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第9回中田雅久弁護士に聞く

刑事弁護は、自由の領土を拡げるものだ


1 この人が刑務所に行くのっておかしくないか?

久保田 中田先生は、障害者事件に力を入れていらっしゃいますが、障害者刑事事件でしっかりやりきったと感じていらっしゃる事件についてお話をお聞かせください。

中田 10年以上前に担当した、中等度の知的障害があることが後でわかった食料品の窃盗を繰り返している人の事件です。記録を見ると、同種前科がたくさんあって、1カ月前に執行猶予になったばかりという人でした。初めて会って5分も話したら、この人が行くべき場所は刑務所ではないとすぐ確信しました。

奥田 「刑務所に行くべきではない」とどのあたりからわかりましたか。

中田 服装やヘアスタイルなど身の回りに配慮できていないことや言葉遣いが幼いと感じたところですね。さらに話を1時間もすれば、おかしいところはほかにもたくさんでてきました。たとえば、「刑務所ってどういう所だと思いますか?」と聞くと、彼は、公判でもそう言ったのですが、「楽しい所かもしれない」と言うのですね。「なぜ万引きが悪いのですか?」と聞くと、うまく答えられなかったり、「銀行強盗と万引きとどっちが悪いですか?」と聞くと、「万引き」と答えたりするのですよ。銀行強盗はやったことがないから、どんなものかあまりピンときていない。だけど、万引きは自分が何度も繰り返して怒られているからわかっている、といった感じでしたね。

久保田 実際にどういう方針を取られたのですか。

中田 「反省しています」という話をしただけだったら、実刑になるのは目に見えているわけなので、何か特別なことをしないといけないと思うものの、何をやったらいいのかわからない。どこに相談したらいいのかもわからない。なので、とりあえず市役所の障害福祉課に話を聞きに行きました。

久保田 市役所の対応はどういったものでしたか。

中田 「なんで刑事事件の弁護士がここに来るんだ?」と面食らっている感じでした。それで、相談支援事業所のリストを渡されたのですけど、「このリスト何?」「俺がこの中から相談先見つけろということなのかな?」と思って、リストを持って帰って、リストの中の事業所に上から順番に電話しました。

久保田 電話ではどういうやり取りがありましたか。

中田 「うちではちょっと……」って断られるのが続いて、何カ所目かの施設で所長の社会福祉士さんが話を聞いてくれて一緒に接見に行ってくれました。

久保田 公判において、そうした活動は、どういう形で弁護人の主張につなげていったのでしょうか。

中田 簡易鑑定はしていましたが、検察官は完全責任能力主張なんですよ。こっちは責任能力も争い、期日間整理手続にして何カ月かやる中で、障害者手帳を取って、支援の枠組みを整えました。そうこうしているうちに、裁判官がだんだんこっちの味方になってくれた雰囲気になったので、あとは、環境調整を公判でプレゼンしたら、判決は再度の執行猶予になりました。

奥田 具体的に、どんなプレゼンをしましたか。

中田 当時は、更生支援計画書という発想はなく、どんな支援者や支援機関を集めて協議をしているのか、社会復帰後の当面の生活場所や使える制度や社会資源、中長期的な見守り体制を弁護人の報告書で立証し、弁論では、ホワイトボードに付箋を貼っていき、本人を取り巻く環境が事件前後でどう変わり、どんな効果が見込めるのかを視覚的に伝えるようにしました。

奥田 本人にとってどのような支援が必要か最初から道筋はわかっていましたか。

中田 いや、まったくわからない。当時の僕は、知的障害者がどのように日常生活を送っているか知らないし、障害者手帳の取り方もわからない。彼のためにどういう支援が必要かもわからない。そもそも彼は知的障害の認定を受けていない。障害者更生相談所に連日、押しかけて、障害の認定をしてもらうように頼み込みました。押し問答のすえ嘱託の精神科医が拘置所に面会に行けば検査ができるかもしれないという話になったので、今度は拘置所に掛け合って、検査をする環境や面接できる環境を整えてもらうこと、時間の制限を取り払ってもらうことについて交渉をして、その精神科医に出張で検査をしてもらいました。振り返ってみると、当時は彼により良い環境に入ってもらうことしか考えてなくて、本人の気持ちをもっと丁寧に聞けていたらなと思っています……。

久保田 一つの事件、一人の依頼者にエネルギーを向けてやれた原動力はどういうところにあったのですか。

中田 彼に会ってファーストインプレッション、「この人が刑務所に行くのは絶対におかしいよね」という感じですよね。その確信です。たしかに、やったことは犯罪に当てはまるし、それを繰り返しているのだけど、彼は、知的障害の影響で生活保護費を計画的に使うことができず、月末になるとお金がなくなり食べるに困って食料を万引きして、飢えを凌いでいた。そうしなければ生きていくことができなかったわけです。それを福祉事務所も、社会も放置しておきながら、結果だけ自己責任として押しつけて刑務所に行けという。それは絶対に間違っているし、そんなことが自分の目の前で行われることを認めることはできない。そこを信じて頑張ったら、結果がついてきたという感じですかね。

久保田 刑罰を科しても意味がないということですか。

中田 意味がないというか、先ほどの事例の彼は、お腹が減って食料品を万引きすることでしか生きていけないわけです。それを犯罪に問うということがそもそも私は違うと思っています。できないことをやれと命令して、できないと罰を与える。これは、もういじめですよ。もちろん、障害者の事件にも刑事責任を取らなければならない事件もたくさんありますけど、彼の事件が刑事事件になるということがそもそもおかしいなと思いますよね。

久保田 本人の責任にするのではなくて、社会の中での環境的な問題があったという発想なのですか。

中田 そうです。その人だけの自己責任に収斂するのは、おかしいですよね。彼は今まで何回も捕まって、その都度起訴猶予になっているわけです。たとえば、起訴猶予が10回あったとしたら、警察官と検察官が10回関与している。執行猶予になっているときは、裁判官も弁護士も関わっている。税金で養成を受けて、社会の知的なエリートと呼ばれている人たちもたくさん関与しているけど、結局、彼に、どうしたら犯罪をせずに生活できるかという道筋を、誰もつけていないわけですよね。適切な支援を受けていないから、彼は事件を起こしている。それって彼の責任ではないでしょ。ほかの事件でも、濃淡は違えども、そういう面がある事件は多いです。

奥田 治療的司法という点で、ほかに印象に残っている事件について教えてください。

中田 トイレの個室に携帯を差し向けて盗撮しようとした少年の事件です。事件自体は条例違反だったのですが、薬物の問題を抱えている子で、ダルクに入ることで、何とか試験観察に踏みとどまった。ところが、ある日、ダルクから電話があって、施設内でスリップ、つまり再使用したから、別のダルクに移したというんですね。これは、もうダメかもしれないと思いながらも、調査官を連れて移った先のダルクを訪問したりしていると、今度は、審判期日で撮影目的の否認に転じたのです。事件当時、脱法ドラッグを使用しており、警察に追われているという妄想に囚われていて、トイレの個室に携帯を差し向けたのは、追っ手の状況を把握するためだったというんですね。

奥田 その事件はどうなりましたか。

中田 その弁解が認められて、非行事実なし不処分となったのですが、信用性が肯定された理由は、少年のダルクでの真摯な取組みでした。知的能力にもやや限界があり、なかなか自己肯定感を持てなかった少年が、ダルクでの必ずしも全部がきれいにはまとめられない生活の中で、自主性、自尊感情を育んでいくところが表現でき、そんな彼が、自分の薬物の問題と向き合って当時の使用状況を語った点が、信用の基となったのです。調査官が事実認定にも意見を言ってくれたりして、治療的司法の観点からの取組みが、否認事件に活きたというレアな経験でした。

2 生きづらさの正体と向き合い、医療モデルを押しつけない

久保田 障害者の刑事弁護にとって必要なスキルや必要な考え方のポイントはどこにあるのでしょうか。

中田 まず大切なことは、「なんで、この人に刑事責任を問うべきじゃないんだ」「なんで、この人の刑事責任が軽くあるべきなんだ」ということを説得的に言葉で説明できること。それってまさにケースセオリーだと思うんです。自分の中で、ケースセオリーを確立して、それに沿った法廷活動をする能力は、依頼者の障害の有無に関わらず大切でしょう。

奥田 障害を軸にしたケースセオリーでは勝てない事件も当然あるわけですからね。

中田 ケースセオリーをきちんと見極めて、公判でそれに沿った活動をする。障害者事件プロパーの話だと、その人に対しての意思決定支援や合理的配慮などを検討することも必要です。それから、弁護人を含めた法律家って、罪を犯した人には、「罪を犯したあなたが悪い」「あなたが変わりなさい」という医療モデル的な発想になりがちだと思います。たしかに、罪を犯す障害者の中には、認知の歪みが強い人もいて、変容を求めることが必要なケースもあります。しかし、一般論としては、弁護人も、社会モデル、あるいはエコロジカルモデル的な発想をすることが重要だと思います。

奥田 医療モデル的発想を避けるためにどういうことを考え、裁判上どう主張しますか。

中田 その人なりの理想の生活像があるでしょうから、それを踏まえた意思決定を大事にすることですね。本人が希望する生活を手に入れれば、それをブチ壊すことになる再犯は、結果的に抑止されるのではないでしょうか。本人の希望をどういう形で実現するのか。そのことを考えると、社会の側が変わらないといけない部分だってあるし、社会が障害者にとって障壁にならないシステムを考えて構築していくことは大事だと思います。裁判で主張するときは、責任転嫁だと誤解されないように表現やバランスには注意が必要だけれども、犯罪に至った背景に、障害がゆえに苦手なことや生きづらさが隠れていないか、検察官と違った光の当て方が必要です。検察官は、短絡的で身勝手な犯行で動機に酌量の余地はないと言う。しかし、経験していない将来のこと、自分の行動の結果を想像することが苦手な障害特性があるかもしれない。被害的に受け止めてしまって利己的な行動に出るのは、いじめや被虐経験によって、自己効力感やレジリエンスを発揮するホメオスタシスが制限されていたからかもしれない。そういった犯情に影響しうる事情には、十分な検討が必要です。犯行に与える影響は間接的なものに過ぎないと現在の裁判所には言われるかもしれないけど、それこそが障害がある人の生きづらさの正体だったりするのです。

久保田 依頼者のそばに立つ弁護人は、それを受け止めるべきということでしょうか。

中田 そうです。そして、それをケースセオリーの柱として主張するからには、きちんと立証をする。そこで勝負する事件なら、弁護人が感想を述べるだけではダメで、人間行動科学の専門家による分析、評価が必要です。そのアセスメントの部分ができれば、問題を解決するために環境に働きかける必要も見えてきて、純粋な医療モデルから離れ、エコロジカルモデル的な解決方法を提案することになるのではないでしょうか。

3 希望する自由を追求する

奥田 障害者刑事弁護の魅力的なポイントをお聞きしたいのですけど、どのあたりが先生の心を惹きつけるのでしょうか。

中田 誤解を恐れずに言うと、障害がある人も含め、一定の人間は、不合理なことをしたいわけです。こういうことをやりたいという希望を持っていたりとか、こういうのは嫌だとか、管理される生活は嫌だ、という自由に対する思いがあったり、周りに無理だと言われても挑戦したい。冒険したくてウズウズしていて、安定なんてクソ食らえと思っている。障害があると、なぜか、そういう気持ちが尊重されにくい部分があるのだけど、そういう人に安定を押し付けない。自由に対する思いを尊重するということとパターナリズムとのせめぎ合いを考えるのが楽しい。自由の限界にチャレンジしている感じがしますよね。

奥田 不合理であっても、自由を求める本人の希望をどこまで追求できるのか。

中田 意思決定支援の話かもしれないけど、言葉が拙い人がこうしたいと表面的に出しているものが、本心にあるものと、本当に一致しているかっていうことも考えますよね。この人は本当は何を望んでいるのかなとか、この人にとって本当の自由ってどういうことかなみたいなことを、突き詰めて考える場面があって、それも楽しいですよ。それはコミュニケーションですから。深いコミュニケーションは、人間の本質的な喜びの一つです。

久保田 障害者の自由を社会の中で実現することが、社会全体をより多様にする要素になるのかな、と今お聞きしていて思いました。

中田 そうですね。社会全体にとって、自由とリスクとのバランシングは大事ですね。他人の権利を害さないって、それはそれで社会の側の要請としては圧倒的に重要です。それは誰にとっても疑いがない。だけど、ゼロリスクだけを追い求めていたら、結局、「施設に入れておけ」「病院に入院させておけ」といった発想に行きつくわけですよね。アパートでの1人暮らしよりもグループホームの方がリスクは小さくなるし、グループホームよりは入所施設や病院の方がリスクは小さくなるわけだけど、それと反比例して本人の自由度は下がるじゃないですか。そういったリスクと自由のせめぎ合いやバランスをどう取るかという話を考えることも大事です。執行猶予をとって情状弁護としては成功したけど、結果、その人自身は自由を失って不幸になったとはしたくない。刑事弁護は、自由の領土を拡げるものだと思います。

(「この弁護士に聞く第36回」『季刊刑事弁護』106号〔2021年〕を転載)

*中田雅久弁護士が代表理事をしている「東京TSネット」は、2022年1月より本サイトで「一緒に考える〈障害のある人の刑事弁護〉」を連載している。

(2022年05月27日公開) 

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