漫画家・浅見理都が刑事弁護人に聞くザイヤのオオカミ

第1回 坂根真也弁護士に聞く

天職としての刑事弁護

常に弱者の立場に立てる


刑事弁護のたいへんさ

 今まで刑事弁護をやって、たいへんだったなと印象に残っていることはありますか。

 毎回たいへんすぎて、何がたいへんだかわからなくなりますが、検察官が依頼者の身体拘束をする勾留などをすぐに請求したり、それを裁判官が安易に認めたり。あるいは、納得できない理由で有罪判決となるときがつらいですね。

 どちらかというと、被疑者・被告人との付き合いより、検察官や裁判官を相手するほうがたいへんですか。

 そうですね。何をもってたいへんというかですが、事件にもよります。精神的な病気を抱えているような人の弁護では、コミュニケーションは難しいですね。普通の人であれば、依頼者との関係で困ることはほとんどありませんが。

 例えば、「発達障がい」などは有名になってきましたけど、「この人の症状に名前は付いていないけど」みたいなものがあったりしますか。

 そういうものはあります。発達障がいにしても、知的障がいにしても、比較的軽度な部類の人は、必ずしも社会でそういう診断を受けていません。一応の生活ができている人は結構いるので、もっと早期に社会が気付いていれば、こういうことにはならなかったというのはあります。

依頼者とのコミュニケーション

 坂根先生は「病気を抱えていない人とのコミュニケーションで、困ることはほとんどない」とおっしゃっていましたが、どうしてその人が犯罪を犯したのか、その背景など深いところまで理解できるほどコミュニケーションが上手くいっていると思われますか。

 そうですね。コミュニケーションで困ったことはあまりないです。

 どういう点に気を付けていますか。

 多くの依頼者は拘束されていて、弁護士が面会(接見)するのにもアクリル板があります。アクリル板はもちろん透明ですが、そこにとても大きな壁──向こうの世界とこっちの世界という意味ではとても大きなものがあります。ちょっとでも「弁護士だから、面接に来てるんだな」とか「所詮、自分のことはわかってくれない」と思われてしまうと、その関係を修復するのがなかなか難しくなります。

 どこまでいっても限界はありますが、弁護士として会うという感覚にはなるべくならないようにしています。要は、今日は初対面ですが、普通に社会で出会って知り合いになるとか、友達になるということと同じように接するよう心掛けています。いくらこちらが心掛けても、向こうが弁護士として見てくるのは避けられませんが、自分の中に「自分は弁護士だから」という感覚を持ってしまうとより難しいと思います。

 そうすると向こうの人も心を開きやすいということですか。

 そうじゃないかと期待しています。実際はわかりませんけどね。

 まったく話さない人とか、いませんか?

 弁護人にも黙秘するということは、過去に1度だけありました。

 それはたいへんそうですね。最終的には話してくれましたか。

 いえ、その人は話さなかったです。しゃべれないとかではなかったのですが、名前も言わなかったです。

依頼者を絶対に怒ったり、責めたりしない

 よく依頼者を責めたりする弁護士がいますが、それは効果的ですか。

 私は依頼者を絶対に怒ったり、責めたりしないようにしています。実際に犯罪をやってしまって量刑を争うような事件の場合には、弁護士が責めてもいいのではないかと思うかもしれません。しかし、やった人は取調べで警察から怒鳴られたり、検察から追及されたり、裁判官から怒られたり、事件によってはマスコミに報道されたり、家族に責められたり、みんなから責められています。そういう人を弁護士まで責めてしまうと、やっぱり閉じこもるというか、殻にこもるので、やったことを私が責めることは絶対しないようにしています。

 社会としてはやったことを責めなければいけないのですが、それは自分の仕事ではないと思っています。

 つまり、依頼者の言い分が、坂根先生ご自身が到底理解できない理屈だと思っても「そうか、そうか」と聞くということですか。

 はい、「そうだね」って聞きます。弁護士もその人を責めることになると、結局、弁護士制度の意味がなくなってしまいますから。

依頼者への過度な共感・同化は危険

 それでも「共感できないな」という人はいますか。

 成育歴、あるいは生活環境の悪いことが犯罪の背景の9割だと思っています。やったこと自体はもちろん悪いことで、責められるべきことですが、そこに至る経過には同情すべき点があります。だからといって全部理解できるとも限りません。共感できないようなケースは確かにあります。

 逆に、依頼人に過度に共感しすぎて失敗したことはありますか。

 そうですね。刑事弁護人は若いときに誰しも通ると思いますが、「この人、絶対に無実だ」と思うとか、あるいはやった人でも「この人のここはちゃんと訴えて、少しでも刑を軽くしたい」と思うことはあります。しかし、そういうふうに依頼人に共感して、同化していくのは、とても危険なことです。

 弁護士はプロとして、その人を代弁することが職責ですが、共感、同化すると客観的に判断することが難しくなっていきます。一歩引いた目で見なければいけないので、依頼人をどうしても助けたいと思ったときほど一歩立ち止まるようにしています。

 一歩立ち止まって見るというのは、具体的にどういうことですか。

 例えば「この人が言っていることは違うかもしれない」という目で記録を見てみるとか、この人の言っていることをとりあえず疑って調査してみるとかです。結局、判断するのは何も共感してない裁判官だから、「裁判官の視点でどうか」という目を持たないと裁判の戦略を有効に立てられません。共感しすぎると、どうしても当事者に偏った見方になるので、とても危険です。

(2021年02月22日公開) 


こちらの記事もおすすめ