「人質司法」に対する検察庁の認識は?
——2011年の郵政不正事件で、厚労省元局長・村木厚子さんを逮捕・起訴した大阪地検特捜部の部長であった大坪弘道氏は、「人質司法」について、その著書で、つぎのように記しています。
「否認する被疑者の保釈を阻み、長く拘置所に閉じこめておくのは、検察の常套手段である。これを人質司法という。否認を続けると保釈が容易に認められず長く勾留されてしまうのでは……という被疑者の不安・恐怖心理を利用し、自供を迫る、それをほのめかすか、暗黙のうちにやるかは人それぞれだが、これは検察官の大きな武器である。弁護士接見の拡大、被疑者国選弁護人制度の導入など、検察に対して種々の掣肘が加えられている中にあって、ある意味で検察に残された唯一のカードがこの人質司法である」(『勾留百二十日——特捜部長はなぜ逮捕されたか』〔文藝春秋、2011年〕282頁)。
最初に、市川さんは「人質司法」の現状をどのように考えているかをお聞かせください。
市川 私の検察官時代の状況と、現在弁護人として活動している状況とを比較すると、「人質司法」が適用される場面には変化が生じているのではないか、との印象を持っています。
私の検察官時代は、被疑者国選弁護制度すら存在しない時代であり、被疑者を逮捕・勾留し、身柄拘束の苦痛を利用して自白を獲得するという意味での「人質司法」が主眼でした。現在と比較すると、起訴後の対応についてはさほど考慮されていなかったと思います。
しかし現在、刑事弁護に携わる中で感じるのは、「人質司法」の重点が起訴後に移行しているということです。すなわち、取調べの録音・録画制度が導入された影響により、それ以前に比べて自白の獲得が困難になりました。その結果、この制度の導入以前よりは、否認または黙秘のまま起訴せざるを得ない事案が増加しているはずです。
このような状況のもとで、検察がどのように対応しているかと言えば、徹底して保釈を認めない方向へと軸足を移しているように見受けられます。供述としての自白は得られなくとも、公判において認めさせる、あるいは検察官請求証拠への同意を誘導するという運用に、重点が移っているように見えるのです。
——市川さんは「人質司法」を認識されていたと思いますが、検察庁全体としてはあまり認識されていませんか。
市川 「自白を得るために被疑者の身柄を拘束するのは当然であり、否認している被告人を保釈しないのも当然である」との意識は、今もなお検察庁全体で共有されているはずです。「否認しているなんて生意気だ、そんな被疑者・被告人はずっと入れておけ」と上司が指示し、部下の検察官はこうした指示によって教育されます。このため、検察庁全体として、「人質司法」と言われる運用を行っているという認識自体は有していると考えられます。
もっとも、刑法的な意味での違法性の認識はほとんどなく、「それのどこに問題があるのか?」という感覚に近いのではないでしょうか。
他方で、近年は市民の間にも「人質司法」という言葉が浸透してきているため、検察庁には「市民による検察実務への批判が煩わしい」「多少は市民の批判に留意すべきだ」といった認識も生まれている可能性があります。しかし本質的には、「何が問題なのか」との認識にとどまっていると思います。
むしろ、取調べの録音・録画制度が導入されたことにより、「『人質司法』以外に公判維持の手段がない」との認識すら見受けられます。「そうでなければ処罰すべき犯罪者を適正に処罰できなくなる」といった発想があると考えられます。
法務省は「日本の刑事司法制度に関するQ&A」を公表しており、そこでは「日本の刑事司法制度は、身柄拘束によって自白を強要するものではなく、『人質司法』との批判は当たらない」と説明しています。また、勾留や保釈についても「厳格な要件と手続に基づき、人権保障に十分配慮して運用されている」と述べられています。
これらの説明は、検察庁の本音を反映しているとも言えます。すなわち、「自白は必要であり、そのための手段として一定の身柄拘束はやむを得ない」という認識だろうと考えられます。
——「人質司法」の根源にあるのは自白獲得ということですが、捜査にとって自白はどうしても必要ですか。
市川 検察庁に言わせればそうでしょうね。自白が必要とされる理由は大きく二つあります。
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(2026年05月08日公開)

