裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語<br>第14回(最終回)

裁判員のはらの中──もうひとつの裁判員物語
第14回(最終回)

ビックリだらけの裁判員

幅 美奈子さん

公判期日:2015年5月27日~6月12日/千葉地方裁判所
起訴罪名:強盗殺人ほか
インタビューアー:田口真義

 


12
幅美奈子(はば・みなこ)さん(2026年4月12日、筆者撮影)

死体検案書と六法全書

 「裁判員のはらの中」の執筆を始めるにあたって、どうしても取り上げたい方がいた。それが幅美奈子(はば・みなこ)さんなのだが、彼女に生じた諸事情が大きすぎて、それは叶わないまま最終回を迎えてしまっていた。今回、彼女から望外の連絡が入り、心残りが成就することになった。

 幅さんとの始まりはとても印象的だった。2015年10月のある日、LJCC(Lay Judge Community Club)事務局の電話が鳴った。電話口の彼女は、4カ月前に裁判員を務めたこと、悩んで苦しんで判決を導いたこと、LJCCを新聞記事で知ったことなど、堰を切ったように一気に話し尽くした。やがて嗚咽を漏らして言葉に詰まった。

 「あの記事」とは、僭越ながら私が載る朝日新聞の「ひと」(2015年10月19日朝刊)である。幅さんは、裁判員当時も今も大手生命保険会社に勤務していて、死亡保険金などの支払いを担当している。

 息子さんの夢を素直に応援して、期待を膨らます純粋な母の姿と、業務とはいえ死体検案書を日々精査する姿とのギャップに驚いた。そんな幅さんに候補者登録通知が届いたのは、2014年の秋だった。

 根拠のない「選ばれる」はよく耳にするが、調査票に「積極的にやります」と書いた方は初めてだ。そして、翌年の春に呼出状が届いた。指定された期日はなんと5月21日。裁判員制度の施行日と同じ日だった。

呼出状(左)と公務特別休暇申請書(右)

まさか、あの事件!?——選任手続~初入廷

 偶然ではあるが、裁判員制度施行日に選任手続へと呼び出された幅さんは、千葉地裁へと向かった。千葉地裁は、JR千葉駅からモノレールで3駅5分、歩くと約20分である。

 初公判から判決公判まで土日も含めると17日間のスケジュールはかなり長丁場だ。幅さんが知らされることになる事件概要は、深夜の住宅街でナイフを持った被告人が次々と通行人に襲いかかり、1名が死亡、1名がケガを負ったほか、この2名の被害者も含む計4名の通行人から金品や乗用車を奪うという大変な事件だった。

 「あの事件」とは、まさに幅さんの住む地域で起きた事件だった。発生当初からセンセーショナルな報道が繰り返され、テレビや新聞はもとよりインターネット界隈でも一躍話題となった事件である。

 お連れ合いは単身赴任中、息子さんにはお金を渡し外食をお願いした。会社への公務休暇手続も済ませて、幅さんは万全の態勢を整えた。そして、選任手続から6日後、20代から40代までの男性2名、女性4名の正裁判員に女性3名の補充裁判員という比較的若い構成の合議体は、千葉地裁で一番大きな法廷に入廷した。

 法廷に遺影を持ち込むご遺族のお気持ちはよくわかる。しかし、公正性の観点からは、やや心配だ。あるいは、事実関係に争いがなかったため、裁判長の裁量で許したのだろうか。では、被告人の印象はどうだろう。

 判決文によると、片耳が聞こえないという障害があり幼少期よりイジメを受けて育った被告人は、自閉スペクトラム症に罹患していて、起訴前に行った精神鑑定の結果では、反社会性パーソナリティ障害も抱えていたとされている。また、事件以前から統合失調症の治療も行っていた。

裁判進行スケジュール表

真っ黒な写真——初公判

 冒頭陳述に続いて証拠調べが始まった。「裁判進行スケジュール」1日目には、幅さんの字で「集中!!」と書いてある。

 鞘(シース)に収まる刃体の長さ21.9センチメートルのナイフは、アウトドアでは薪割りにも使われるような道具だ。さらに、「刺激証拠」と呼ばれる写真や画像類が続く。

 モノクロの衣類写真が「真っ黒」という言葉に背筋が凍る。それでも、目を背けずに真摯に向き合う幅さん。一方、法廷では複数の証人が証言台に立った。

 3日目の審理を金曜日に終えた法廷は、翌週月曜日までの三連休となった。

 夫婦で通うスーパー銭湯からの外食は週末の定番だそうだ。そこでしか吐けない弱音があったのかもしれない。公判日程で唯一の平日休廷日だった月曜日は、自身の有給休暇を事前に申請していた。心身に溜まるダメージを回復させる貴重な時間のはずだったが、幅さんの旺盛な好奇心はじっとしていなかった。

 自分の気持ちに素直な幅さんの行動力は素晴らしい。実は、私も同じことをした。ところが、この行動を問題視する声がある。そのせいで彼女は発言を自粛してきた。彼女のためにも、ここでハッキリと記しておく。

 裁判員制度は事件が起きた地域の裁判所に、その地域の市民が集まって審理に臨む制度である。今回の事件が幅さんの生活圏で起きたのはたまたまではない、そういう制度なのだ。審理中に事件現場を訪れることがダメなのであれば、例えば通勤で使う電車内で起きた事件の裁判員は、その電車には乗れないことになる。

 問題視する声の論拠は、証拠によってのみ事実認定を行う「証拠裁判主義」に反するという。しかし、幅さんに対して多角的に質問をした上で、判決文を精読してもなお、彼女が見たこと感じたことは一切反映されていない。あくまで生活圏内の日常風景だからだ。むしろ、裁判官のほうが心配だ。司法の歴史の中で、果たして審理外の情報やさまざまな圧力から一切影響を受けずに「証拠裁判主義」を貫いてきたと言えるのだろうか。

現場検証時のマーカー跡(2026年4月11日、幅美奈子さん撮影)
12

(2026年08月01日公開)


こちらの記事もおすすめ