漫画家・浅見理都が刑事弁護人に聞くザイヤのオオカミ

第2回 市川寛弁護士に聞く

検察の手の内を知る弁護士

信念と客観性のバランスをとる(2)


印象に残る弁護活動

 弁護活動をした中で、一番印象的だったこと、「例えて挙げるなら、これ!」みたいなことはありますか。

 僕は、まだ無罪を取ったことがありません。不起訴は結構ありますが……。無罪が取れれば面白いんでしょうけどね。

 弁護士になって、一番初めにやった刑事事件が印象的と言えるかもしれません。弁護士登録したその月に受任した事件で、否認で不起訴になった事件です。この事件は「検察官経験が活きた」と言ったら格好つけ過ぎかもしれませんが……。

 被疑者には基本的に弁解させることにしました。完全黙秘でもよかったのですが、僕が聞いた限り、その被疑者のしている弁解は、証拠で突き崩すのが難しそうでした。人の主観面に関することでしたので。

 主観面というのは、故意とか、目的とか、人がどう思っているのかに関わっているものです。自白してしまえばそれまでですが、この事件での主観面の弁解は、客観的な証拠でつぶすのは大変だろうなというものでした。

 もう少し言うと、東京で捕まった人なのですが、どうしても弁解をつぶしたければ、ちょっと遠くに行って、証拠を探してこないといけなかったのです。もちろん、行っても証拠がない可能性もありました。

 ところが、担当しているのが横着な警察と検察官で、遠くに行くのを面倒くさがっていたんですね。「このままなら勝てる」という筋ですから、主観面の否認で勝負です。逆に、そこを捜査されてつぶされたら、弁解は信じてあげたいけど、起訴は免れない。大変だけど、もはや公判で無罪を取りにいくしかない。

 僕が担当の検察官なら遠方での捜査もやらせますが、忙しすぎるとか、平素のいきさつからの警察との力関係で、検察官がなめられていれば、警察が動かない可能性もゼロではありません。

 もちろん、被疑者にはこの弁護方針を説明しました。「警察や検察官が、どこどこまで行って、証拠を持って来たらアウトだよ。そのときは起訴されてもしょうがないからね」と説明して、納得してもらいました。それで、取調べではずっと弁解させておきました。こんな状態のままで勾留延長されて、17日目あたりに検察官調べがありました。

 検察官調べは、大体7日目と17日目ぐらいに入れるのが身柄事件での常識です。10日勾留の事件は7日目に検察官が被疑者を調べて、8日目か9日目に上司の決裁を受けなければなりません。そうでないと、10日の勾留期間のうちに上司の方針決定が間に合わないからです。

 勾留延長後だといよいよ最後ですから、17日目の検察官調べは、被疑者にとっては、そこで持ちこたえられるかどうかの最後の勝負になります。これは、刑事弁護をやっている弁護士なら、今はみんな知っています。でも僕が登録した頃は、こういうノウハウが十分には流通していなかった気がしますね。

 いずれにせよ、今、説明している事件は17日目ごろに検察官調べがありました。結局、否認のままで自白はさせなかったのですが、その後の接見で様子を聞いてみても、処分がどうなるかはわからないという感じでした。

 20日目、いよいよ満期の日の朝、僕の事務所に留置係から「被疑者が『接見に来てほしい』と言い残して、検察庁に連れていかれました」という電話がかかってきました。僕はそこで「おっ!」と思いました。

 つまり、先ほどの話に戻すと、検察官は17日目に取調べを終えて、調書を取っているのです。否認の調書ですけどね。ですから、起訴にせよ不起訴にせよ、普通は17日目のものが最後の取調べなのです。それなのに、ギリギリの20日目になぜ、もう一度呼んだかです。

 それは不思議ですね。

 それは、17日目に調書を取って、18日目か19日目に上司の決裁を仰いだら「何かが足りない」と言われたはずだからです。不起訴にするのであれば、17日目に否認の調書を取っているので、もう一度呼ぶ必要はありません。

 となれば、20日目に呼んだのは「起訴したい、かつ自白が欲しい」ということしか考えられません。「これは最後の最後に自白を取りにきたな」と。「自白があれば起訴できる」と上司が指示したのでしょう。だから、検察官が最後の勝負をかけてきたと読んだわけです。

 となると、今日言わされたら負けだし、今日言わせなければ勝てるかもしれないとなります。あわてて東京地検に行ったのですが、なんとか接見できました。取調べが始まる前のギリギリだったのかな。「今日は絶対に黙秘するように」と言って、その日に初めて黙秘させました。

 でも、それまでも自白しないように、耐えているわけですよね。

 そうです。でも、弁解はしているし、そもそもしゃべっています。

 弁解はしている。

 「そこは違います」という内容の調書は取れているんです。いわば不起訴にするための証拠はすでに揃っているわけです。

 ですから、「今日は黙秘しよう。一切しゃべっちゃダメだ」「わかりました」となりました。さらに「俺は今日一日、この検察庁の中にいる。何かあったら俺を呼べ」と言いました。

 東京地検は地下の仮監に被疑者が待機していますが、いつ検察官の部屋に上がってくるか、よくわからない所なんです。

 そうなんですね。

 僕は東京地検勤務の経験がないのですが、とにかく、被疑者が朝に警察から連れてこられて、検察官に呼ばれるのが夕方とか、いまだにあるそうです。

 じゃあ、被疑者はずっと待たされるわけですか。

 そうです。

 えー。

 大変ですよ。

 ドキドキしますね。いつ呼ばれるかわからないなんて。

 それで、僕はずっと東京地検1階のロビーにいました。何にもやることないんだけど……。結局、その日に「来てください」と言われることはありませんでした。

 ただ、途中で様子をうかがうため、一度だけ検察官の部屋に電話をかけました。検察事務官が電話に出ましたが、まさにその時が、例の被疑者の取調べの最中だったのです。それがわかると僕は電話を切りました。

 その後は何も起きないまま、検察庁を出ました。起訴されたかなと思いながら自宅に帰る途中、当時のボス弁から「釈放されたぞ」と電話がかかってきました。夜8時ごろだったと思います。

 おぉー。黙秘を貫いて、無事に。

 はい。翌日、その人はちゃんと事務所に来てくれて、「先生、ありがとうございます」「どうだった?」「黙秘しました」と。

 取調べの様子を聞いてみると、検察官が勝手に調書を取って「署名しろ」と言ったらしいです。ですが、その調書には嘘の自白が書いてあると。多分、上司から「こういう内容の調書を取れ」と命じられて、取りに来たのでしょう。

 僕も検察官時代に同じやり方で被疑者から署名を取ったことがありますが、当時も検察庁ではこんなやり方が通用していたんでしょうね。

 後でわかったのですが、その検察官は任官して一年目ですよ。被疑者が「そんなのに署名はできません」と言ったら、検察官が「おまえ、もうええわ」とハンカチを投げつけたそうです。被疑者は「それでなおさら頭にきたから、黙秘しました」と言っていました。そういうことをやっているときに、僕から電話がかかってきたらしいです。

 なるほど。いいタイミングだったわけですね。

 「あの電話で勇気百倍になった」とか。

 よかったですね。

 だから、すごく印象に残っています。なぜ検察官が20日目に被疑者を呼んだのか、その読みが全部当たったわけです。それは僕が検察官をやっていたからです。で、「今日だけ黙秘しろ」という対策も大当たり。結果オーライかもしれませんが。

 でも、この事件を起訴できなかった本当の理由は、検察官が横着していたからです。ひょっとしたら、警察なり検察官なりが遠くに行って、証拠を持ってきて被疑者にぶつけてしまえば、こちらも認めざるを得なかったかもしれません。

 ですから、上司が担当検察官を指導すべきだとしたら、自白を取れなかったことよりも、遠方だからという理由で捜査をサボったことでしょうね。検察官の先輩として言いたいのはそこに尽きます。

 この事件で、警察や検察官が遠方に行かなかったのがなぜわかったかと言うと、接見で取調べ状況を聞いているからです。

 僕はいつも被疑者に「取調べで、警察や検察官が何を言っているかを覚えてほしい」と言います。それは、証拠があれば、その証拠を取調べでの言動で自然とほのめかすはずだからです。まして自白が欲しいときは、なおさらです。その言動によって、こちらは捜査がどこまで進んでいるかがわかるのです。

 さらに、取調官が余裕しゃくしゃくなのか、焦っているのかはその口ぶりでわかります。「ばか野郎」とか言っているときは証拠がないときです。それは自分でやったからわかります。

 証拠があれば「ばか野郎」などと言う必要はありません。「はいはい、好きに否認しておいてね。じゃあ、法廷で会おうな」と言っておしまいです。なぜなら、彼・彼女が何を言おうが起訴できるんですから。

 でも、被疑者に何かを言わせなければならない、しかしそのための証拠がないときは、取調官は訳のわからないことを言い出します。ですから、接見で被疑者に「怒鳴ったりしているときは向こうが苦しいときだから、『しめた!』と思ってください」と言っておけば、被疑者も持ちこたえてくれます。もちろん、怒鳴ったこと自体への対処は別にやりますが。

(つづく)

(2021年04月26日公開) 


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