
テレビ屋稼業
2013年春、まもなく裁判員制度4年というタイミングで、名古屋のテレビ局から取材依頼の電話が入った。その4日後には記者とカメラマンの2名が私の仕事場まで来ていた。在名テレビジョン放送局、いわゆる準キー局の名刺を持って現れた2人のうち、テレビカメラを回していた方が宇杉公一(うすぎ・こういち)さんだ。
「これって誰でも選ばれる可能性があるんです! それも突然くるんですよ!」
取材から約1週間後に、東海三県でオンエアされたニュース番組内の特集で、宇杉さんは自らこう語っていた。取材時に裁判員経験者だと聞いた時は驚いた。もちろん、その場でLJCC(Lay Judge Community Club)に加入していただいたのだが、そのような形での出会いだったため、しばらくは彼をカメラマンだと思い込んでいた。
テレビ業界に42年。大学卒業後、(映像系の)専門学校の先生から音声のバイトを紹介されて、「演出やりたかったら、聞いてみるけど?」と言われて就職。最初は、三脚持ちやフィルムチェンジなどのカメラ助手から、運転手までなんでもやらされました。
26歳の時、準キー局で番組を作って実質のディレクターデビューですね。その時は、別なテレビ局の番組も合わせて4本くらい掛け持ちしていて、そのうち郵政省(現総務省所管)からも仕事が入ってきて東京へ。売り上げが良くてずるずると……結局、東京には9年いましたね。
親父が亡くなってすぐにお袋が多発性骨髄腫になって、36歳で会社辞めました。1995年、バブルも弾けたし、ちょうどいい頃合いだと。名古屋で専門学校の講師なんかもしながらフリーランスとして起業もして。だから、肩書は記者とか報道番組のディレクターとか、いろいろです。「テレビ屋」がいいです。
バブル期のテレビ業界を東奔西走していた宇杉さんは、カメラマンで収まるような方ではなかった。ポジティブな意味で「テレビ屋」は的を射ている。
京都出身の宇杉さんは、関西弁のイントネーションで話す。学生時代を過ごし、名古屋のテレビ局で番組制作に携わってきたことが、彼をこの地に根付かせた。
初めはグルメの特集とかスズメバチの番組を作ってました。そうしたら、戦後60年(2005年)くらいの頃から、なぜか沖縄戦を扱い始めたんです。名古屋の局やのに、1年間で沖縄のことを4本も5本も出すんですよ。まわりから名古屋にも戦争の災禍はいっぱいあるよって、それでやりだしたら面白くて。そうやって徐々に(報道番組系へ)スライドしていったんです。2004年からは、そのテレビ局に常駐してましたし。
今回は、そんな報道の視点を持つ、「テレビ屋」宇杉さんの裁判員物語を聴いていく。
木曜日の天丼——候補者登録通知~選任手続
まずは、報道に携わってきたということで、司法関係に興味関心はあったのだろうか。
まったくないです。でも、中学1年のときに『六法全書』を買いました。警察官職務執行法第2条1項(職務質問の根拠規定)は最初に覚えましたね。あと、憲法14条(法の下の平等)とか21条(表現の自由)とかも当時覚えていましたね。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」というのが、いいなって。
「まったくない」という言葉が社交辞令に感じるくらい法律を身に纏っている。『六法全書』は、遺失物を交番へ届けた際の警察官の態度が許せず、理論武装のために購入したそうだ。では、裁判員制度自体はどう映っていたのだろうか。
なんでそんなことやるんやろって思っていました。考えたら一般に門戸を開くというのはいいのかもしれないと。でも、僕らメディアの人間には来ないと思っていました。選ばれたとしても外されるんやろうなと。まさか自分に来ると思わないし選ばれるとも思っていなかったですよ。こんなん、出来レースやと(笑)。
報道機関は就職禁止事由に該当しないし、報道機関だから選定から除外されるというのは都市伝説に近い。それでも、「自分には関係ない」と高をくくっていた宇杉さんに候補者登録通知が届いたのは、2012年の秋だった。当時は、まだ名古屋の準キー局から仕事を受けながら、そのテレビ局に常駐していた。
裁判所から通知が来て、うちの嫁さんが、「お父さん、なんかしたん?」って。やりそうじゃないですか僕なら(笑)。自分でも一瞬「何やったかな?」って。でも、(通知を見て)あぁなんかこれ、送りましたよって、既成事実を作っているなって。
ちょっと心当たりがあるあたりに共感する。この時点では、「できればやりたくない」と思っていた宇杉さんに、呼出状が送られてくる。
驚きましたね。本当に来るんや。たしか、それが来てから(候補者登録通知に同封されていた)DVDを観た覚えがありますね。おいおい、一応観とかなあかんなくらいのノリですね。名簿(候補者登録通知)の時はやりたくないだったんですけど、なんか面白いなと。そんで、仕事場にも一声かけておこうって。
報道部長に報告して、「2月6日に(裁判員選任の)抽選会があるから休みもらっていいか?」と伝えて、「いいんじゃない。結果を教えてください」って。向こうもまさか選ばれるとは思ってなかったんちゃいますか。
公休制度(裁判員休暇)は、たぶんないです。その時も、「選ばれたら、有給で。その代わり仕事に反映してくれ」みたいな形でした。自分でも、裁判員をやったら何か特集作ろうという腹はあったし。
「裁判員期間中、仕事に来なくてよい。給料も出す。その代わりネタにしてくれ」という業界ならではの打算は、宇杉さんの腹の中にもあったようだ。
宇杉さんにとって、裁判所は仕事で何度か行ったことがあるそうだが、中に入るのは初めてだったそうだ。
ワゴン車に6人とか7人でキュウキュウ詰めになって、クジを引きに行くだけなんですけど、まさかその中に入るとは思ってなかったです。候補者控室は、数カ所の空席があって、(出席候補者は)47、8人でした。
傍聴整理券が抽選になるような大きな裁判の時、各種報道機関は人海戦術で少しでも傍聴席を確保しようとする。その抽選に「3連続」で当たったことがあると言う宇杉さんがまもなく「大当たり」を引き当てる。
事件は、中部国際空港に覚醒剤約3,200グラム(当時2億6,000万円相当)を密輸入しようとして、フランス国籍の女性が逮捕、起訴されたといういわゆる覚醒剤密輸だ。フランス語の通訳を介しての公判期日は、被告人が起訴内容を一部否認していたこともあって、10日間の長丁場だった。
もっと、傷害とか殺しとかタタキ(強盗)とかだと思っていたんですよ。あぁ、覚醒剤は重大事案なんやと。でも、殺しとかじゃなくてよかった。人が亡くなっていたらしんどいですよね。でもそれでもたぶんやったと思いますよ。だって、仕事に反映できるから。邪ですよね(笑)。
モニターに何番、何番って順番にポンポンって出てくる感じで、「えーっ!?」て思いましたよ。これで仕事になるというのも薄っすらと。選ばれへんかったら、「なんやスカやな」って言われそうで(笑)。
不謹慎だが、報道機関にとって裁判員は「オイシイ体験」なのだろう。結果として、男性4名、女性2名の正裁判員に男女1名ずつの補充裁判員が選任された。20代から70代まで万遍なく揃った合議体である。
裁判長が「番号で呼ぶこともあるし、本名や愛称で呼ぶような時もあるし、皆さんはどうしますか?」って。僕は別に「うすやん」でいいですよって言ったんですけど、みんな嫌がるから番号になったんですよ(笑)。
裁判長は、すごくあたりのいい女性でしたね。右陪席は、裁判長を立てていました。左陪席は、おとなしかったです。「地下に食堂があるので、皆さんどうぞ」って言われました。右陪席が「ここの天丼、木曜日が美味しいですよ」って、そうしたら裁判長も「そうなんですよ。木曜日の天丼が美味しいんです」って。
「木曜日の天丼」は謎だが、この日は入廷のリハーサルを行って解散した。初日の昼食会はなく、評議室にお菓子もなかったそうだ。ただ、評議室には「疑わしきは被告人の利益に」と書かれた紙が貼り出されていた。
家で嫁さんに、「当たったぁ!」って言ったら、「えー!? 仕事はどうするの?」って(笑)。まあまあ会社には言うてあるし、これでネタ作らなあかんねんくらいな感じで話しました。

「私が思うに……」——公判
翌日、宇杉さんは朝早く自宅を出て自転車で裁判所へと向かった。
当時の自宅から(裁判所まで)自転車だと20分くらい、電車だと混む上に40分くらいかかります。裁判官に聞いたら、「自転車置き場はあるよ」と言われました。
みんなジャケット羽織ってループタイとか、ちゃんとしていましたよ。女性もワンピースとかツーピースが多かったですね。僕はスーツを元々持ってないので、買ったんですよ。そんなに高いのじゃないですよ(笑)。
自転車での登庁は初めて聴いた。念のため、裁判員の服装は基本自由である。
そして、日本語ができるフランス人とフランス語ができる日本人の通訳2名体制で初公判が幕を開ける。ちなみに、宇杉さんが被告人のことを「被告」と表現するのは、マスメディアならではの業界用語である。
傍聴席は7割くらい(埋まっていた)かな? リハーサルとは全然違いますね。なんかさらし者みたいやなって。よう見えるし、よう見られるわぁって。被告の顔を見た第一印象は強烈でしたね。この人が罪を犯して被告と言われているんだ……小柄な普通のオバチャンなんですもん。こんな人が罪を犯すのかな?
被告はトーゴ(西アフリカにある共和制国家)からフランスへ戻って、そこからベルギー、フィンランドを経由して中部国際空港へ来た時に、スーツケースから覚醒剤が3キログラムちょい発見されたと。最初は、「私のじゃない」と言っていたらしいんですけど、調べているうちに「人に脅されて持ってきたんだ」って。
スーツケースの中には、彼女が到底着られないようなサイズの服や季節感がバラバラの服が無造作に詰め込まれていて。怪しいということで空港職員が中をよく調べたら、縫い目があって内張を剝がしてみるとプラスチックの容器に入った覚醒剤が出てきたという。それに、滞在2週間という話なのに、2,000ユーロしか持っていなくて、当時の円換算で約21万円。日本で2週間過ごすには少なすぎるんですよね。
判決文によると、被告人はトーゴ共和国で経営していたレストランからパソコン等の盗難被害に遭い、盗まれたパソコン内の情報を元に、首謀者とみられる男から脅迫の電話を受けるようになった。フランスへ戻ろうとしたが、トーゴの空港で警察官から紙片を渡され、「その電話番号に電話しないと仲間が死ぬ」と言われた。フランスからその番号へ電話をすると、今度は指示役とみられる男から、「ヘロインを運んでもらう」と言われ、さらに首謀者からも、「要求に従わなければ孫の指が4本になる。どこの国の警察も買収している」と脅かされ、どこへ行っても監視されているし、家族を守るために従うしかないと意思を固めたとなっている。


検察官は男性2人で、冒頭陳述はわかりやすかったですよ。わかりやすいからこそ、逆にそれだけで疑うの? 端から「クロ」と疑っているから裁判を開いている。でも、被告の言っていることの裏を取ったり、アリバイを崩したりするためにベルギーへ飛んだこともなければ、トーゴっていう国に行ったこともない。スーツケースは脅されて運んだのではなくて、営利目的のために自ら持ってきたと。
弁護人は、男女2人でどちらも若かったですね。20代とか30代くらい? 男性の弁護人が、(公判中)ずっと輪ゴムで遊んでいたのを覚えています。他の裁判員も「あの輪ゴム気になるよね」って話してました。女性の弁護人は、「拘置中にも何度か面会に来てくれて、本当によくしてくれた」って被告が法廷で話してました。(その弁護人を)下の名前で呼んでいました。
逮捕時、被告人から薬物反応は一切なかった。どこか闇バイトに通じるような事件だ。公権力を行使する立場として、どんな事件もパターン化せずに捜査を尽くすべきだろう。一方で、輪ゴムで遊ぶ弁護人は論外だ。法廷では常に見られているという緊張感をもって公判に臨んでほしい。 また、前述のとおり、通訳が2名ついての公判となった。
フランス人の通訳さんが独特で、被告人質問のときに「私が思うに……」って言い出して、裁判長に止められていました。「通訳の感想はいらないです」って(笑)。本当に(被告人が)言ってるのかな? 意訳してるんちゃうかなって思えることが多くて。日本人の通訳さんのほうはわかりやすかったんですけど、その方は2日間しか来ませんでした。
外国籍の被告人の場合、言葉の壁はどうしてもつきまとう。やはり同じ覚醒剤密輸事件を扱った「第4回 私たちには優しい裁判長」(2025年4月11日公開)でも判断の難しさが語られた。他方、証人には税関職員が召喚されて、証拠類も裁判員に提示されたのだが、宇杉さんの疑問は募っていった。
最初に、スーツケースが怪しいと気づいて覚醒剤を発見した職員ではなくて、その後に引き継いだ税関職員が証人でしたのでおかしいと思ったんです。最初の状況とか被告の様子とかを聞きたいじゃないですか。
メールの履歴、指示を受けた時のメモ書き、スーツケースに覚醒剤。証拠がこれしかないの? たったこれだけの証拠で裁判やるの? これで判断しなければならないということに疑問でしたね。
覚醒剤は、ごっついビニル袋に入ってて、法廷でみんなで回して見ました。大きい角砂糖のような白い結晶ですよ。でも、本物かどうかはわからんですよね。見たことも買ったこともないですし(笑)。
証人や証拠の不充分さは、多くの裁判員経験者から指摘されている。公判前整理手続において絞り込みすぎると、事件の本質や事実の見落としにつながるのではないだろうか。 そして、被告人質問は通訳を介するため、審理時間の約半分が費された。
弁護人が、いつどこでどんな脅され方をしたのかを聞いているのを見ていて、あぁこの人はあながち噓をついてるとは言い切れないなって。被告人は持たされただけで薬物かどうかわからなかったと。ただ、やばいモノなんだろうなということはわかっていたと。検察官はあまり印象にないですね。だって、もう端から疑っているんですもん。
ある裁判員の方が、(補充質問の際に)「私が思うに……」って言い出して、裁判長に何回か止められていました。「裁判員の感想はいらないです」って(笑)。質問の前に、裏で誰が何を質問するかとか打ち合わせするじゃないですか。その時に言ってないことをいきなり法廷で言い出すから(笑)。
私は遭遇したことないが、法壇から質問ではなく説教を始める裁判員がたまにいると聞く。フランス人の通訳者といい、裁判長の気苦労は絶えることがない。
初公判から8日目。検察官から懲役13年及び罰金700万円という論告求刑と、弁護人からの懲役5年が相当という量刑意見が出て結審した。被告人からは、「ずっと脅されていた」という旨の最終意見が述べられた。
(2025年12月15日公開)
