1 はじめに
1984年12月に滋賀県日野町で発生した強盗殺人事件「日野町事件」は、2026年2月24日に最高裁が検察の特別抗告を棄却して、再審開始決定が確定しました。
本事件において、有罪判決の柱とされたのが、自白と事件現場から発見された置き型の丸い鏡(以下、「丸鏡」という)に付着した指紋であり、とくに指紋は物色行為を裏付ける客観的な証拠として極めて重要な役割を担っていました。
特筆すべきは、2023年2月27日の大阪高裁決定(LEX/DB25594460)において、警察の「特徴点12点一致」の基準に満たない指紋の判断結果に対し、初めて公的に「相応の信用性が認められる」との見解が示された点です。
本稿では、事件の経緯をたどりながら、大阪高裁が示した12点未満一致の指紋に関する新たな証拠評価と、それが今後の裁判実務にどのような影響を与えるのかについて検討を行います。
2 警察庁「12点法則」の現状と実務上の課題
日本の警察において、指紋の同一性を判断する鑑定基準は、1979年に策定された「皮膚紋理鑑定基準12点法則」(以下、「警察判断基準」という)です。
この警察判断基準では、2つの指紋が同一であると断定するためには、矛盾点がないことを前提に、12点の特徴点の一致を指摘しなくてはならないと定めています。しかし、仮に11点まで特徴点が一致しており、なおかつ矛盾点がない確度の高い指紋であっても、照合不能と判断されるなど、硬直的な運用が課題となっていました。
こうした厳格さに対し、警察庁は翌1980年に「一致に至らない指紋の利用要領について」という通達を出しています。
これにより、一致する特徴点数が12点未満でも、一定の条件下で利用可能となりましたが、この通達は正式な文書ではなく、口頭による参考通報という変則的な方法で周知されました。
このような不透明な運用により、12点に満たない指紋が捜査の過程でどのように利用され、あるいは排除されたのかを外部(弁護側)から検証することを困難にしてきました。
日野町事件の再審請求審は、まさにこの「12点の壁」に隠された客観的情報の証拠価値をいかに評価すべきか、という問題に切り込んだのです。
3 日野町事件における警察指紋鑑定の検証
警察指紋鑑定では、犯行現場から発見された丸鏡に、元被告人・阪原弘氏の指紋が残されていたと主張しました。この指紋は、阪原氏による現場での物色行為を裏付ける唯一無二の客観的証拠として位置づけられ、有罪確定を支える重要な柱となりました。
なお、阪原氏は、被害者方酒店にてコップ酒を飲む客として出入りしていた人物でした。
警察は、5枚の指紋転写シート[1](以下、「転写シート」という)から3個の現場指紋を抽出し、そのすべてが阪原氏の指紋と一致すると断定していました。
これに対し、弁護団がもっとも重視したのは、この丸鏡の指紋が果たして犯行時に付着したものかという点でした。
阪原氏が犯行に及んだのであれば、丸鏡からのみ指紋が検出され、他の箇所からは一切同氏の指紋が検出されないという状況は、あまりに不自然です。そこで弁護団は、弊社に警察指紋鑑定の妥当性の検証を依頼しました。
鑑定資料は、警察指紋鑑定に添付されていた、現場指紋を採取した5枚の指紋転写シートです。本事件では、これが採取された現場指紋の全てでした。
まず、弊社の指紋判断基準(以下、「齋藤判断基準」という)にしたがって転写シートに付着した指紋を確認したところ、13個の指紋が確認されました。
これら13個の現場指紋を阪原氏の指紋と照合したところ、以下のような結果となりました。合わせて、警察鑑定と弊社鑑定の結果を比較した「現場指紋相互関連表」(表1)を以下に示します。
① 阪原氏に一致[2]:4個(警察指摘分を含む)
② 阪原氏に合致状態[3]:2個
③ 阪原氏以外の指紋:4個
④ 鑑定不能[4]:3個
表1 現場指紋相互関連表

ここで、弊社が採用した齋藤判断基準について簡単に説明します。
弊社では、警察鑑定の実務において切り捨てられる一致特徴点数が12点未満の指紋であっても、人物特定などの実態解明に役立てることができるため、段階的に基準を設けて評価しています。
たとえば、上記②の合致状態は、以下の用語解説にも記載するとおり、同一人の指紋と断定はできませんが、その可能性を示すものとして活用でき、④の鑑定不能という評価がなされた痕跡では、直接的に人物特定はできませんが、付着した痕跡の並びから指の種類を特定する重要な補助資料となります。
このように、警察側が警察判断基準という高いハードルを口実に切り捨ててきた微細な指紋情報を網羅的に解析したことで、丸鏡には阪原氏以外の指紋も複数混在していたという、有罪の前提を揺るがす事実が浮き彫りとなりました。
注/用語解説 [ + ]
(2026年09月11日公開)
