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第2回

弁護士・児玉晃一さんと入管収容者の死亡事件をめぐるストーリー

これまで20年の闘い、これから20年の闘い


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続けているわけ「自分たちは間違っていないのだ」

 入管事件をめぐる弁護士たちの闘いは過酷だ。定期的に入管施設に通うことになるため、かかる労力が大きいし、お金にもならない。依頼者が外国人なので、当事者や遺族の身元の確認すらままならない。そして何よりも、なかなか裁判に勝てない。

 「恒常的に取り組んでいる弁護士は、20〜30人しかいません」と児玉弁護士は言う。

 それでもなぜ、闘い続けるのか。

 「イギリスへ視察に行ったときに確信しました。自分たちが正しいのだと。間違っているのは日本の入国管理局であり、入管のやっていることを正しいと認めてしまう日本の裁判所なのだと」

 イギリスでは、入管施設に収容されている外国人の人権には当然のように配慮がされている。外に出るための仮放免の手続きは迅速におこなわれるし、視察委員会も日本のように権限や資源に限界があるものではなく、施設を徹底的にチェックしている。

 「それでも入管当局が、収容者の人権を脅かすようなことをすることもある。でもそんなときには、裁判所がおかしいと言ってくれる。歯止めになってくれる。これは日本と決定的に違う」「イギリスでいろいろな人に話を聞いて、勇気をもらいました。日本では自分たちがやらないといけない、諦めたら全然変わらない、と」

変えていくためには「自分の友達のことになること」

 「でも日本では、社会がこの問題に興味を持っていない」と話す児玉弁護士。

 「素朴に見ておかしい、ひどいと感じるようなことが施設の中でされていても、いや不法滞在している外国人に6カ月も自分たちの税金を使ってご飯を食べさせている方がおかしいという意見を持つ人もいる。自分たちも厳しい状況にいるときには、他に虐げられている人にまで、考えが回らない。社会が余裕を持てるためには、社会全体が豊かにならないといけない」

 「でもそれだけではなくて、意識が変わることが大事なのです」

 これから、日本に住む外国人は爆発的に増えていく。

 「関係ないと思っている人たちも、同じ人間だという意識をどれだけ持てるか。人数が増えることによって身近に感じる人が増えていく。ああ普通の人だと分かっていく」

 もし冒頭のカメルーン人男性が、イラン人の小学生たちが、自分の友達だったらどうだろう。「人権意識を持って」というと大きく聞こえることも、隣の友達のことと考えれば、彼らへの人間的な扱いを切実に求めることが、当たり前のことになる。

 「10年前に、日本で交通事故死したスリランカ人の訴訟をやりました。一審では遺族がもらう死亡慰謝料が2500万円と認められたのですが、2500万円だとスリランカの物価水準に照らして高いのではということで、二審で500万円に減らされてしまった。最高裁で争うことになって学者の先生に相談しに行ったときに、こう言われました」

 「『社会が変わると、理不尽な判断も変わっていきます。たとえば昔は、専業主婦が交通事故に遭ったときには、働けなくなったことに対して支払われる額はゼロだった。当時、専業主婦の労働がお金の価値で認められていなかったことのあらわれです。でもそれが、女性の社会的地位が見直されたことで、変わった。今はゼロなんてありえません。司法の場における変化ではなくても、社会の意識が変わってくることで、おのずと変わることがある。理屈だけじゃないのですよ』と」

 「事実、もうすでに変わってきていると感じます。外国人の存在は自然と身近になってきている。小学校の同級生に外国人がいるという人が増えてきている」

 「自分の友達の問題として扱えるようになってくると、意識も変わる。社会の意識の変化があれば、その影響で、立法府や裁判所の考え方も変わるかもしれない。だいたい20年遅れではありますけどね……」

 児玉弁護士は20余年後の未来に願いをこめながら言う。

 「それまで私は弁護士として、ホームグラウンドである法廷の場で闘い続けて、心ある裁判官の判断を待つ。時間はかかるけれど、必ず通るはずだと思っています」

(2021年03月26日) CALL4より転載

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