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村木厚子氏(元厚生労働事務次官)

『オアシスインタビュー』第1回

【後編】罪を犯した人と私たちはどのように共生できるのか

自分の体験から考えたこと

インタビュアー:菅原直美(弁護士) 2018年8月9日 現代人文社会議室


——それは実感としてすごく分かります。私は、弁護士になるまで、覚せい剤を使った人に会ったことがなかったんです。それで司法修習生のときに、ダルクの施設を見学に行ったのですが、行く前は、正直すごく怖かったんです。どんな人たちがいるんだろうって。だから、できるだけ目を合わせないようにして行こうと思っていたんですが、私たちが乗ったバスを降りた瞬間に、ダルクの方々がみんな爽やかに、「こんにちは」、「いらっしゃい」って目を見て挨拶をしてくれたんです。そのときの自分の恥ずかしさは大変なものでした。どうして私はこの人たちと目を合わさないようにしようと思ったんだろうと。そのときに、私は彼らが当たり前ですが私たちとおなじ人間であって、むしろ私よりも成長しているというか、大人だっていうことが分かったんです。それが、今の弁護活動、特に薬物依存症者の弁護活動を熱心にする原点だなと思います。

村木 ほんとそうですね。ある講演会で、北九州の牧師さんの奥田知志さんからこんなお話しを聞いたことあります。前科19犯ってすごく凶悪な人だと思うでしょうが、そんなはずはない、凶悪なことをやっていたら19回も刑務所に入れないよ。言われるとなるほどと思うんですね。厚生労働省では児童自立支援施設が自分の担当だったんでそこへ行くと、みんな体格が小さい。家庭にいるときに栄養状態が悪い子が多く年齢の割に小柄な子が多い気がします。もちろん、不良行為があってそこに入所しているわけですが、その生い立ちを聞くと、「あんた、よくそこでとどまったねえ。ありがとう」、「よく我慢しね、ここへよく来たね」って言いたくなるような子が山のようにいます。

——町を歩いていて見えている社会だけが社会ではなくて、私たちが普段目にしないような影になる所に、いろんな困った人とか、困難な状態にある子どもたちがいますよね。「万引き家族」という映画で、あの女の子が最後に家庭に戻っているんですが、それが印象的でした。ああいう自分が見えていない社会があって、見えていない困難がありますね。

村木 特に、若草プロジェクトの対象者は、割と性的なことに絡んだところでひどい状況になっている子がいるんですが、まさに私もおんなじこと感じてて、あの子たちって暗闇に潜んでいる小動物みたいだなと思っています。

そこにいると思って、目を凝らして見ないと見えないし、普段、われわれが幸せな普通の生活をしていると全く気付かずに通り過ごしていて、だけど、確かにそこにいて、われわれがほんとに見ようと、目を凝らせば見える逆に、ぱっと強い光当てて、これを白日のもとにさらそうと思うと、みんな逃げていなくなってしまうほんとに憶病な小動物のように、必死でそこで生きようとしてる子がいるということを、やっぱり知ってもらうことは、ものすごく大事だなと思っています。

 

共生社会を創る
シンポジウム「『罪に問われた障がい者』の支援——ともに地域で暮らし続けるために」(主催:共生社会を創る愛の基金)の「地域再犯防止推進計画の作り方」でコーディネーターつとめる村木厚子氏(右端)。2018年8月4日。日本教育会館一ツ橋ホールにて。

共生社会のイメージ

——知ってもらうことがスタートラインということですね。最後の質問になります。共生社会を作る愛の基金のテーマになっているものですが、村木さんが描く、これからの共生社会、これはどのようなイメージでしょうか。

村木 どういったらいいかよく分からないのですが、一つすごく実感したことがあります。逮捕されたときに、拘置所に入れられると、私ひとりで何もできなくなるではないですか。昨日まで仕事していましたが、その仕事がどうなるのかしら。昨日まで主婦やっていましたが、家のことはどうなるのかしら。これから裁判があるが、どうやって闘うのかしら。それらの全部のことを自分ひとりで何もできない状況になるわけです。

初めての経験で、あのときにふっと思ったのは、「あ、そうか、私、自分は仕事もしているし、家庭も持ってるし、自分で何でもちゃんとやれていて、特に仕事が公務員だったから、何となく私は人を支える側にいるって無意識のうちに思っていたんだろうな」ということです。そういう人間が、支えてもらわないと何もできない状況にほんと一夜にしてなりました。人って、誰でも一瞬にして支えてもらわなければいけない状態になるんだ。これは、例えばがんの宣告を受けたとか、大きな事故に遭ったとか、いきなり会社が倒産したとか、そういうことと共通しているんだろうと思います。それまで、人間って、支える側の人間と支えられる側の人間と2種類の人間がいるみたいな思いがどっかにありましたが、「あ、違うんだ」、一人の人間が一瞬にして支えられる人間になるというのが分かった。

そのあと、大変ありがたいことに、私は生活困窮者支援の仕事をさせていただいたこともあって、人の立ち直るプロセスの中で、自分がほんの小さなことでも、誰かの役に立つとか、ちょっとした仕事ができる場所があるとか、誰かのために何かをして、ありがとうと言われるとか、つまり人を支えることができると本人が元気になるんだというのが分かった。支える人と支えられる人に二分しないというのが共生社会だと確信しました。誰だって支えてもらわなければいけないということをみんなが認識し、誰だって何かのかたちで誰かの役に立てるとことがあることは、それだけで居心地が良くなると思うのです。

困ったときは助けてと言えるのもそうだし、自分でできることで誰かを助けるというのも、自分自身が元気になる上ですごく大事なことです。そういうものの積み重ねが共生社会だと思っています。

【前編】はこちら

用語解説

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