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第3回

大江千束さん・小川葉子さんカップルと同性婚訴訟のストーリー

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25年を経た今踏み出す、同性カップルの大きな挑戦

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)


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小川さんの話/1970年代

 「10代のころは、早く歳をとりたいと思っていました」と、小川葉子さんは話し始める。

 「病気かなと思っていた。仲間もいないと思っていた。広辞苑で調べても、『異常性愛』とか、そんな言葉しか出てこなくて。結婚なんてできないだろうし、誰とも分かち合えないまま白髪のおばあちゃんになって死んでいくだろうなって思っていた。だから早く歳をとりたかった」

 「それが、レズビアンのコミュニティで救ってもらった。『あなただけじゃないんだよ』って。『いっぱいいるからね』って」

 55歳になる小川さんは今、パートナーの大江千束さん(58)と暮らして20余年になる。そのころから家にいるペットのインコも、もう20歳を超える。

ふたりの暮らし/1990年代

 ふたりがパートナーになったのは25年前。30代のころレズビアンのコミュニティを通じて知り合い、付き合い始めた。大江さんはメーカーやケーブルテレビの会社、小川さんは種苗会社などを経て、現在はふたりとも相談支援事業の現場で働いている。

 「最近では職場も一緒になって、いつも顔を突き合わせているから大変なこともあります」と笑う小川さん。一緒に過ごした25年というのは異性の夫婦であれば銀婚式の期間だが、法律上の「結婚」ができないふたりには数え始めの「入籍日」はない。「パートナーになって25年、一緒に暮らして20数年」と自己紹介する。

 一貫して共働きのカップルであるふたり。生活を始めた当初は経済的にも家事に関しても対等でいようと考えていたが、「20年以上経つと、きっちりと半々に割らなくてもいいよねと思うようになりました。家事も得意な方がやればいいし、稼ぎもそのとき多い方が出せばいい」と変化を語る。

 仕事と並行してふたりは、レズビアンやバイセクシュアルの女性のためのコミュニティ、LOUD(Lesbians of Undeniable Drive)も一緒に運営している。「LOUDはもう、生活の一部。私たちが関わり始めてからの20数年で、ここに来てくれた人は延べ10数万人を数えます」

 ふたりが話を聞かせてくれたのもLOUDのスペース。LGBTQに関する書籍がずらっとそろった書棚に囲まれて、アットホームな空間だ。

25年間で分かったこと(大江さんの話)/2000年代

 一方、大江さんは早い段階から自らの性的指向を受け入れており、高校時代に彼女もいた。それでも家族に伝えるのは苦労した。

 「私は自分の人生にプライドも自信もあったし、何ひとつ間違っていないという自信もあった。でも、いざ家族や親戚を前にすると、気づいたら号泣していて、しゃくりあげながら弁明していた。そのとき私の中にあったのは、ものすごい緊張と、くやしさがないまぜになった気持ちでした。私の大事にしている人生を、なんで否定されないといけないのだろうって」

 それは、すでに小川さんとパートナーになって10年以上が経った、ある大みそかのことだった。家族・親戚が集まった場所で、大江さんのセクシュアリティが糾弾されることがあった。結婚もできないような人には欠陥がある、と言う親戚もいた。

 「そんな親戚に、父は一言も言い返せなかった。そのとき父のほうを見ると、ぐっと握りこぶしをひざの上で作って、真っ赤な顔でうつむいていました。私は泣いて親戚に説明しながら、早く小川さんの待つ家に帰りたい、帰って年越しそばを食べたい、と思っていました」

 「年が明けて父にまた会ったとき、父が言ったのは、『あのときはかばえなくて悪かったな』という言葉でした。それを聞いて、そうか、父はそんな風に思っていたんだって思ってびっくりすると同時に、自分だってどう伝えたらいいかわからないことを、家族が私に代わってうまい説明なんてできないだろうなって思うようになりました」

 「ほかにも、思い出したくないこと、忘れようとして忘れてしまったことはたくさんあります」というふたりが25年の歳月をかけて乗り越えてきたのは、彼女たち自身の感情だけではない。「当事者がかかえる課題はそのまま社会の課題であると、この25年でよく分かってきました」と大江さん。

 異性愛者のふりをして仕事をしていたこともあると話す大江さんだが、レズビアンコミュニティの仲間に支えられて、「自分らしく生きよう、見える存在になろう」と思えるようになったという。

 「コミュニティから勇気をもらったことのお返しをしたい、自分ができることはできる限りやっていきたいと、LGBTQの活動を通じて声を上げるようになりました」

(2021年04月09日) CALL4より転載

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