深謀無遠慮 第2回

取調べへの立会いの言い出しっぺは誰?

大出良知 九州大学名誉教授・弁護士


1 ミランダ判決が実現への第1歩

 前回取調べへの弁護人の立会いを実現する手立てについて考えてみました。それは、適正な取調べを実現する最も有効な方策だと考えられるからです。世界的には、1966年のアメリカ合衆国連邦最高裁によって言い渡されたミランダ判決1)によって認められることになったことは良く知られているところです。

1966年といえば、わが国では、学説上は、憲法の規定する黙秘権を実効的に保障するための取調受忍義務否定説(平野龍一『刑事訴訟法』〔有斐閣・1958年〕106頁)が既に主張されていましたが、実務では、取調受忍義務が当然の前提とされ、弁護人との接見交通でさえ、例外的に接見を認める具体的指定がない限りは、接見を一般的に認めないとする一般的指定方式によって不当に制限されていました。その違いは、余りにも大きかったといわなければなりません。

2 ミランダ判決以前に、日本にあった「立会い」議論

 しかし、実は、取調べの適正化の方策として「取調べへの弁護人の立会い」を考えるべきだとする議論は、ミランダ判決に先立ってわが国でも行われていたことがありました。そのことはあまり知られていないと思います。旧刑事訴訟法時代の人権侵害的捜査・取調べについての記憶がまだ鮮明な時期であった憲法や現行刑事訴訟法の制定過程での議論でした。結局は実現することにはなりませんでしたが、その経緯からは、その意義は、決して否定されていたわけではなかったと考えられるところです。ということで、あらためてその議論を簡単に振り返っておくことも意味のあることだろうと思います。

3 憲法改正過程のかなり早い時期の議論

 弁護士の立会いが最初に話題となったのは、憲法改正過程のかなり早い時期です。いわゆるマッカーサー草案が公表される前の1946年1月11日に、連合国総司令部内部で作成された「幕僚長に対する覚書」においてでした。

この文書は、日本の私的グループから提出された憲法草案を検討することを目的にしていました。この文書によれば、私的グル-プの草案は、人権保障にとって有意義な内容を含んでいるものの、なお「若干の不可欠な規定が入っていない」として次のように述べていました。「逮捕された場合ただちに弁護人を依頼する権利を認める規定を、憲法に設けることが必要であると考える。自白は、弁護人の立会いのもとでなされたのでないかぎり、いかなる法廷手続においても、これを証拠にすることができないという憲法上の規定が必要であるとの意見の表明があった。」と。しかも、続けて「それは極端な規定である。しかし、日本の法律家には、それは司法の運営を不当に妨げるものではないという意見をもつ者が数多く存する。」ということでした(高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程Ⅰ』〔有斐閣・1972年〕29頁)。

前段は、現行憲法34条ということになりますが、後段も一旦は次のように条文化されていました。「自白は、それが被告人の弁護人の面前でなされたものでない限り、効力がない。」(前掲・高柳賢三ほか編著233頁)。この条文は、現行憲法38条2項に該当する条文の一部として用意されたものでした。しかも重要なことは、この主張が、「日本の法律家」のアイディアに依拠していたと思われることでした。

しかし、この条文には、総司令部上層部から異論が出されます。「この規定は、犯罪を犯した直後に自然になされた自白を証拠として用いることを禁ずるものである。弁護人のついていないところでなされた自白も、強迫されずになされたのであれば、証拠能力を認められるべきである」というのでした。

これに対して、前記「覚書」の作成者からは、「この規定は、日本独特の悪習を防止する役目を果たす」との指摘があり、さらに日本の実情について、「日本では、伝統的に、検察官は、自白を手に入れるまでは事件を裁判所に持ち出したがらず、そのために、公訴を提起する以前に自白をえるためには、精神的肉体的拷問をしたり、おどしたり、どんなことでもする」と述べられていました。

残念ながら、この構想は、実を結びませんでした。総司令部上層部は、「日本において自白が広く濫用されていることは認めたが、強制、拷問もしくは脅迫による自白または不当に長く抑留もしくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない、と規定すれば、濫用の防止が十分に設けられたといえるであろう」と述べて、現行憲法38条2項の自白の証拠能力についての規定を設けることで対応することになりました(以上については、前掲・高柳賢三ほか編著213頁)。

4 議員から質問があった「立会い」問題

 しかし、この立会いの問題は、これで終わりませんでした。少し後の国会での刑事訴訟法制定審議の過程であらためて浮上することになりました。衆議院司法委員会の審議に際して(1948年6月21日)、議員から、「被疑者の取調べに立会えないとすれば、弁護人を被疑者につけるという意味は、大部分抹殺されてしまうだろう」との質問が出されることになりました。これに対して政府委員は「今の日本の段階におきましては、そこまでさせることは、捜査の敏活に差し支えある」として否定します。そして、その不十分性は、黙秘権と自由な秘密交通権の保障によって補いうると応えていました(第2回国会衆議院司法委員会会議録37号)。

その上で、後日、その政府委員が執筆に加わった解説書は、「被疑者の取調に、被疑者の弁護人に立会権がないことは、勿論である。しかしながら時宜により、捜査機関が被疑者の弁護人を立ち会わせることは勿論差支えない。被疑者の弁護人を立ち会わせた場合の被疑者の供述は、第三二二絛にいわゆる特に信用すべき情況の下になされたものということができると考える」としていました(野木新一ほか『新刑事訴訟法概説』〔立花書房・1949年〕121頁)。

5 黙秘権と秘密交通権によって補いうるか

 総司令部内部での議論からも分かりますように、当時、人権侵害的捜査に対する批判は、主として検察に向けられていました。政府委員は、検察官であり、検察内部には、そのような批判に対応することを考えざるを得ないという雰囲気があったのかもしれません。しかし、検察が実際に立会いを認めた実例があったのかは、定かではありません。また、検察の捜査に対する批判ということもあって、被疑者取調べは、主として警察の手に委ねられることになり、犯罪捜査規範にも、弁護人を立ち会わせることを想定した規定が置かれることになりました(180条2項)。とはいえ、実例があるのかどうかは、明らかではありません。

いずれにせよ、代替手段として想定された憲法38条2項や黙秘権、自由な秘密交通権が、有効に機能したとは考えられない以上、早い時点で立会権を保障する手立てを講じる必要があったと思われるのですが。

注/用語解説   [ + ]

(2019年02月27日公開)


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