裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第5回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第5回

背広にネクタイが定石

田中 洋さん

公判期日:2012年3月21日~3月28日/東京地方裁判所
起訴罪名:殺人罪ほか
インタビューアー:田口真義


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田中洋(たなか・ひろし)さん(2025年1月21日、筆者撮影)

自宅が放火に?!

 2012年8月1日にLay Judge Community Club(LJCC)は設立された。裁判員経験者だけで構成された初の交流団体であり、各メディアからそれなりの質と量で報じられ、翌日には裁判員経験者からの問い合わせが重なった。その中でもダントツでメールを送ってくれたのが、田中洋(たなか・ひろし)さんだ。翌月に開催した最初のLJCC交流会に参加されたいわゆる一期生である。

 その時の交流会では、その年の春に裁判員を経験されたこと、大手百貨店に長年勤務して物流の細に至るまで精通していること、海外勤務での思い出など尽きることのない話題をたくさん提供していただいた。それからこの間、裁判員経験のお話は断続的にお聴きしてきたので、知ったつもりになっていた。

 かれこれ13年の付き合いになろうかというタイミングで、初めて田中さんの裁判員経験に向き合ってみる。だがその前に、彼には人生で忘れたくても忘れられない事件が起きている。ちょうど裁判員制度ができた2009年頃の話である。

 とても衝撃的な出来事に胸が締め付けられる。実は、私の実家も火事になって服から写真からすべてが灰になったことがあるので、その空虚感が痛いほどわかる。当時は、長年勤務した職場を定年退職し、その関連会社に再就職していたという田中さん。自宅再建には退職金を充てても到底及ばないほど費用がかかったそうだ。

 もし、気づくのが遅くて逃げ遅れていたら、自分だけ助かってお連れ合いが亡くなっていたら……。そんなことを想像するだけで、犯人のことを許せない気持ちが溢れてくる。現住建造物等放火の公訴時効(25年)まではまだ時間がある。一日も早い解決を望む。

 そんな田中さんが臨んだ裁判員裁判は殺人事件だった。それも保険金目的という悪質なものだった。

LJCC東京交流会に初参加した田中洋さん(中央)(2012年9月29日、LJCC提供)
裁判員記念バッジ(東京地裁No2287)

スイッチが入った──選任手続

 裁判員制度ができたことは知っていたが、「自分には関係ないし、全然興味なかった」という田中さん。確かに、その当時はご自宅のことでそれどころではなかったはずだ。それでも、再建された新居での生活が落ち着いてきた頃に裁判所からの通知が届いた。

 定年退職前は、大手百貨店の外商部ゼネラルマネージャーとして100億単位の取引を重ねてきた。再就職先でも営業開発の要としてその会社を引っ張っている。極めて重要なポジションだと思う。しかし、その温厚な人柄からか、いくつもの修羅場を乗り越えてきたような雰囲気を感じさせない。

 田中さんは「面白く楽しい経験」に期待して、意気揚々と裁判所へ向かった。

 選ばれる根拠というより、理由を示さない不選任の請求(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第36条・同規則第34条)を指して、選任対象外となる根拠が服装(身なり)というのも実は一理ある。田中さんは、選任手続の待ち時間に周囲を観察して、「あの人は選ばれそうだ、あの人は落ちるな」と想像して楽しんだそうだ。

 やがて、候補者控室前面に設置された大型モニターに自分の番号が現れた。

 自信たっぷりに何度も強調された「背広にネクタイ」が証明された。そして、男性5人、女性1人に補充裁判員が男女1人ずつ。30代から60代までのサラリーマンや自営業、正裁判員唯一の女性は主婦という構成の合議体は、即座に候補者控室から別室に通され、宣誓手続を行った。

 それまで田中さんの心境は、「面白そうだし楽しそう」という好奇心で満たされていた。しかし、この宣誓手続を境に変わっていった。

 「スイッチが入る」、この言葉に共感する裁判員経験者は多いのではないだろうか。ともすれば儀礼的な手続に映ってしまうが、一つの区切りやケジメとして行われる行為は、それをする人に自覚と責任感を芽生えさせる。あえて言うなら、日常と非日常の区切りのシーンだろうか。ともあれ、選ばれた8人は評議室へ移動し、初公判に備えてガイダンスとレクリエーションを行った。

 この主婦の方の発言には大いに共感するし、納得もする。まさに、普通の一般市民が突然司法の場へと引きずり出されるのがこの制度だ。また、この頃の裁判員裁判ならではの入廷練習も行われ、翌週の本番に備えた。

3つの言葉──初公判

 事件は、同じ業種の社長同士だった2人が共同で合鍵製造会社を始めたのだが業績が振るわず、主犯のアイデアで従業員を雇い会社名義で借りたアパートに住まわせ、会社名義で保険をかけて殺害し、保険金2,000万円を詐取したといういわゆる保険金殺人だ。田中さんたち裁判員はこの事件の従犯にあたる被告人の裁判を担当した。

 被告人は公訴事実を認めている。それでも無罪推定の原則に沿った裁く者の鑑のような説示だと感嘆した。きっと、裁判長自身がこの言葉を自らに向けているのだろう。願わくは法廷で、公開の場で裁判員に説示して欲しかったというのは高望みだろうか。

 そして、練習時にはいなかった傍聴人で、いっぱいになった法廷に初入廷した。

 策を練るのは専ら主犯で、会社の業績が悪いのは自分のせいだという反省文を被害者に書かせてそれを遺書に仕立て、首吊り自殺に偽装して殺害するという残忍な手口だった。勝手な想像だが、被告人もまた主犯の謀略の渦に巻き込まれていたのかもしれない。

 それでも、やったことはやったこと。厳正に裁かれなければならない。田中さんにとっての初めての裁判は幕を開けた。

 拮抗しない両者。何事も初めての裁判員には、自信に溢れる検察官の振る舞いが輝いて見える。調べたら、弁護人の2人は2008年と2009年に弁護士登録をしている。裁判員元年ともいえる過渡期に司法の世界へ足を踏み入れたばかりの文字通り若手だった。

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(2025年05月14日公開)


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