⑶ “Confessions and the Right to Silence in Japan”(21 Georgia Journal of International & Comparative Law 415–488〔1991〕)
四大死刑再審事件とその他の多くの冤罪事件において、虚偽自白が重大な冤罪要因であったことを踏まえ、本論文では、自白と黙秘権について検討した。江戸時代から現代に至るまでの自白に対する考え方、およびそれを規律する基準の変遷に関する歴史的概観から始まり、被疑者の権利、取調べのプロセス、公判における自白の証拠使用、その他関連する幅広い論点を取り上げた。
⑷ “The Benevolent Paternalism of Japanese Criminal Justice”(80 California Law Review 317–390〔1992〕)
再審事件そのものを直接の中心的なテーマとするものではないが、同じ研究プロジェクトから派生した論文である。私はこの論文を、自身の研究の集大成と位置づけている。これは日本の刑事司法制度全体を説明するためのひとつのモデル、いわゆる「寛大なパターナリズム(benevolent paternalism)モデル」を提示する試みである。このモデルは、全体としては、きわめて肯定的な評価に基づく。
以下では、日本の刑事司法制度の問題点を主に論じることになるが、この「寛大なパターナリズム・モデル」についても要旨を述べておきたい。このモデルの発想は、死刑冤罪事件に関する私の研究に端を発する。これらの事件は、日本の刑事司法制度に内在するさまざまな問題点を鮮明に浮き彫りにした。自身の考案したモデルのこの側面を論じる際に、「パターナリズム」という概念を用いたが、その理由は、刑事手続のあらゆる段階において刑事司法当局、とりわけ検察官が巨大な権限と広範な裁量を有しているからである。「パターナリズム」ということばで、検察官が果たしている強力な役割を強調しようとしたのであった。
冤罪事件に見られる様々な論点や問題点の検討から出発した私の研究は、その過程で、日本の刑事司法制度のもう一つの側面、すなわち、はるかに明るく、賞賛に値する側面の存在にも気づいた。そしてこの点について、アメリカが日本から多くを学ぶべきであると考えるにいたった。これが「寛大」というラベルで表現しようと考えた側面である。この明るい側面の中核にあるのは、必罰主義ではなく、比較的寛大な処遇を通じて、加害者の更生と社会復帰を追求する姿勢である。
日本の刑事手続のうち捜査段階のみに焦点を当てれば、被疑者に対する長時間かつ厳しい取調べに大きく依存する、徹底的かつ集中的な捜査活動が特徴として浮かび上がる。なお、取調べの役割は、単に自白を獲得し犯罪事実を立証することにとどまらず、被疑者の人格や社会的背景を把握し、真の反省を促すという点にもあることを指摘しておきたい。
しかし、視野を処分の段階に広げれば、まったく異なる姿が見えてくる。いくつかの犯罪類型を除けば、警察・検察が最も重視するのは、加害者の更生である。基本的な方針は、更生を実現し、社会復帰を促進するために必要最小限の刑罰を科すことである。多くの事件(主として軽微な犯罪であることは認めざるを得ないが)は、警察段階での謝罪文の提出があれば処理される。より重大な事件においても、50%以上の被疑者が起訴猶予処分を受けている。起訴された者の99%以上が有罪判決を受けるが、そのうち約60%には執行猶予が付される。刑務所で服役することは犯罪性向を強めるおそれがあるとの認識に基づき、実刑判決は最後の手段と考えられてきたのである。さらに、執行猶予の付かない実刑判決が言い渡された場合であっても、日本の刑期は、20世紀初頭に厳罰化が進んだといわれたにもかかわらず、今日に至るまで依然としてかなり短期である。2023年に地方裁判所の第一審で刑法犯として懲役刑を言い渡された約1万4,000人のうち、ほぼ半数が2年未満の刑期であった。一方、同年に10年を超える刑期を言い渡された者は、無期懲役刑13人と死刑1人を含め、わずか175人にすぎなかった。これは、多くのアメリカ人にとっては信じがたい数字である。アメリカであれば、わずか2、3日で同じ数字に達するだろう。
「寛大なパターナリズム」論文を執筆するにあたっての大きな動機のひとつは、アメリカの読者に訴えかけることであった。30年以上前の当時ですら、アメリカはさらに厳罰化を強める方向へと突き進んでおり、更生はせいぜい理想論として扱われるにすぎなかった。アメリカが厳罰主義の道をひたすら歩むのを見ながら、平野龍一先生が日本の制度を評して用いた「病的」で「かなり絶望的」であるという形容[1]は、むしろアメリカにこそ当てはまるのではないかと感じるようになった。最近の論稿[2])でも、私は、日本の刑事司法制度を全体としてきわめて高く評価しており、アメリカは今なお日本から学ぶべき点が多いと考えている。したがって、以降の記述がかなり批判的に見えるとしても、全体として日本の刑事司法制度を高く評価しているということを予め強調しておきたい。
とはいえ、日本の刑事司法制度も無謬ではない。そして、誤りが生じた場合には、関係する刑事司法機関は、その誤りを率直に認め、是正する姿勢を持つべきであると、私は強く信じている。
注/用語解説 [ + ]
(2026年04月01日公開)
