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第6回

高橋敏明さんと鬼怒川大水害国家賠償訴訟のストーリー

目に見える爪痕、目に見えない爪痕


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9月10日に何が起こったか

 「あの日は朝の7時くらいかな、危ないという情報が入った」高橋さんは9月10日のことを振り返る。

 朝6時、前日からの豪雨を受けて最初に水があふれたのが、常総北部の若宮戸(わかみやど)地区だと、片倉さんが水害の全体像を説明してくれる。

 「水が出たのは堤防がない場所だった。ここは昔から自然の堤防の役割を果たしていた砂丘林が掘削されて、住民がずっと対策を求めていたけれどもほとんど放置されていたところでした」

 12時50分、若宮戸から5kmほど下った上三坂(かみみさか)地区の堤防が決壊する。「この堤防は、高さも幅も足りなくて危険だった。こちらも住民はずっと指摘していた」

 そのまま洪水は下って水海道(みつかいどう)地区まで達する。鬼怒川と交わる八間堀川も氾濫した。

 「ふたつの川の交わるところに排水機場があったのだけど、そのときに排水機場を運転させて八間堀川の排水をすれば、町に流れ込む水をある程度食い止めることができた。でも川を管理する国土交通省がそれをしなかったために、洪水をバイパスしていた八間堀川も氾濫して、町は完全に水浸しになってしまいました」

 片倉さんと高橋さんが地図を示しながら、かわるがわる説明してくれた。こうして2015年9月10日、鬼怒川の水は川を下り、常総市全体を浸していった。

ビニールハウスは全滅

 「若宮戸では、比較的早い段階で避難指示が出ました。近くの小学校まで水が押し寄せているという情報も朝の7時くらいに入っていた。でも、あのときはまさか、こんな大水害になるとは思わなかった……」

 「川の近くに住む娘たちからすぐに連絡が来て、東側にある地域交流センターに避難した、ということだった。本当は、川を渡った向こう側、西岸のほうが地盤が高いので安全だと言っていたのだけど、行けなかった。娘たちは川の水があふれているのを見て、怖くて対岸へ橋を渡れなかったというんです」

 「私も娘たちがいる地域交流センターへ避難しました。そうしたら避難所まわりに水が押し寄せてきた。あっという間に私たちは孤立してしまった。車も水没したし、まる一日、救援物資も届かないまま。かろうじて飲み水だけ届けられたというくらいでした」

 「でもあのときは最悪の可能性も考えていたから、『命があっただけよかった』と思っていました」

 「一夜明けて、翌日の昼ごろになって、やっとまわりの水が引き始めて脱出できた。いたるところで道路が崩れたり冠水したりしていて、とても通れる状況じゃなかったけれど、それをあちこち回避して、娘たちの家に寄り、そのあとここに来た。ネットで状況を見ていたから、覚悟はしていました」

 「植物はあとかたもなく流されてしまっていた。ビニールハウスも泥水に浸かって、俗にいう修羅場という感じ。見るも無残だった。覚悟していたものの、私はここに茫然と立ち尽くすばかりでした」

 16棟あった温室と店舗のすべてが1mの泥水に浸かった。花、観葉植物の苗、鉢物、合わせて10万株がほぼ流失し、流失しなかったものも泥水で枯れた。設備器具も水没し、被害額は5000万円を超えた。

(2021年05月28日) CALL4より転載

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