リレー連載 袴田事件無罪判決を読む<br>第5回

リレー連載 袴田事件無罪判決を読む
第5回

再審無罪判決におけるDNA鑑定評価の誤り

本田克也 筑波大学名誉教授


1 はじめに

 2024年9月26日、静岡地裁(國井恒志・谷田部峻・益子元暢各裁判官)で袴田事件の再審に無罪判決(LEX/DB 25621141)が下りました(その後、検察が上訴権を放棄して無罪が確定しました)。日本の司法史上、画期的な日になったことは間違いありません。ここまでの裁判の流れからは無罪判決の可能性が大きいことは予想されていたとはいえ、しばしば裁判所の判断は予想に反することも少なくないことから、その日が来るまでは心配していた人も少なくなかったと思います。筆者もその一人でしたが、長い道のりを経て、ついに真実の判決までたどり着けた、という感慨があります。とはいえ今回の判決には、筆者が第2次再審請求審における静岡地裁(村山昭浩裁判長)で行ったDNA鑑定については、その証拠能力を否定するかのような判断が含まれています。

 これは多分に、足利事件からの流れをみると、DNA鑑定を検察のみの武器にして、弁護側の武器には絶対にさせないような判決を強く求めた、検察側の強い意向を裁判官が忖度したためであるといえます。結果として、弁護側に有利な鑑定を行った「本田鑑定」について反論するよう嘱託された専門家は、鑑定の微細な不完全さをあげつらい、全体の結果について潰しにかかりました。しかし、古い試料からのDNA鑑定が試料の限界により部分的なデータセットになることは、試料の問題ではあっても、鑑定人の責任ではありませんし、不完全だからといって鑑定が無効であるわけではありません(拙著『DNA鑑定は魔法の切札か』〔現代人文社、2018年〕第3章、第6章参照)。けれども、裁判官は判決としては無実の袴田巖氏を無罪にするか否かのみに拘泥するので、非専門家である裁判官にとってはDNA鑑定の論争の評価については面倒なことを避けるために正面から向き合うことを避けたのかもしれません。

 確かに「5点の衣類」が証拠の捏造であると認定すれば、偽物になる証拠から行ったDNA鑑定を認めようが認めまいが、判決には影響しないことも事実です。そういう意味では、DNA鑑定は血痕鑑定から血痕が付着衣類の鑑定へと移行したという意味で、すでにその役目を終えた、ともいえます。ただ筆者には、5点の衣類が犯行着衣であるという検察の主張に初めて楔を打ち、再審の流れを作ったのは自身のDNA鑑定であり、そこには決して否定され得ない中身がある、という自負があります。なぜなら、証拠試料とされた5点の衣類が、袴田氏の着衣であるということに合理的な疑いを提示したのはまさにDNA鑑定であり、それがあったからこそ、証拠の捏造疑惑にまで裁判を推し進められたのは事実だからです。

 筆者が行ったその「本田鑑定」の中身を見事に見抜き、その証拠価値を認めていただけたのは、第2次再審請求審における静岡地裁の村山浩昭裁判長です(LEX/DB25503209)。村山氏は当該試料からのDNA鑑定結果に不確定な部分があることも前提にしながら、対照資料からの結果を重視して「血痕由来のDNA型の主要な部分は確実に検出されている」と判断されたのです。しかしその後、東京高裁での審理では本田鑑定は無視されて、それとは異なる方法による鈴木廣一氏の追試実験によって、再審請求が棄却されました(LEX/DB25560605)。その結果、DNA鑑定について否定的な判決内容がマスコミによってあまりにも流され、今ではDNA鑑定は忘れ去られたかのような風潮です。ただ、あえていえば、最高裁決定(LEX/DB25571224)では、5名の裁判官のうちの2名(林景一裁判官、宇賀克也裁判官)が地裁での村山決定の正当性を高く評価し、本田鑑定の証拠価値を認めて「再審を開始すべきである」という意見を述べています。特に「前処理の段階である細胞選択法の信憑性が否定されたとしても、本田鑑定の結果が当然に否定することにならない」「原決定が、あたかも本田教授が不正にデータや実験ノートを消去したように説示したのは、少なくともミスリーディングである」との指摘は見事に正鵠を得たものでした。しかし結果として、多数意見(3名)が全体の決定とされ、最終的な判決書では本田鑑定は認められないことになりました。しかし、多数決で科学的な真実が決まるものではありません。同じ鑑定を見ているのに、裁判官によって判断がこれほど違うのは、異なった説明をする専門家証人のうち、正しいのはどちらなのかを把握しようとするのではなく、採用したい方の言葉を引用したからといえるでしょう。

 一方、鑑定人である筆者は、三十数年間に及ぶDNA鑑定の研究成果のすべてを投入しました。それに加えて、かつて実施された岡山大学の鑑定書を徹底的に読み込み、再鑑定に生かしたのです。こうして研究者生命を賭けて5点の衣類に挑み、その結果、そこに眠る血液由来DNAの型を暴き出したのです。そして、そこにはどのように解釈しても袴田氏のDNAは含まれていない、ということを確信するに至ったのです。筆者は法医学者として自らの責任で鑑定を行い、不良なデータについても何も隠すことなく、結果をありのままに報告してきました。そして、自身の鑑定には絶対なる自信があったからこそ、どんなに多数の研究者による批判に曝されても、最後まで自分の鑑定を貫き通すことができたのです。それを支えてくれたDNA鑑定という技術は、検察側、弁護側の立場を超えて、中立的に真実を突き止める優れた武器であり、それには真実を暴き出す偉大な価値があることを見誤ることがあってはならないと思います。

2 DNA鑑定はどう評価されているか

 ところが、今回の再審無罪での判決書において、本田鑑定への評価はいかなるものだったでしょうか。判決書を読んだ筆者は、大変がっかりさせられました。たとえていえば、高等数学としての解答を、算数の答えとして数式を無視し数値のみの結果としてしか採点されなかったような寂しさがあります。しかもその採点は誤答を正解とするような、完全な誤りなのです。裁判官は法医学の専門家ではないのだから、致し方ないのかもしれません。しかし、そこに敢えて踏み込みながら、本田鑑定の核心部分にはあえて目をつぶり、枝葉末節ともいえる部分的な欠点をあげつらい全体を否定しようとしている姿勢には、判断が偏向しているとしかいえません。

(2025年09月16日公開)


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