裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第5回

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第5回

背広にネクタイが定石

田中 洋さん

公判期日:2012年3月21日~3月28日/東京地方裁判所
起訴罪名:殺人罪ほか
インタビューアー:田口真義


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資料を見る田中洋さん(2025年1月21日、筆者撮影)

アイツがアイツが──公判

 認めている事件とはいえ、共犯者もいて様々な証拠や証人が法廷に出てきた。

 強い。精神的なタフさは、それまでの人生で身についたものだろう。昨今の刺激証拠イラスト化に対する当事者目線での指摘もまた正論だ。

 証人尋問では、主犯となる共犯者や被害者の姉が証言台に立った。主犯は、後の裁判員裁判で無期懲役判決(東京地判平24・9・28)を受け、最高裁で確定している。

 殺されるための雇用、それも命の値段はたったの2,000万円とは、怒り以外の感情があるのだろうか。そして、裁判員からの質問は被告人に集中した。ここで、田中さんから興味深い裏話を聴かせてもらった。

 質問を預かる裁判員本人も、「私もそう思うから聞いてみます」と納得していたそうだが、珍しい事例を聴いた。一方で、田中さんの率直な疑問はご明察の一言だ。事件発覚までの間、警察も保険会社も疑問を抱くことなく、保険金は支払われていた。

 公判の終盤、検察官から懲役25年の論告求刑、弁護人からは情状酌量を求める最終弁論があり結審した。

反省の度合い──評議〜判決

 翌日、判決公判に向けた議論が朝から始まった。

 被告人の前科の取り扱いを評議の最初に説示できる裁判長が素晴らしい。判断者としてのフェアな姿勢は尊敬に値する。何度となく繰り返される模擬投票に、本当に疲れたと田中さんは言う。一方で、繰り返される議論の中で、こんな風にも感じていたそうだ。

 見かたの違う者同士が一つの事柄について真剣に議論することを、「これぞ民主主義」と田中さんは表している。

 それでも、朝から始めた評議は答えにたどり着けないまま夕方17時近くになってきた。そこで、とっておきのように裁判長が量刑検索システムを出してきた。

 過去の判例を参考にすることを前年比という捉え方をするあたりが商売人らしい視点で面白い。それに裁判長が提示したタイミングも絶妙だったのかもしれない。そして、その裁判長に返ってくるブーメランは一興だ。

 延長戦に入った評議だが、そこからは紛糾せずに懲役20年という結論に行き着いた。

 量刑検索システムの活用をどのタイミングですべきか、裁判官にとって悩みの種の1つである。少なくとも、今回のタイミングは評価されたようだ。全員が納得したという結論を翌日の判決公判で被告人に言い渡した。

ちょっと無理──裁判後

 脳だけが疲れる感覚は私も覚えている。人の人生を左右する経験とはそのくらいの負荷があっても不思議ではない。そして、公正さの象徴である何色にも染まらない黒の法服。権威ではなく謙虚な心で纏いたい。

 いずれにしても、無事に裁判員経験者となった田中さん。周囲からは興味本位であれこれ聞かれた。そんな中、ウォーキング仲間である会社の元後輩だけは、田中さんの話を真摯に受け止めた。

法服を着た田中洋さん
会社の元後輩が製作したDVD

 今は亡き元後輩が製作してくれたDVDは私もいただいた。このインタビューに負けないくらいアットホームな雰囲気の中、田中さんの経験談が記録された貴重なものだ。法服を纏う写真とともに笑顔の田中さんが納まる。

 それでは、あらためて法律家について率直な意見を聴いてみたい。

 被告人に対する態度への苦言は裁判長ではなく、陪席裁判官に向けてのものらしい。そして、サービス業を中心に民間企業への出向は斬新かもしれない。せめて研修への参加くらいはあってもよいと賛同する。

 冒頭に書いたとおり、田中さんは放火という犯罪の被害者でもある。今回の経験から犯罪というものへの見かたに変化は生じたのだろうか。

 相手が見えないからいろいろと想像してしまい、犯人=モンスターというイメージを抱きやすくなる。放火犯への畏怖の念と怒りの感情が田中さんの中で交錯する。他方、LJCCの活動で刑事施設をいくつも見学した。

 本当に飾り気のない正直な気持ちなのだろう。こういう人こそが裁判員をやる意義があるのだとあらためて思った。裁判員当時は60代、傘寿を目前にした今、もう一度裁判員の機会に恵まれたらどうだろうか。

 たとえ死刑事案だったとしても「もちろん」と答える田中さん。冒頭で触れたが、死刑には肯定的な意見なのだが、「死刑執行停止の要請書」(2024年5月提出)には署名された。その理由は、「冤罪の問題」だそうだ。

 実は、田中さんに法服を纏わせた裁判長は、その後に袴田事件の再審開始決定と同時に死刑の執行停止と釈放を命じた村山浩昭元判事だった(静岡地判平26・3・27LEX/DB25503209)。なるほど、今回の裁判員裁判の中での公正な姿勢の数々、振り返れば認めている事件なのに無罪推定の説示を丁寧に行った点など、納得できる場面がたくさんある。この時の裁判長の信念は確かに田中さんにも届いていた。

(2025年1月21日インタビュー)


【関連記事:連載「裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語」】
第2回 よそよそしい4日間(味香興郎さん)
第3回 許せない罪(西澤雅子さん)
第4回 私たちには優しい裁判長(吉中宏子さん)

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(2025年05月14日公開)


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