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毛利甚八

事件の風土記《2》

権力の古典的風貌

松川事件 その1


  • 東北線金谷川駅と松川駅の間
    1949年8月17日午前3時半頃、東北線金谷川駅と松川駅の間で、準急列車の機関車が脱線転覆、機関士1人と助手2人が即死した。写真は2003年現在の事故現場跡。線路右側に記念碑と慰霊塔がある。

 

 愛らしい顔をした大学生たちが私を取り巻いていた。顔にニキビひとつない、清潔で、明るい、男の子と女の子が数人だ。彼らは法律を学んでいる。

 「裁判員制度になれば、冤罪事件はなくなるのでしょうか?」

 「なくならないかもしれない」。私は言う。

 「裁判官が被告人よりも仲良しの検察官の言い分を信用するタイプの冤罪は減るかもしれない。だけど、裁判員が被告人を犯人だと信じ込む冤罪が生まれる可能性は残ると思う」

 なぜ? 学生たちはきょとんとする。

 「なぜなら、テレビを眺めているうちに、いつのまにか多くの市民の心の中に幻想の『権力くん』が棲むようになったからさ。『権力くん』が棲みつくと、自分が警察や検察と同じ立場にいると思い込む。被疑者や被告人は、自分とはまったく違う人間だと信じることができるんだ。しかし、だからこそ、そういう自分たちを変えるために裁判員制度は必要なんじゃないの?」

 「そっかーっ」

 こういう青年たちに、松川事件のことをどう伝えればよいのか。

 そもそも私ですら、年齢的にこの事件を想像力でしかとらえることはできないし、この毒々しくて愚かな、あまりにも古典的な権力の行動様式を呆然と眺めるばかりで、うまく信じることができない。

 はっきり言えば、松川事件は身も蓋もない冤罪事件である。

 昭和24年、第2次世界大戦が終わったばかりの米軍占領下の日本で、特高時代の感覚が抜けきらない検察と警察が、列車転覆事故の現場近くで労組活動をしていた福島の青年たち20人を検挙・起訴した。起訴の最大の根拠は、実際は顔さえ知らない者の混じる20人が転覆工作の謀議をし、実行したという自白だった。

 自白した被告人は当時19歳、知りあいの女性を強姦したという偽りの被害調書によって別件逮捕され、自白を強要された。

 この自白は法廷で覆されたが、裁判所は一審で5人に死刑判決(ほかに無期5人、3年6月から15年の懲役刑10人)を下している。判決日だというのに判決文さえ書かれておらず、抗議した被告人20人全員が退廷を命じられたなか、裁判官たちは、つかえつかえ宣告したのだという。

 二審では4人に死刑判決(ほかに無期2人、3年6月から15年の懲役刑11人、無罪3人)が下されたが、その際、被告人たちに抗議された鈴木禎次郎裁判長は「(被告が)やっているかやっていないかは、神様しかわかりません」と発言している。

 当時、国鉄は大量人員整理の発表で揺れに揺れていた。松川事件発生直前に、下山国鉄総裁が轢死体で発見される下山事件(同年7月5日)、中央線三鷹駅で無人列車が暴走する三鷹事件(同年8月15日)が起きたばかりであった。

 占領当初、GHQはファシズムを一掃するために、ことさらに美しい民主主義を移植しようとした。私は占領軍の一員としてやってきた米国軍人のなかに、第2次世界大戦の結果の悲惨さを反省する素直な心を持つ人々がおり、その人たちが日本という国を愛した結果が日本国憲法や少年法の理念となって顕れたと見ている。

 その人たちが去り、米国は日本を極東支配の道具として見るようになった。事件の翌昭和25年には朝鮮戦争が始まる。太平洋戦争を支えた日本人を追放するよりも、それを利用する方向にハンドルが切られ始めていた。この年のはじめ、第23回総選挙で共産党国会議員が35人も当選しており、日米ともに共産党や労働運動が目障りな存在になり始めた。

 そのようななかで、列車事故が三鷹事件に続いて起こり、ある地域の労働運動の主だった人材が予定されていたかのように逮捕される。逮捕され、新聞が犯人の名を書き立て、一審で死刑判決まで出れば、当然、「労働運動は悪である」というイメージが浸透し、運動そのものは萎縮する。あとがどうなろうと、仕組んで世の中が沸騰した瞬間に、目的は達せられているのである。

 自白が否定され、客観的証拠のない被告人に向かって2度までも死刑判決を下した裁判官たちは、みじめな操り人形にすぎない。

 後に差戻審で全員が無罪となるきっかけは、被告人の1人が国鉄労組福島支部事務所で謀議に加わったとされる犯行当日に、東芝松川工場で会議に出席していたアリバイを裏づける会社の記録・諏訪メモの発見だったが、検察側は押収したままその存在を秘匿し続け、副検事が8年もの間、転勤先まで持ち歩いていた。彼らが法の支配のもとにではなく、組織論によって生きていることは明らかであろう。

 私は学生たちにこう言うことにしよう。

 「僕たちの国はかつてイラクのようでもあり、北朝鮮のようでもあった。テレビを観て、簡単に他国を笑ってはいけないよ。僕たちの目の前に新しいものは何ひとつないのだ」。

(季刊刑事弁護36号〔200310月刊行〕収録)


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