため過度な被害感情が芽生えないのだろうか。一方の、被告人もまた口数が少ないとなると思ったより穏やかな法廷だ。「傍聴席も静かでしたね」と濱さんは言う。

 それよりも、頻繁に法廷と評議室を行き来するとタイムロスが大きいと思えたが、「法廷のほぼ隣が評議室」という位置関係だったらしい。おそらく、ストレッチャーを使用して公判に臨んだ重度身体障がい者の裁判員のために用意された法廷と評議室なのだろう。しかし、その方は残念ながら中途解任となった。

 前作『裁判員のあたまの中』にも車椅子の裁判員経験者(「バリアフリーの裁判所 山﨑剛さん」143頁~)が収録されているが、身体の障がいは裁判員をやれない事由にはならない。それでも、身体の不調だけはやむを得ない。本人もさぞかし悔しかっただろう。そして、通常と違う動線で法廷と評議室を結んだため、濱さんたちは手錠に腰縄で拘束された被告人とすれ違ったのかもしれない。

 やがて公判は、懲役8年という検察官による論告求刑と、懲役3~4年が相当という弁護人の求刑意見が出て、5日目に結審した。実は評議に入る前の公判中、濱さんは裁判員の中の1人と飲みに行っていたそうだ。

 職場から無給宣言をされていた濱さんにとって、有り難い酒だったのかもしれない。お互いを番号で呼び合う客を周囲はどう見ていたのだろうか。他方で、酒を酌み交わし親しくなったとしても、評議に影響することはなかったと言う。「あくまでも自分。それはそれ、これはこれです」とのことだ。

居心地よろしい──評議~判決

 評議は2日間。殺意の有無に争いがあったが、裁判長から無罪推定などの説示は記憶にないそうだ。その上で濱さんは、「あくまでも自分」という意見を放った。

 これまで、文字通り好々爺の表情だった濱さんが鋭い眼差しになった。興味深いことに評議室では、量刑検索システムを自由に使って過去の判例を調べることができたらしい。

 結局、酩酊による影響は認められない一方で、被害者の被害感情を過度に汲むこともなく、懲役5年という結論に至った。息をのむ展開だったが、いつもの柔和な表情に戻った濱さんが、また面白いことを言い出した。

 人の人生を左右するような重苦しい雰囲気とは裏腹に、快適な評議室を満喫される濱さんの姿が思い浮かぶ。そして、午後一番の判決公判で、被告人に懲役5年という判決を言い渡した。

 最後まで静かだった法廷をあとにして、濱さんは8日間の裁判員を務め上げた。裁判所から受け取った裁判員として従事した証は、珍しい「出頭証明書」(以下参照)だった。

 そして、被告人、検察官双方から控訴の申立てはなく、判決が確定した旨と労いの言葉が添えられた裁判長からの手紙(以下参照)が控訴期間経過後に届いた。

「出頭証明書」(単純に「証明書」が主流)
「判決確定の通知」(自然確定)

「濱さん節」──裁判後

 裁判員経験者となった濱さんに、守秘義務とは別次元の「無関心」という壁が立ちはだかった。他方で、裁判所主催の意見交換会に参加した際に、他の事件の裁判員経験者たちの話を聞いて驚きと興味が湧いたそうだ。その後、LJCC立ち上げの報道を目にした時にはすぐに連絡をいただいた。大阪での交流会はもちろん、刑務所や少年院の見学にも積極的に参加されてきた。

浪速少年院見学に参加する濱さん(左端)(2019年10月17日、LJCC提供)
浪速少年院で説明を聞く濱さん(左端)(2019年10月17日、LJCC提供)

 裁判のその先を知るための刑事施設見学は、大変だが実り多き企画だ。すでに出所しているはずの元被告人に対しては、どんなことを思うのだろう。

 ベロを出さずに事業の再興に奮闘していることを願う。そして舌が温まってきたのか、またしても「濱さん節」が飛び出した。

 言わんとするところはわかる。だが、「AI裁判」は決して入ってはいけない禁断の領域だと思う。最後に、もう一度裁判員をやる機会が巡ってきたらどうだろう。「濱さん節」なしでお願いしたい。

 お連れ合いのために、毎日3食の手料理を作る職人肌の濱さんなら、いくつになってもイケるはずだ。そのお連れ合いの病気とコロナ禍で中断した「東海道五十三次ウォーキング旅」も、いつか再開してゴールの日本橋で再会する約束を果たしてもらいたい。

(2025年4月14日インタビュー)


【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
第5回 背広にネクタイが定石(田中洋さん)
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(2025年08月15日公開)


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