
飛行機に乗って就職面接
2010年10月、東京国際空港(羽田空港)では、4本目の『D滑走路』が完成したことで国際線が就航するようになり、24時間使用可能な国際線ターミナル(現第3ターミナル)も同時開設された。それに合わせて、実家のある香川県から東京へと転居してきたのが、山下美紀(やました・みき)さんだ。彼女が就職したのは、羽田空港第3ターミナル内にある売店だった。
ターミナル内の店舗はどこも新規オープンで、正式開業するまでターミナルの中は土足厳禁だったので、スリッパでフロアを移動して開店準備をしていました。
香川では、主に医療機関に勤務していて、知人から(羽田の)オープニングスタッフ募集のことを教えてもらうとすぐに飛びました。あまり深く考えずに動いてしまうので(笑)。採用されて、住む部屋も決めてから香川に戻って、いろいろ引っ越しの準備をしてて、「あっそうそう、父さん母さんにも言っとかなきゃ」って。姉には激怒されました(笑)。父も「お前は、いつもなんでもかんでも決めた後に言う!」って。
天真爛漫というより、破天荒に近いのかもしれない。採用面接のために飛行機で高松空港から羽田空港に飛ぶとは、よほど思い入れのある業界なのだろうか。
もともと乗物が好きというのはありましたよ。香川でも高松空港に飛行機見に行ったりして。でも、うちの家族みんな教育者でして、みんな先生。一回は試みたんですよ。短大の学科が児童教育だったので、小学校で臨時教員というのを何年かしたんですね。でも、やっぱり違うなって。
少しでも飛行機の近くにということか、今は空港の敷地を歩き回る仕事をしている。
今は貨物ターミナルでの仕事で、本当にすぐそこに飛行機が停まっているような場所で。求人広告に「プチ作業があります」とあったんですけど、まあまあ過酷で(笑)。夏場はすごいですよ。ファン付きのベストが支給されてヘルメット被って、冬は防寒着です。現場のオッチャンだよねって(笑)。
飛行機が離発着する滑走路は、熱波も寒気も容赦なく跳ね返すアスファルトであり、過酷そのものだ。それでも山下さんは、羽田空港での仕事を気に入っている。
そして、今回のインタビューで特筆すべき点は、山下さんが担当した裁判は、「第6回 やりたくない裁判員」(2025年6月13日公開)で登場した小野麻由美さんと同じ事件ということである。つまり、2人は同窓裁判員ということだ。彼女たちそれぞれの視点で捉えた裁判員経験を比較しながら読むと面白いはずだ。
あらためて、裁判員制度施行時はまだ故郷の香川県で生活していたという山下さん。そもそも司法や法律との接点はあったのだろうか。
地域柄、高松高裁があるので、子どもの頃から大きな裁判というのが常に報道されていて。記憶にあるのが、「財田川事件」という冤罪事件と、あともう一つ、「豊島(てしま)の公害調停」という長い事件でした。産業廃棄物の不法投棄で島がめちゃくちゃになって、住民たちが立ち上がって、弁護団の団長さんが中坊公平さんで、もう本当に全国で集会を開いて……。
香川県が長い間、不法投棄を見逃していて、最後は県知事の謝罪と公費で島を再生させるという約束をさせた(2000年6月3日、豊島宣言)。まあ、私の中での二大事件というか、折に触れて報道されていたので、なんとなく裁判とか法律というのは生活の中に入ってました。
「財田川事件」は言わずと知れた四大冤罪事件の一つであり、無罪判決まで約30年。一方の、「豊島の公害調停」も事の発端から、最終合意まで25年もの歳月がかかっている。息の長い関心が必要だと思う。
父が地方紙と全国紙の二つを読んでいたんですね。日常的に新聞を目にしていたというのもあって、強烈な出来事として記憶に残っているのがその二つの事件でした。その時は報道に興味があったんですよ。小学校の卒業文集にも「新聞記者になりたい」って書いてあって(笑)。
だからか、裁判員の期間中、できるかぎりメモっておこうと思って、もらえる物にコソコソとメモしてました。スケジュール帳にも起きたことをメモしておく感じですね。メモ魔です。
なるほど。「家族みんな教育者」という家庭の日常は、常に時事問題と向き合っていたようだ。地元の出来事であればなおさらだ。それにしても、「豊島の公害調停」の弁護団長が、裁判員制度の制度設計に携わった人物として知られる故・中坊公平弁護士(2013年5月3日没)とは奇遇なものだ。
「司法制度改革審議会」が設置された1999年より10年後、制度施行のニュースは目にしていたが、「自分には関係ない」と捉えていた山下さんの裁判員物語を聴いていこう。
いきなり最高裁!?——候補者登録通知~呼出状
2016年秋、今は貨物ターミナルでの勤務だが、当時は空港内の売店に勤務していたという山下さんに、候補者登録通知が届く。
「なんかした?」っていう(笑)。しかも最高裁ですよ。見てもすぐに裁判員裁判には直結しなかったです。封筒には(裁判員制度と)書いてあるんですけど、それよりも「最高裁」という文言があまりにもインパクト強すぎて……。冷静に考えたら、いきなり(訴状が)最高裁から来ることってないって(笑)。開けてみたら、なるほどそういうことなんだって。
まだ名簿に載った段階ですけど、どうしようどうしようって、それとなく店長に「実はこんなの来たんですけど」ってコソッと。そうしたら、「それ、弟にも来たことあるよ。へぇ、山下さんのところにも来たんだ」と言われて。まだ名簿に登録されただけですが、一応店長にだけは言っておきます、みたいな感じで。でも、もしかすると誰かに言っておきたいって心のどこかで思っていたのかもしれないですけど。
確かに、いきなり最高裁からの通知は誰でも驚くものだ。そして、職場の店長さんにとって身近なものだったことも驚きだ。やがて、小野さんと同じ2017年8月下旬に、山下さんにも呼出状が届いてしまった。

地裁から大きめの封筒が来て、「マジか!? 私に来る?」って思って。「国民の義務的なことです」って聞いたことがあって、断っちゃいけないやつだと。辞退しようと思ってたわけではないんですけど。でも、一番ネックになるのは仕事だと。で、「仕事を理由に」というところを見ると、「自分が休むことによって業務に支障をきたす、もしくは勤務先に不利益を与える場合は辞退できます」って書いてあって。とんでもない、私1人休んだところで、なんの影響もないです(笑)。それに、この日は行かないと(罰せられますって)脅し文句があるじゃないですか。
店長に言ったら、「マジか? 本当に来るんだ」って感じで、都市伝説みたいに捉えてて(笑)。一応、この日は行かないといけないから、でもたぶんこれで終わりだと思うんでお休みくださいって、(店長は)「いいよいいよ。じゃ、ちょっと調整するね」みたいな感じでした。
理解ある職場のおかげで、生まれて初めて霞ケ関駅へ向かうことになった山下さん。内心ではこんなことを考えていた。
丸の内のOLさんってこんな感じかしらって(笑)。私、OLはやったことがなくて、バリバリの地方出身者なので、電車に乗ってオフィス街に行くという行為が憧れではないですけど……。都心のほうに行くっていうことが稀なので、お上りさん的な感じのほうが不安より勝っていたような気がします(笑)。
でも、セキュリティチェックを受けたあたりから裁判所に来たって感じがしてきて、でも部屋(候補者控室)に入ってからのことがめちゃめちゃ記憶が曖昧で……。どのくらいの人が来てて、どんな感じだったのかというのが思い出せないんですね。
変わった着想で気分を高揚させたものの、やはり緊張のせいか「夢見心地の選任手続だった」そうだ。候補者控室の様子や事件概要は、小野さんの回を参照していただきたい。
これは現実だわ——選任手続
裁判官、検察官、弁護人が出てきて、事件概要を聞いてそういう事件なんだって。強盗傷人って何? 傷人というのから人が傷ついているのがわかるので、そうなると凶器とか写真とか見たりするのかなって、勝手に妄想が広がっていって、いやいやテレビドラマの見過ぎやろって(笑)。
4人共犯事件ということも、大変なのかどうかもわからなかったんです。自分が当たると思っていないので、そんなに真剣に聞いてなくて、「ふーん」って感じで。くじ運は、本当に悪いです。くじ引きで、当たりたいものに当たったという記憶がないです。
強盗致傷と強盗傷人は、どちらも刑法240条を根拠にする犯罪であり、強盗の結果、被害者にケガを負わせたのが強盗致傷で、強盗のために被害者にケガを負わせるのが強盗傷人ということだ。
くじ運の悪さから、「当たるかも」という発想すらないと言う山下さんだが、この時ばかりは違った。
発表方法は全然記憶にないですけど(笑)、「ひっ!?」って思って、時間が停まりました。私の番号? 間違いなく私? 何度も上下、上下って確認しました。当たらない前提だったけど、当たった瞬間にどうしようどうしようってなりました。
宣誓の時に、「これは現実だわ」って我に返るというか、その段階で本当に裁判員やるんだなって。その部屋(宣誓手続室)の記憶はあるんですよ。裁判員が横並びになって、向かい側に裁判長さんとか弁護士さんとかがいて。ワクワクというのはなくて、仕事をどうしようって。店長に言わなきゃって。
選任手続の記憶が曖昧な山下さんと宣誓手続の記憶が曖昧な小野さん、2人の物語はお互いを補完するようにできている。選ばれた裁判員たちは、法廷の下見と評議室での自己紹介を経て解散した。初公判までの4日間、彼女の優先事項は仕事の手配だった。

店長も人事とかに報告して調べてくれたみたいで、過去に1人だけ裁判員やった人がいるって、「会社としては、そういった規定があるし行かせるという方針だ」って。私は当時フルタイムのパートで有給休暇も持っていましたが、「特別休暇扱いになって、給料も裁判所からの証明書があれば、それに基づいて(時給計算で)支払います」と。逆に申し訳なくて、裁判所行かない日は出ますって言って(シフトを)入れてもらいました。
パートの山下さんに対しても、有償での特別休暇を適用するあたり、一般企業にも裁判員制度への理解がジワリと広がっていることが窺える。他方で、休廷日の勤務は心身ともにキツイと思うがどうなのだろうか。
実際はしんどかったですね。変な感じで仕事してました。なんかいつもと違う感じで、自分の職場じゃないみたいな。「非現実的というか、そんな感じがする」って(当時の)スケジュール帳にも書いてあって……。
「自分の職場じゃない」、この感覚は裁判後にも尾を引くことになる。
(2025年10月15日公開)