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第12回

同性婚訴訟と坂田麻智さん、テレサ・スティーガーさんのストーリー

アイキャッチ

自分のアイデンティティに自信を持って、愛する人と生きていく

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)

撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)


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 「同性婚を認めないことは憲法違反です」

 満席になった法廷で、原告側の弁護士が立ち上がる。

 原告団は3列になって座っている。弁護士の落ち着いた声が、ぴりっと空気の張り詰めた法廷に広がり、静寂の中で傍聴人が耳を澄ますのが分かる。

 「性的指向や性自認は、深く人格と結びつくものです」弁護士は続ける。

 「同性婚を認めない規定は、性的指向や性自認という、人格に深くかかわり変更が困難な属性によって、人を差別し、権利を否定しています」

 弁護士の言葉のむこうに、京都で暮らすふたりの姿が浮かぶ。

アメリカで結婚したふたり

 京都の中心、黒い町家が並ぶ通りの一角に、細い間口の玄関がある。呼び鈴を押すと、しんと冷えた冬の風が通り抜けていく。

 石畳のむこうでガラガラと引き戸の音がして、興奮した犬がワッフワッフと飛び出してきた。「ロージー! しずかに」と澄んだ声がする。ロージーという名の犬を追いかけて、迎えてくれたのは坂田麻智さんとテレサ・スティーガーさんふうふだった。

 玄関を上がると、そこは梁の高い和風の家。「よく友達も飲みに来るんです」とふたりは笑い、古今東西のお酒が並ぶキッチンカウンターに、静謐であたたかい日常が見える。ダイニングテーブルのむこうには結婚式の写真が見えた。まぶしい青空にふたりのウェディングドレスが白く輝く、華やかな写真だった。

 アメリカで同性婚が法制化された2015年、スティーガーさんの故郷であるアメリカのオレゴン州で、ふたりは結婚した。

 結婚証明書には坂田さんとスティーガーさんの名前がある。坂田さんは「Party A(当事者A)」として、スティーガーさんは「Party B(当事者B)」として。日本の婚姻届に見られる「夫になる人」/「妻になる人」の欄はない。

 「以前はアメリカでも、Bride, groom or spouse(新婦、新郎、配偶者)だったのが、変わった。性別欄も、Female(女性)/Male(男性)のどちらかにマルを付けるのではなく、自分で書くようになっています」とスティーガーさんがいう。紙切れの1枚に、日米の違いが際立つ。

 婚姻と同時にふたりはオレゴンのポートランドを流れるウィラメット川沿いのホテルで結婚式を挙げた。

 「結婚式をきっかけに、母にも自分のことをきちんと話せた」坂田さんはいう。「結婚式で、テレサの家族が私たちを当たり前に家族として迎えてくれて、祝福してくれている様子を見て、参列した母も安心したと思います」

 ふたりが付き合い始めて7年後のことだった。

坂田さんが自分を受け入れるまで

 坂田さんは愛媛県出身。高校までを愛媛で過ごし、卒業後に渡米してアメリカの大学で学んだ。大学卒業後は、就職を機に帰国し、以来、今に至るまで大手電機メーカーに勤めている。

 「小学校高学年ごろから女の子が好きでしたが、性的指向に本当に気づいたのは高校2年生のころ」という坂田さんは、「まわりからあからさまな差別を受けることはなかったけれど、自分を受け入れることは難しかった」という。

 「いつもどこかで自分に自信がなくて、負い目を感じていた。セクシュアルマイノリティであることをハンデのように思って、『ハンデ』を補えるくらい仕事を頑張らないと自分の存在価値はないと思っていました」という。

 「テレサと付き合い始めてすこししたころ、仕事が激務で体調を崩し、休職していた時期がありました。それまで、LGBTが社会で認められていない中で、社会で認められるには仕事ができる人になるしかないと思っていたのに、その仕事で躓いてしまった。自分は仕事もできないうえにセクシュアルマイノリティで、ダメ人間なんだと思うようになって、よけいに落ち込んだ」

 「負の連鎖でした。でもそんな私を、テレサはいつも隣で見守ってきてくれた。『麻智は麻智のままでいいんだよ』ってずっと肯定しつづけてくれたテレサの深い愛の中で、私は、『こうでなければいけない』という考え方に縛られていたのは自分自身だったと気づきました。そして徐々に、『自分を否定するのはやめて、どんな自分も受け入れよう』と思うようになりました」

 「それにテレサは、完全にレズビアンである自分を受け入れている人。一番近くにいる人が、自分がレズビアンであることを恥じることなく、自信を持って生きている。これほど幸せで心強いことはありません」

 「テレサは、レズビアンであることで自分を否定するようなことは、一回もなかったって言います」

スティーガーさんが自分と向き合ったとき

 日本に住んで14年になるスティーガーさんは、「来日したときは男性と結婚していました。彼が日本で働きたいということだったので、私も仕事を見つけて一緒に来ました」という。

 「その人とは来日後にうまくいかなくなって離婚したのですが、離婚するまで私は、自分の性的指向に気づいていなかった。自分のことをよくわかっていなかったんですよね」

 「離婚が決まったとき、人生で初めて、すっごい独りだという感覚になったんです。そのとき初めて、ちゃんと自分と向き合いました。自分はどんな人なんだろう、自分がつながっていたいのは誰なんだろうって、考えた。考えた結果、自分が好きなのは女性だというところにたどり着きました」

 「それが、すごくしっくり来たんです。『よかった! ようやく自分の正体が分かった!』って思った。だから男性との結婚がうまくいかなかったんだ、と」

 スティーガーさんはそのときの「腹落ち」感覚を「すごく気持ちよかった」と振り返る。「同時に、ほんとかな? という疑問もあった。私はカトリック教徒で、それまで宗教的にも『異性と結婚して子供を作るのが幸せの道』と習ってきていたから」

 「でも、性的指向はそんな簡単なものじゃないと、このとき気づいた。いろいろ調べたり、レズビアンのネット掲示板でアドバイスをもらったり、友人に相談したりしながら、受け入れていきました」

 「そのあいだも、自分を否定することは、いっさいなかった。だって、何も悪いことしてないから。むしろ『私は自分が何者であるかを分かっている分、自信を持って生きることができる!』と思うようになった。そのときからずっと、職場にも友達にもオープンにしています」

 それからしばらくして、ふたりは友達として出会い、「仲良くなるうちに、話もペースも価値観も合う、好きだなと思うようになった」と、ほどなくして付き合うようになり、一緒に暮らし始める。「付き合い始めたころから、麻智とずっと一緒にいたいと思っていた。

 だから付き合って4年目にこの古い町家を見つけたとき、一緒に購入することを決めました。ふたりでアメリカに行くことも一瞬考えたのですが、日本の生活の方が合うと思って日本に住みつづけることを決め、家をリノベーションして住み始めました」

変化はあれど

 ふたりがこの家で暮らし始めてから7年が経つ。

 「7年のあいだに変化はいろいろあって、LGBTを取り巻く社会の動きや報道にも変化を感じます」と坂田さん。

 「休職中に、村木真紀さんと『なんで会社生活しんどいんだろうね、何かできないかな』と話していたことがきっかけで、虹色ダイバーシティ(現在NPO法人)を一緒に立ち上げて、今も理事を務めています」

 「当時、欧米では、企業の中でのルール作りがすでに始まっていました。LGBT社員を考慮した職場のルールや、配偶者としての福利厚生を作るといったものです。でも日本では、それを専門とする活動団体もなくて、外資系で取り組みを始めている会社はあっても、日本企業での取り組みはほとんどなかった」

 「そこで、私たちが日本でもその分野を進めていこう、社会の理解を変えるために、まずは社会を構成する人たちが働く会社の中から変えていこうと考えました。そこで、まずはLGBTを知ってもらうことをメインに、企業相手の研修を始めました」

 「今も企業や行政相手の研修やアンケート調査をやっていますが、企業や行政の取り組みについては、ここ2〜3年で大きく変化してきたように感じます。パートナーシップ制度を導入する自治体も増えていますし、私が勤める会社でも2016年から、同性パートナーも配偶者と同等の福利厚生が受けられるようになりました」

 「でも、企業や自治体での取り組みにも限界があります。会社が変わっても、社会の意識が変わっても、国レベルで同性カップルが法的に保障されなければ、日々の生活で不安が消えることはありません」

(2021年09月10日) CALL4より転載

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