⑵ 二段重ね小ロッカーの開閉と布団・遺留物の位置関係における物理的矛盾
検証調書の添付写真を拡大精査した結果、以下に示す二段重ねロッカー及びロッカー付近の状況の写真より、8畳間机の東側にある二段重ねのロッカーのうち、下のロッカーの扉の真ん前には、掛布団が密着して存在しており、そのロッカーと掛布団にまたがるように封筒が1枚落ちており、掛布団の上には硬貨が斜めに存在しています。
櫻井・杉山両氏の自白では、殺人行為の後に死体を隠す目的で布団を投げたとされ、そのときに布団がロッカーの前に置かれたことになります。その後、木製机を物色した後に、上段のロッカー、次いで下段のロッカーを順に開けて物色したとされています。しかし、この自白と現場の状況との間には、決定的な矛盾が生じています。小ロッカーを物色するときには、すでにその真ん前に掛布団が密着しており、簡単には開けられない状態にあったからです。
また、櫻井氏の自白では、下段ロッカー内の書類を「両手でめくる」ように物色したとされていました。しかし、幅51.5cmの小ロッカーで、この状況を再現してみると、ロッカー内のものを両手でめくるように物色するには、約80cm開ける必要があり、真ん前に掛布団が存在する状態では扉の開閉そのものが物理的に不可能です。しかし、ロッカーの扉を開けるために、掛布団を移動させたとの説明は、櫻井氏の供述調書にはどこにも現れていなかったのです。
これらの一連の食い違いは、もはや自白に信用性がなく、その内容が虚偽であることを端的に物語っていました。
写真2 二段重ねロッカー及びロッカー前の状況撮影画像

4 「証拠の新規性」の攻防と裁判所の判断
私たちが作成した報告書に対し、検察官側は激しく反発しました。
検察官は、再審請求の段階に至って初めて主張されたような事項について、「再審請求の段階に至って気づいたものは、刑事訴訟法第435条第6号にいう『新たに発見した証拠』にあたらない」と主張し、新規性の要件を満たさないと強く争ったのです。とくに検察官が問題視したのは、検証調書に添付されていた写真を拡大して検討し、自白の不自然性を指摘した私たちの報告書そのものでした。
これに対し、弁護団は、土浦決定や東京高裁の過去の判断を踏まえ、刑訴法上の「新たに発見したとき」の意義は「証拠の未判断資料性」と解するのが今日の通説的な考え方であると主張しました。写真などを拡大して検証調書を詳細に検討することは、従来の確定審の段階では十分に解明されていなかった点を明らかにするものであり、犯人による物色行為の検討においてまったく新しい視点を提供するものにほかなりません。
こうした双方の主張に対し、東京高等裁判所第4刑事部(裁判長・門野博)は、2008(平成20)年7月14日の即時抗告審の決定(LEX/DB25420061)において、次のような重要な判断を下しました。
「新証拠(物色行為に関する検証——下線は筆者加筆)は、確定審に提出されていた上記検証調書中の写真を拡大するなどして作成されたものであるため、新たに発見した証拠といえるかどうかが問題になり得るが、写真を拡大するなどして、上記検証調書を検討しただけでは解明しにくい点を明らかにしているもので、犯人による物色状況の検討の新たな視点を提供するものと認められるものであり、新規性を認めてよいと判断される」。
このように裁判所は、客観的資料の細部を緻密に分析した検証手法に確かな新規性を認め、自白の信用性を揺るがす重要な判断材料として受け入れたのです。
5 無罪判決の確定とその教訓
2005(平成17)年9月21日、水戸地裁土浦支部は、ついに再審開始を決定し、長期にわたって閉ざされていた再審への道を開きました。これに対して、検察官が即時抗告を申し立てましたが、前述のとおり、2008年7月14日、東京高裁はこれを棄却しました。東京高裁による新規性の認定と客観的検証の採用は、この再審開始決定を維持する大きな力となりました。さらに検察官は特別抗告を申し立てましたが、2009(平成21)年12月14日、最高裁第二小法廷がこれを棄却し、再審開始が確定しました。
その後、慎重な審理が重ねられ、2011(平成23)年5月24日、水戸地裁土浦支部は櫻井氏と杉山氏に対して無罪判決を言い渡し、検察官が控訴を断念したことにより、同年6月8日に無罪が確定しました。逮捕から実に44年という長い年月を経て、ようやく二人の無実が公に証明されたのです。
捜査機関が強烈な先入観や過酷な取調べによって作り上げた自白のストーリーは、一見すると揺るぎないもののように見えるかもしれません。しかし、現場に残された微細な証拠写真や客観的な物証を冷静に拡大・検証し、自白の描写と物理的な事実が本当に整合しているのかを徹底的に突き詰めること——それこそが、隠された真実を掘り起こし、冤罪の構造を打ち破るための最も確実な武器となるのです。
無罪確定後のことですが、知人の弁護士に誘われて都内で開催された日本刑法学会の懇親会に参加する機会がありました。その席で、かつての布川事件即時抗告審決定において、私の作成した報告書に「新規性」を認めてくださった元東京高裁裁判長の門野博弁護士と偶然ご一緒することができました。
せっかくの機会でしたので、私が布川事件の鑑識・検証に関わった鑑定人であることを伝えて挨拶をしたところ、同氏は当時を鮮明に覚えておられ、「あの報告書は、再審請求決定の検討に使いたかった」と即答されたことが今でも強く印象に残っています。
(2026年09月14日公開)
