ニュースレター台湾刑事法の動き<br>第11回

ニュースレター台湾刑事法の動き
第11回

再審手続における検察官の公益的役割

呂介閔殺人冤罪事件の是正の経験を中心に

陳宏達(台湾高等検察署主任検察官)
日本語訳/呉柏蒼(信州大学経法学部准教授)


1 はじめに

 現代の法治国家において、検察官は犯罪を訴追し刑事司法システムの適切な運営を確保する責任を負っているにとどまらず、人権保障及び司法の公平性の維持こそが、その責任の所在である。再審手続は、確定判決に間違いが存在しているおそれがあるから行われるわけであり、その手続における検察官の役割は、「犯罪の訴追者」から「人権の守護者」へと再定義しなければならない。

 検察官は、伝統的に「国の訴追機関」の一部として、訴訟構造において、被告人と対立する立場に置かれると考えられてきた。しかし、このような役割への認識をそのまま再審手続に持ち込んでしまえば、確定判決に対する「忠誠の延長」につながり、間違った司法判断を「是正する使命」を果たすことにはならない。

 大阪大学の水谷規男教授は、再審請求手続において、検察官は確定判決を維持するために防衛的主張を行うべきではなく、公益と無辜救済の実現に重きを置くべきであり、検察官が「再審妨害」をその使命の延長とみれば、役割の在り方にふさわしくないという旨の指摘がなされている((水谷規男「再審請求と検察官」法律時報92巻1号(2020年)87〜88、89〜90頁。))。筆者はそれに賛同する。すなわち、検察官は再審手続において、「人権の第二の防衛線」となって誤った判決の真相を明らかにするために能動的に裁判所に協力するべきであり、既存の体系が行った判断を援護するべきではないと考える。

2 呂介閔殺人事件の捜査公判の経緯と原判決の事実認定の誤り

⑴ 再審のきっかけ

 受刑者(訳註:当時。以下同じ)・呂介閔(ロ・カイミン)氏は、殺人事件のため、2010年10月1日台湾の最高法院(訳註:日本の最高裁に相当)の判決により、有期徒刑(訳註:日本旧法の有期懲役に相当、以下同じ)13年の有罪判決を受けた。確定後、呂氏は次々と最高法院及び検察署に対して陳情を提出し、無罪を主張していたものの、退けられ続けていた。それに続いて、最高検察署検察総長(訳註:日本の最高検察庁の検事総長に相当)に対しても、非常上告や再審請求の発動についての申立てをした。最高検察署はその申立てを認めなかった一方、再審請求の希望については台湾高等検察署に処理を委ねた。筆者は2014年12月5日に当事件の担当となり、受刑者・呂氏の提出した書状や、過去の判決及び全証拠を精査し、疑わしい点を複数見出したため、必要な調査を行うことを決めた。筆者は台湾嘉義地方検察署の法医学医と共同で、嘉義刑務所に赴いて呂氏の唾液の検体を採取し、それを刑事警察局に送り、最新技術によるDNA鑑定を依頼した。

 また、台湾大学の法医学大学院の李俊億教授の専門的意見を伺った。李教授が提供したアメリカ国立科学院(National Academy of Sciences、以下NASという)が2009年に発表した「米国における法科学の強化:前進への道」(Strengthening Forensic Science in the United States: A Path Forward)((この報告書は、アメリカ国家研究委員会(NRC)が国会の求めに応じて2009年に発行したものである。アメリカの複数の冤罪事件により、鑑定の科学的信用性が不足していること、司法実務が鑑識に頼りきっているにもかかわらず、それに対する科学的検証が殆ど行われてこなかったことが露呈したのがきっかけである。報告書は、鑑定科学の質の向上、全国的に標準化されたシステムの確立、鑑識の科学的基礎と独自性の強化を目的としている。))という研究報告により、「咬合痕鑑定」の信用性が低いことを確認した。そこで、2015年4月21日に再審を請求した((台湾高等検察署103年度(2014年度)請再字第38号検察官再審請求書による。))。台湾高等法院は、同年5月4日に開廷し筆者の再審請求の趣旨についての意見陳述を聞き、同年5月7日に再審開始の決定を下し、そして、同年12月30日に被告人無罪の判決を下した((台湾高等法院104年度(2015年度)再字第3号刑事判決。))。検察側が上訴を諦め、この冤罪は1年程度で晴らすことができた。

⑵ 事件の概要

 2000年7月21日午前4時過ぎ、台北市内湖区のコミュニティの公園で、殺害された女性の遺体が発見された。遺体の頭部に強打を受けた痕跡があり、左の乳房に鮮明な咬合痕があったという。死者の交際相手だった呂氏が最後の電話の相手であるため、警察は捜査の初期、呂氏に重大な嫌疑があると見た。検察官は法医師の死体解剖に立ち合って検視を行い、被疑者のポリグラフ検査を法務部(訳註:日本の法務省に相当、以下同じ)調査局に依頼し、証人尋問を行った結果、被疑者の供述に矛盾があり信用に値しないと判断し、事件を殺人罪として公訴を提起した。この事件の被告人となった呂氏は台湾高等裁判所により有期徒刑13年の有罪判決を受けた。また、被告人の上告が最高法院に棄却され、裁判が確定した。受刑者となった呂氏が陳情を提出し、当時高等検察署検察官だった筆者がこの事件の担当となった。筆者は、この事件にある実証的根拠が貧弱で矛盾を含んでいることに気づき、再審請求することに至った。再審請求の主な論点は以下のとおりである。

(2026年04月07日公開)


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