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被疑者・被告人の「痛みがわからない」から変わらない(上)

笹倉香奈(ささくら・かな)

被疑者・被告人の「痛みがわからない」から変わらない(上)

連載最終回は、刑事訴訟法研究者の笹倉香奈さん(甲南大学教授)にお聞きします。なぜ人質司法は変わらないのか。自白神話の根深さ、広がる市民運動、そして裁判官に伝えたい「痛み」の実感とは何か、率直に語っていただきました(2026年9月5日、現代人文社会議室にて)。

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「人質司法」とは何か

——特集「STOP人質司法!」の最後のインタビューとして、笹倉さんにお願いします。「人質司法」という言葉自体を、法務省など捜査関係者はいまも認めていません。しかし、大川原化工機事件で被告人の一人であった相嶋静夫さんが、勾留中にガンが発見されたが保釈されずに亡くなったこともあり、これに関する報道が増えてきました。その結果、「人質司法」という言葉が一般の方にもかなり知られるようになっています。笹倉さんが考える「人質司法」とは、どういうものでしょうか。

笹倉 一般に言われていることですが、黙秘や否認をしていると被疑者・被告人の身体拘束が長引く。つまり、被疑者・被告人の自白を得るために身体拘束が使われているということです。そして自白を取るために、被疑者段階の取調べは、非常に長時間、かつ長期間にわたって行われることが、常態化しています。

 被疑者段階で、黙秘・否認をしていると「罪証隠滅のおそれ」ありという理由で、なかなか身体拘束から解放されません。さらに、身体拘束の場所の問題——いわゆる「代用監獄」の問題は昔から指摘されてきたところです——もあります。拘束の環境も非常に劣悪で、留置場や拘置所の収容・生活の環境、特に医療面の改善が遅れています。刑事司法システム全体が自白を取る方向、罪を認めさせる方向に運用されています。それが人質司法という構造だと思っています。

なぜそうなってしまったのか——「自白神話」

——そういうシステムは捜査側にとって非常に都合がよいわけですが、なぜ日本の刑事司法はそうなってしまったのでしょうか。制度的な要因もあるのでしょうか。

笹倉 戦前の旧刑事訴訟法時代の運用が、戦後の新刑事訴訟法になっても根本的には変わらず、改善されなかったからだと思います。自白が証拠上、事実認定にとって一番の要になっています。まさに「自白は証拠の女王」です。そのうえ実務では、自白によって真実が解明できる、自白がなければ真実発見はできない、と考えられてきました。さらに、被疑者・被告人は犯人だという前提に立ち、その人たちを更生させる第一歩として、刑事政策的にも自白させることが有効だとずっと信じられてきたのです。人質司法の根本にあるのは、この「自白神話」がなかなか取り除けないことではないでしょうか。

 そうした神話が、日本の法曹関係者全体、とくに捜査関係者には脈々と続いてきたのではないかと思います。これだけ冤罪が明らかになり、自白が誤った裁判を生み出すことがこの間わかってきたにもかかわらず、そこからなかなか抜け出せない。そこが深刻なところです。

——自白が誤った裁判を生み出す原因であることは、刑事法研究者の間では以前から問題になっていました。とくに免田事件、財田川事件など四大死刑事件が再審無罪になった1980年代初頭から厳しく指摘されてきました。しかし、それから30年、40年かかっても変わらないのは、どういうことなのでしょうか。

笹倉 基本的に制度はうまく回っている。そういう感覚が法曹関係者、とくに裁判所や検察官にあるのではないでしょうか。「日本で誤判や冤罪はそれほど起きていない」と彼らは考えています。有罪率99.9パーセントについても、自分たちはうまく起訴して真犯人だけを割り出し、それに対して有罪を言い渡していると受け止めている。そして、そのおかげで日本の犯罪率はずっと減少傾向にあるのだ、と。全体としてうまく回っているのだから、変える必要はない。今までのやり方が正しいのだから、これでいいのだ。そうしたことが、暗黙のうちに了解されてきたのだと思います。

 ある程度の間違いがあったとしても、袴田事件なら「昔の事件だから」、村木厚子さんの郵政不正事件なら「捜査官が悪かったのだ」と、個別の事件の特殊な事情によって冤罪が生まれているだけであって、全体としてはうまくいっている、という了解がある。それに対して反証を突きつけられてもなかなか変わらない。今回の再審法改正もまさにそうだと思います。結局、立法事実が個別事件の特殊性に解消されてしまい、全体的な改正に至らなかった。これは人質司法の問題だけでなく、日本のさまざまな司法問題に共通していると思います。

 他方、たとえば犯罪被害者の問題は世の中の人たちに同情されやすいので受け入れられ、立法化していく。逆に、被疑者・被告人の権利をより充実させる方向での改正は、無視されがちだと思います。

なぜ被疑者・被告人には人々の共感が集まらないのか

——被害者の問題は共感を呼ぶのに、被疑者・被告人の側はなぜ共感を生まないのでしょうか。

笹倉 根本的に「自分は被疑者・被告人にはならない」という感覚が、日本人にはあるような気がします。学生と話をしていても、自分が被害者になる可能性はとても考えやすく、感情的にも理解できるといいます。ところが、自分が被疑者・被告人の側に回ることについては、「いや、私はそもそも疑われるようなことはしない」の一言で済まされてしまう。そういうところがあると思います。

——大学で刑事訴訟法を教えていらっしゃいますが、その点はどう説明されますか。

笹倉 「冤罪被害者にはなり得るよね」という話は受け入れられやすいですね。いまだに痴漢冤罪になるのではないかというのは、とくに男性の学生には了解しやすいようです。冤罪被害者の話が響くのは、自分もそうなり得るかもしれないからでしょう。

 刑事司法を適正に運用していくためには、冤罪被害者の問題だけでなく、被疑者・被告人全体の権利利益を強めていかなければなりません。ただ、そこまで理解してもらうのは、なかなか難しいと感じています。人質司法の問題が難しいのは、冤罪の問題だけではないからです。すべての被疑者・被告人にとって、人権侵害的な身体拘束はやめなければならない。そこが腑に落ちるかどうかが、一つ試されているところだと思います。

 ただ、冤罪の問題からスタートして、捜査機関でも訴追機関でも誤る可能性があることを何となくわかってくると、視点をもう少し広げてみようという感じになります。そういう意味で、教育は大事だと思います。

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(2026年10月19日公開)


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