袴田事件では、袴田巖さんは雪冤を果たした。しかし、名張事件、飯塚事件、大崎事件、日野町事件などは再審請求中。全国にはいまだ多くの冤罪・再審事件があり、弁護団の努力にもかかわらず、その救済は取り残されている。さらに、無罪判決後、冤罪の原因や責任を明らかにしようと、国賠訴訟も提起されている。各事件や訴訟の最新の動きを弁護団に報告いただく。(編集部)
1 はじめに
2024年9月26日、静岡地裁の再審公判において袴田巖さんに言い渡された無罪判決に対し、10月8日に畝本直美検事総長の控訴を断念する旨の「談話」が公表され、12月26日には静岡県警察本部と最高検察庁の検証結果が発表された。これらには看過できない問題があるので弁護人の観点から検討する。
2 検事総長談話の問題点について
談話は、①控訴しないとする「結論」、②「令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応」、③「静岡地裁判決に対する評価」、④「控訴の要否」、⑤「所感と今後の方針」で構成されている。
⑴ 談話は、②において、「令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えました」と述べる。これは「再審開始決定は誤りで、4人を殺した犯人は袴田である」と言っていることに他ならない。
続けて「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり……再審公判では、有罪立証を行うこととしました」と述べる。これは「4人を殺した犯人は袴田だとする証拠は十分である」と公言したことを意味している。
そして、③では「『5点の衣類』が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中に判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が『5点の衣類』を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」とまるで控訴趣意書のように無罪判決を論難している。
しかも④で、「本判決は、その理由中に多くの問題点を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」と述べる。この意味は「無罪判決は誤判だから、控訴審に無罪判決を破棄させ、4人を殺した犯人は袴田だと認定させるべきだ」というものに他ならない。
つまり検事総長談話は、確定した再審開始決定や無罪判決を論難しつつ、その大部分を費やして『4人を殺した犯人は袴田だ』と繰り返した。
無罪を言い渡された者を殺人犯呼ばわりしたのだから、検事総長談話が巖さんの名誉を棄損したことは明白である。
ところが、控訴を断念した理由を「再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました」と述べる。
これは、「4人を殺した犯人は袴田である」と繰り返したその内容と一転相反し、論理的にも整合せず、全く理解し難い。
その結果、誰がどう読んでも、「本当は有罪だが、お情けで控訴しない」としか理解できず、無礼にも程がある。
以上のとおり、検事総長談話はその見識を疑わせる著しく不適切で名誉を棄損する違法なものであり、速やかに取り消すべきものである。
そして、⑤で「所要の検証を行いたいと思っております」としたのが後述の最高検の検証結果である。
⑵ なお、刑事補償請求の手続で、巖さん側が無罪判決を前提に最高日額が認められるべきだと主張したのに対し、検察官が談話と同様「無罪判決には客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている」と意見を述べたため、裁判所は具体的に釈明せよと迫った。
検察官は、最高日額を「下回る金額を想定しておらず……捜査機関によるねつ造を認定するに当たって……事実の誤りの箇所を具体的に説明したところで、請求人に対する1日当たりの補償金額が下がるものではない」として「回答の要なし」としていた。
そこで刑事補償決定(静岡地裁2025年3月24日LEX/DB25623004)は、巖さんからの虚偽自白の採取や5点の衣類のねつ造について捜査機関の「故意」を明確に認定。しかも確定審の期日指定に関し指摘された「説示部分には、明白な誤りがあり、その限度で、『客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている』という指摘は避けられない……しかし、本件無罪判決が……5点の衣類が捜査機関によるねつ造であると認定した根拠は、検察官が、警察の捜査活動と連携しながら、5点の衣類の発見から2週間程度という近接した時期に、本件のような重大事件の立証方針を一変させ、5点の衣類が本件犯行時に請求人が着用していた着衣であるという臨機応変かつ迅速な主張・立証活動を行って、ねつ造された証拠である5点の衣類を利用していることにあり、期日指定の先後関係によって、上記の根拠が揺らぐものではない」とし、「検察官の上記主張は、捜査機関による証拠のねつ造の根拠を正しく理解していないか、ねつ造の根拠と関連性が乏しい誤りを針小棒大に主張して証拠のねつ造の事実から目を背けるものと解するほかない」と厳しく批判した。
なお、袴田さんは2026年9月11日、検事総長談話によって名誉毀損されたとして国を相手に国家賠償訴訟を提起した。
(2025年11月05日公開)
