人質司法に着目した理由(わけ)
── 報告書を読んでみると、傷害での逮捕といった新聞記事にも載らないようなレベルの事件もあります。こうした事件に着目して人質司法を取り上げるようになったきっかけは、そもそも何だったんですか。
土井 日本という国は、ヒューマン・ライツ・ウォッチのようなグローバルな人権の観点で見ると、人権状況が比較的いいと見られている国なんです。そういう国で、例えば弁護人が「取調べに立ち会えない」って言うだけでも、相当の驚きを持たれます。「本当に日本の話をしてるんですか?」って言われてしまうんですね。
私が、最初にヒューマン・ライツ・ウォッチの法務部にそのことを説明したら、「どこか別の国の話をしてるのかと思った」「いわゆる独裁国家の話かと思ったけど、日本の国の話なんだ」って驚いてました。最初は「『弁護人が立ち会う必要はない』って、言いましたか?」って聞き返されたくらいです。そうではなくて、「日本では、弁護人は取調べに立会えないんです」って言ったら、本当に驚いてました。G7のメンバー国にもなっている日本でそういうことが起き、長らく解決していないっていうのは、やはり驚きなんだと思います。
我々は、調査したうえでアドボカシー(政策提言、ロビイング)をする団体なので、「解決の目処が立っていない」という問題に切り込んでいくことには、意義があると思います。
あとは個人的な経験なんですが、私は元々弁護士でした。刑事専門ではなかったんですが、何件か否認事件もやりました。弁護士から見ても「これはやってるんじゃないかな……」と思う否認もあるんですけど、やっぱり数件、本当に「これはえん罪だ」と確信する事案もありました。
そうしたえん罪事件の中でも、本人がとても我慢強くて頑張れた事件もありましたが、家族も子どももいて長期の拘束によって本当に職を失いそうになり、精神の限界を迎え、人質司法の被害の大きさをもろに感じた事件もありました。当時は若くて、「これは、法律に書いてあることと全く違う。本当にめちゃくちゃだ」と思いました。日本のこの不条理な現実──人質司法の現実を、初めて目の当たりにしたときのショックは非常に大きかったです。
こういった自分の個人的な経験もありますし、ヒューマン・ライツ・ウォッチとしても日本の刑事司法は本当にひどいということになったので、ぜひ調査をしましょう、となりました。
ちなみに、日本は、ヒューマン・ライツ・ウォッチが力点を置いて調査している国ではありません。世界百カ国ぐらい調査をしていますが、同じアジアでも、もっと人権侵害のひどい独裁国家であるミャンマーやカンボジア、ベトナム、中国、北朝鮮……などの方がリソースを投入しています。
日本は、人権侵害国家として見られているというよりは、G7の一角でもあるアジアの経済大国なのに、人権のための世界的リーダーシップを全く発揮していない状況なので、むしろ日本政府に世界で頑張ってもらい、さまざまな国の人権問題を解決するために外交力を発揮してもらおう。そういう「いいアクター」になってもらうためのアドボカシー対象国という位置づけです。
そのため、こういう報告書は1~2年に1冊ぐらいしか書かないんですけど、人質司法の問題は深刻だし、全然改善しないこともあるので、取り上げようとなりました。私個人としてはすごくうれしかったです。
── なるほど、そういうことなんですね。土井さんが以前、出井伸之さんと対談されたとき1)に、「人権に対する日本人の意識が低すぎやしないか?」という話がありました。その際、出井さんは難民の経験が2年間あって、何も政府の保護がない世界で命からがら日本に逃げてきたという経験があったからヒューマン・ライツ・ウォッチにすごい着目してる、と。
そこで話題になった人権の話と、人質司法の話ってなんか似てるなと思ったんですよね。日本人は人権を、ある意味、空気のように享受してしまっています。「人質司法」っていう運用がなされていても、人権が守られている国にとっては、普通なんじゃないかっていう勘違いが、もしかするとあるのかもと思ったんです。いかがでしょうか。
土井 それはありますね。確かに、日本人の人権意識そのものがあまり高くない状況ですが、別に日本人がダメな国民というわけではありません。やはり国家として人権を全然中心においていないから、ではないでしょうか。紙にだけは書いてあるけど、人権を守り促進する制度を立ち上げていない。人権を保障する法律もなければ、諸外国ではもっている国内人権機関2)を含め、人権を守る仕組みもないわけです。
政府が掲げてないものが突然教育の柱になるわけもないので、教育の中にもありません。国家のテコ入れがほとんどないので、日本国民が人権を突然意識し始めるのも、おかしな話と言えばおかしな話です。ということで、日本人の人権意識の希薄さの主たる理由は国家にあると思います。
私は日本の警察も検察も「悪の組織」だとは思っていないんです。比較するのもなんですが、アジアには強権国家が多く、それらの国の警察を見ると、本当に腐敗してたり、悪を取り締まるのではなく、悪を匿っていたりとか、めちゃくちゃなこともやっています。そういう意味では、日本の警察はまっとうな組織で、一般の人たちの警察や検察への信頼も高いと思います。そのため、人質司法があるよって言われても、先ほど述べたように経験者が声をあげるわけでもないので、自分が犠牲にならない限り、実感できないところはあるのかなって思います。
被害者の声を聞くことからはじまる
── この人質司法をテコとして、人権に対する我々の認識を変えていきたいと言うのが、土井さんの一つの願いだろうと思います。実際に変えていくためには、どういうアプローチで考えていけばいいのか、また行動していったらいいのでしょうか。
土井 先ほど言った通りではありますが、日本人の人権意識が低い理由として、究極的には二つあると個人的には思っています。一つは、国家がほとんど人権に注力していないこと。もう一つは、日本政府が広範な人権弾圧はしていないことです。多くの人々が日々「自分の人権が侵害されている」と感じていて、国家が「人権が重要だよ」と別に言わなくても、「人権がほしい!」と思ってしまう環境にもない。日本はその狭間にあるのかなと思っています。
もちろん日本が大弾圧をするような国になってほしいわけではないので、根本的な解決は、やはり人権をしっかり柱に据え、国際人権法に沿って憲法に書いてあるような国づくりをちゃんとすることではないでしょうか。
ただ、一市民が国家を変えるということはなかなかできないので、「市民にできることって何?」って考えていくと、少なくとも人質司法に関して言えば、被害の声を聞いてもらえれば、と思います。
私は弁護士だったので、自分の弁護した人が人質司法の被害者になってしまい、その経験を直に見聞きする立場にいました。それで被害者の痛みを、我が事のように感じました。自分の人権が侵害されなくても、被害者の経験を見聞きすることで、人権の重要性を理解し、そこから人間のアクションが始まると思っています。直接話を聞く機会があれば、ぜひ聴いていただきたいと思います。とはいえ、直接話を聞く機会がなかなかなかったとしても、本を読んだり、動画で見たり聞いたりする機会はあるのではないでしょうか。まずは被害者の声を聞くのが何より大事だと私は思っています。今回の報告書にもたくさん被害者の声を入れていますので、多くの方にご覧いただきたいですね。
── この報告書には直接本人の声が書かれているので、リアリティがあり、読んだだけでも感じるところがあります。気がついた人が、こういった人たちの声を集めてシンポジウムをやるなど広めていく契機があれば、多少縁遠い人でも、もしかしたら来ていただけるかもしれない。こうした地道な努力を繰り返していくことが一つ重要なのでしょうか。
土井 人質司法は、制度が生み出している問題なので、解決のためには制度が変わるしかないんです。制度の根本はやはり法律です。「じゃあ、法律ってどう変えるの?」と言うと、日本は民主主義の国なので、多くの人がそれを望めば実現できるんです。アジア地域でみても、真の民主主義の国は少ないので、これは本当に、ある意味、特権だと思うんですよ、日本の。日本人であるということの特権。
なので、多くの人たちが被害者の経験を聞いてくれて、「これは問題のある制度だ」と思ってくれる。そして、できれば発信もしてくれれば、制度は変えられると思います。被害者の声を聞き、「この制度はおかしい」と、とにかく声をあげることが問題解決に直結した行動だと思います。私はそういう声をテコにして、それを国会議員や官僚の方々に届けていきたいですね。
政治家への立候補は?
── 制度改革は国会で法律をつくらないとできませんが、土井さんは、自分で議員になろうと思ったことはありませんか。
土井 自分で思ったことはないですね。
── 議員の道ではなく、むしろ今はロビーの方になっていますが、「そっちの方が自分には合っているな」とか、何かあったんですか。
土井 議員になったことがないので比較はできないんですけど、自分はロビイングは好きですね。
(つづく)
注/用語解説 [ + ]
(2023年10月27日公開)