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毛利甚八

事件の風土記《4》

死の恐怖を超えて 仏道に打ち込む

福岡事件 その4


  • 西武雄氏が書き残した日記
    西武雄氏が昭和40年頃に書き残した日記で、短歌の創作ノートともなったもの。獄中の動揺、寂しさ、仏道への思いが率直に綴られている。

 福岡事件は58年の時が過ぎ去った「冤罪事件」である。当時の話を聞けば聞くほど、背景に敗戦直後の特殊な時代状況が浮かび上がる。どの人間の横顔にも、敗戦と国家観の転倒によって、魂の底が抜けたような虚無主義が見え隠れする。

 石井健治郎は闇市で賑わう焼け跡を、仕立てのいい背広にソフト帽をかぶり、拳銃を懐に入れ歩いている。石井はノモンハンで生き残った人間爆弾の一人だった。終戦間際にはソウルから釜山まで、3台のトラックを使って敗走する日本兵を運び、あぶく銭を手にした。九州に戻った石井は、北九州で占領軍関係に物資を動かすブローカーだったという。懐の拳銃は友人に売買を託されたものだが、その端正な容姿と大胆な行動力は、ギャング映画の主人公のような男ぶりであった。

 西武雄は事件の前年まで西日本芸能社の社長だったが、もともとは長崎県で水揚げされる魚を買いつけ、郷里の福岡県朝倉郡周辺に卸売りするのが本業である。芸能会社の社長という肩書きは、戦後の預金封鎖で使えなくなった自分の金を、劇団をやりたいという青年・藤永清喜に提供した見返りだった。藤永は銀行員の友人と謀って西の預金から、本来なら引き出せない百数十万円の金を引き出し、劇団経営につぎこんだ。36名もの劇団員を構え、歌・踊り・オペレッタを呼び物に九州一円を興行したが、1年で経営が破綻した。西は、藤永と出会ったばかりの関係だったが、返済を催促することはなかったという。

 西は30代前半ながら他人に貫禄を感じさせる男で、鷹揚な親分肌であった。その風格を買われて軍服の持ち主役を依頼され演じたことが、冤罪に巻き込まれるきっかけとなった。軍服取り引きの売り手と買い手の2人が殺されたため、事件の主犯と目されたのだ。

 福岡事件に連座した人々はこの2人の兄貴分を核とした2つのグループとその仲介者からなる若者5人であり、育ちがよく、わずか2年前まで国家のために生命を捧げるつもりで生きた20歳前後の青年ばかりだった。彼らは石井とともに事件現場に居合わせた。銃の売買のために集まった若者たちと軍服売買のトラブルがはっきりと意識されないまま交錯するのである。

 「私は現場から20メートルくらい離れた場所におりました。人の細かい表情は読みとれないくらい夕闇が暗かった。列車の走る轟音が遠ざかってから、パンパンと銃声がしたんです。近寄ってみると、道路に2人の死体があった。私はあわてて、人通りの真ん中に置いとっちゃいかんよと言った。すぐ横に事務所の門があって、その影に隠すためにみんなで引っ張っていった。みなちりぢりに現場を離れた。私は西さんから軍服の取引については一切聞かされていなかったから、事情はまったくわからなかった。警察では『西は一言もしゃべらんぞ。殺しとるお前たちは死刑たい』と言われて、当局の思いどおりに誘導されていくわけです。そして、自分の調書を読み聞かされて、そこは違うと異議を唱えると、『いいんだそのくらい。法廷で言え』と訂正してくれん。そして法廷で、意見を言おうとすると裁判官は『黙れ!』と怒鳴る。とにかくメチャメチャよ。都合よく、罪になるように調書ができてしまった。事件直後、西さんは熊本(軍服の売り手)を石井が撃ったせいで、熊本から来るはずの金が出なくなったと怒っていた。西さんは殺人とは関係がなかった」(藤永清喜氏)。

 この事件が冤罪事件として特異なのは、古川泰龍という教誨師が支援者となって、人生を賭けた鬼気迫る雪冤運動を行ったこと。そして、獄中にあった西武雄が仏教に帰依して純粋な精神生活を送り、その軌跡を仏画や写経として残したことであった。しかも並みの水準ではない。仏画も写経も、息を詰めて見入ってしまうような精緻さなのである。

 その暮らしぶりを伺うために、短歌の創作ノートとも日記ともとれる書きつけから引く。

《一月三十一日(年代は不明――引用者注)

 午前四時半起床 教行信証浄書……佛恩の深遠なるを知りて正信念佛偈を作りて曰ク」これから正信念佛偈の行になるので、字体の配列を一段下げるのと、字配りの(ママ)違うので下敷きを作りかえる。(中略)

 春寒や咳きつつ点字打つ死囚

 隣房の若い死刑囚は風邪を引いたのか、昨夜から頻りに咳き入っているようである。そしてその間を縫うようにコツコツコツコツと点訳する音が響いてくるのである。あわれをさそう念佛行なのである。人を殺したから死刑になる。なるほど当然のようである。然しその反面、昔ながらの敵討ちの武士階級の制度を法の力で代行しているみたいで、口実をつけた殺人行為を反覆しているみたいで嫌な感じである。……この若い死刑囚たちを、今ここで殺して了えば、手続き上では事はすんだとしても、念佛の上から見ると、口実をつけて死刑を執行した人たちの殺人行為は、その責任は誰が引き受けてくれるのだろうか、と叫びたいほどである。》

 今(2005)年、福岡事件の再審請求が行われる予定だが、死刑囚が生命を断たれた後での再審請求は、日本では史上初めてのケースとなるという。死の恐怖を超えて仏道に打ち込み、自らの心を凝視している者が嘘(否認)を続ける必要があるのか。28年にも及ぶ獄中生活を通じて、根拠のない無罪を主張し続けることができるものか。残されたテキストをもとに、死刑囚・西武雄の内面がよくよく観照されるべきだろう。(文中敬称略)

(季刊刑事弁護42号〔2005年4月刊行〕収録)


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