8 新制度の概要[1]
⑴ 名称、役割、権限
2023年2月に議会に提出された法案(Bill C-40)では、新たな再審審査機関の名称を「冤罪審査委員会(A Miscarriage of Justice Review Commission)」とするとされた。先の政府報告書の提案を活かして、それにreview(審査)を加えた名称になった。重要な点は、これまで司法省の内部組織であった現行CCRGとは異なり、司法省から完全に独立した政府機関とされたことである。従来の司法大臣の有していた権限と同等のレベルが維持されるとされた。調査権限も引き継ぐが、具体的には宣誓供述命令、証拠提出命令などで、後者は法執行機関も対象とされる。
政府報告書では、様々な刑事司法の問題について独自の立場で調査・勧告機能も持つよう提案されていたが、この点は取り入れられなかった。現行CCRGに継続中の事件の申請者は、新委員会発足後、移管を求める権利が認められた。
⑵ 委員会の構成
委員長の下に4名から8名の委員が司法大臣の推薦に基づき枢密院総督(Governor in Council)[2]によって任命されることとなった。委員の任命にあたっては少数民族やマイノリティにも配慮した多様性のある人選が求められている。政府報告書では独立した任命主体が推奨されていたが、法案では政府により選出することになった。
⑶ 審査対象・審査手続
審査には上訴手続など法的権利を全て利用したことが条件となる。審査請求者は審査を受けるにあたって代理人の付与を求めることもできる。
審査対象事案はいわゆる「事実冤罪」に限られない。法的無罪(例えば責任能力案件)や量刑誤判なども請求可能になる。この点は議会報告書(2020年)や政府報告書(2022年)の示した方向性を取り入れている。
審査委員会の調査権限については、連邦法であるInquiry Act(調査委員会法)の権限規定が準用されるとされているので、捜索権限、提出命令権限、証人喚問権等が与えられる[3]。
審査に際しては、少数言語への配慮が義務付けられるとともに[4]、被害者や被害者遺族がいる場合には審査について告知することも求められた。
再審請求手続で最も重要な再審開始勧告の判断基準については、「冤罪が発生した可能性があり(miscarriage of justice may have occurred)、かつ、再審もしくは上訴が適当とすることが正義の利益に合致する(in the interest of justice)」場合とされた。この点も政府報告書の提案に沿っている。有罪無罪を判断するのではなく有罪判決を破棄する権能も持たないのは他国のCCRCと同様である。
再審付託決定の判断にあたり考慮される要素としては、確定判決に関わる新たな証拠や情報の他に請求人の社会的、民族的背景なども含まれるとされ、特に先住民族やアフリカ系の申請者に配慮が求められるとする。
なお、誤判事件の犯罪被害者遺族の中に独立の誤判原因調査を希求している方々がおられることも報じられていて[5]、再審請求審査制度と並んで誤判原因の解明も(従来の誤判事件で実施されてきたように)委員会創設後も依然として重要な役割を持つことに変わりはない。
⑷ 委員会のその他のミッション
新たな審査委員会の開始時期については新法では定められていない。ただ、立ち上げにあたっては広報活動を十分におこない、その役割や請求方法について広く国民に周知する必要があると法案提出時に指摘されていた。また、委員会決定結果については必ず公表することが求められている。加えて、委員会の活動の透明性を高めるために年次報告書を刊行することも求められた。以下が新委員会の権限ならびにプログラム等である。
① 司法の誤審に関する一般市民への法的教育、および委員会の役割と申請手続に関する潜在的な申請者へのアウトリーチ。
② 申請書や委員会の調査報告書への対応について支援が必要な申請者への法的支援の利用。
③ 必要に応じて申請者の取得言語による翻訳および通訳サービス。公用語法が適用される場合を除く。
④ 被害者サービス専任コーディネーターを通じた被害者への通知および情報提供。
⑤ 審査過程で支援を必要とする申請者に対する社会復帰支援(例えば、住宅や食料など生活必需品)。この支援は委員会が資金を提供するが、外部のサービス提供者が実施する。
⑥ 委員会の決定は、誤認有罪判決の原因と結果に対する認識を高めるための別の手段として公表される。
⑦ 委員会は、年次報告書を作成して議会に提出し、委員会のウェブサイトで公表することが義務付けられる。
他国のCCRCと比べて特徴的な点としては、請求中の請求人の保釈や社会復帰の支援が明記されている⑤であろう。生活費の保障を含めた支援が得られるとするが、具体的には福祉サービスとの連携によって実施される。雪冤者のソーシャル・インクルージョンは各国でも課題となっているが、救済後については司法の管轄外の問題と位置付けられており、ここまでカバーする国は今まで見られなかったところである。なお、現行のCCRGは新たな委員会の活動が始まるまで継続することになっている。
法案審理の過程で法案支持の立場から弁護士で首相(1993年6月から11月)や司法大臣(1990〜1993年)も務めたキム・キャンベル氏が上院委員会でおこなったスピーチが、再審請求手続改革の核心を突いているので引用しておきたい。
この(独立して再審請求を審査する新たな)委員会が取り組む業務は困難を伴い、多様なスキルが求められることを理解することが重要でしょう。(委員に任じられる人は)単に法的スキルが優れているだけでは不十分で、(刑事手続における)意思決定のダイナミズムを理解し、陪審員や法執行機関が誤りを犯す可能性のある点を把握できる人材が求められています。……(略)……私の意見は、私たちが(刑事裁判を)100%完璧にできることはないということです。完璧を達成することなどできないと思います。ですから、私たちは最善を尽くして、誤った有罪判決が生まれないようにするとともに、そのようなこと(=誤判)が起こる仕組みについてより深く理解し、誤審が進行してしまう前に予防策を講じておき、誤って有罪判決を受けた人々への正義を追求する中で、可能な限りの教訓を学ぶよう努めることができると思います[6]。(括弧内は筆者の補足による。傍点も筆者)
⑸ その他
2023年2月16日に再審請求審査制度を創設するための法案が連邦議会に提出された際[7]、ラメット司法大臣は、雪冤まで23年を要したデビッド・ミルガード氏(2022年5月に69歳で死去)の妹とともに記者会見に立ち、ミルガード氏とその母、ジョイス・ミルガード氏(2020年3月に89歳で死去)の長い法的闘いに思いをはせ、速やかに法案を可決するよう議会メンバーに対して呼びかけている[8]。そのため、本法は2人にちなんで「デビッド&ジョイス・ミルガード法」と公式に呼ばれている[9]。日本でも、法務大臣が冤罪被害者やその家族と並んで、再審法改正案について記者発表するような日が訪れるであろうか。
もっともカナダでも法案通過までは簡単ではなかったようだ。野党からの懸念が強かったからだ。特に、再審請求人に対する手厚い保護や支援について財政面での不安が指摘されていた。それでもなおこの法案が可決されたことは、冤罪救済に向けて必要な手当とは再審請求審査手続の整備に止まらず、請求人やその家族への支援や保護の必要が理解されたことの証左であろう。カナダにおける今回の新たな再審審査機関の設立は、世界中で冤罪に苦しむ人とその家族に大きな励ましとなるに違いない。
なお、誤判対策や冤罪防止のためには誤判事例データの収集が不可欠だが、カナダでは、法案の提出と同時期に民間で大きな動きがあった。それは、政府報告書に関与したケント・ローチ教授が率いるグループによる「雪冤データベース」の構築である。2023年2月の公開時点で83件の誤判冤罪事例が収録され、ローチ教授は、カナダでは司法取引に基づく誤判が多いことや、3分の1のケースは実際に事件が起きてもいないにも関わらず誤判が生まれていたことを明らかにして、そうした実態把握のためにデータベースが有用と強調した。今回、再審審査機関の設立によって、このデータベースを通じて多くの冤罪者が登録されると期待されている。
9 おわりに
冒頭記したように、現在日本では再審法改正を目指す議連が設立され、確定判決当時に提出されなかった証拠へのアクセス権の保障や、再審開始決定に対する検察官抗告の禁止といった“最低限”の改革を目指す議員立法が進められようとしている。これに対抗するようにこれまで再審法制の改正は必要がないとしていた法務省が、手のひらを返したかのように今年3月に法制審議会に改正を諮問した。まるで“議員立法潰し”のように映る[10]。
こうした日本の動きと対照的なのが、今次のカナダにおける再審法制改革といえよう。本稿で紹介したように、その端緒から国会での審議に至るまで両国の立法状況は大いに様相を異にする。日本では法務大臣は何度も法改正の必要なしと言い続けてきた。それが、議員立法が目前に迫るやいなや、法制審議会に諮問を出すという矛盾する行動をとった。諮問事項をみても、早急に日本の再審請求手続を改革して誤判の是正を通じた無実者の救済を容易にしようという熱意がまったく感じられない。
本年5月29日に鈴木馨祐法務大臣は袴田巖氏の姉・ひで子さんと面会し、心からおわびの言葉を伝えたと報じられた。法務大臣がなすべき責務は謝罪で終わらない。自ら率先し、再審法改正に向け先頭に立って省内をまとめあげ、一刻も早く改正の道筋を付けることだろう。
両国の違いの根底にあるのは、カナダでは、首相をはじめ司法大臣も国会議員も、検察や警察までも、刑事裁判に完璧はない(すなわち誤判の可能性)ことを受け止めた上で少しでもそうした事態を是正し冤罪被害を回復する仕組みを国家として構築するという意思が共有されていることにある。
海外の再審請求審査の改革動向を参考に再審法制を検討することも大事だが、なにより肝要なのは、誤判の是正という国家的使命について、政治家も官僚もそして刑事司法に関わる全ての人々が共有していくことではないか。
(了)
【付記】
本稿は2024〜2025年度成城大学特別研究助成による研究成果の一部である。
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【関連記事】
・連載「袴田事件無罪判決を読む」第3回 誤判原因究明制度の確立を——袴田事件を教訓として(上)(指宿 信)
・連載「袴田事件無罪判決を読む」第4回 誤判原因究明制度の確立を——袴田事件を教訓として(下)(指宿 信)
注/用語解説 [ + ]
(2025年06月07日公開)