刑事法研究者になるまで
——話は個人的な問題になりますが、そもそも刑事訴訟法の研究者になったきっかけは何だったのでしょうか。
笹倉 もともと、弱者の人権が蹂躙されることが小さい頃から許せなかったんですね。幼稚園のときに漫画『はだしのゲン』を読んで、衝撃を受けました。いとこの家にたまたまあって、夏休みに遊びに行ったときに読んだのです。こういうことが日本であった。しかも、苦しめられるのは決まって弱い市民たちなんだ、と。そこから、人権問題は日本で絶対に解決しなければいけない、平和は絶対に守らなければいけないと、子どもながらに思ったんだと思います。
また、小学校3年生のときにアメリカの第16代大統領になったリンカーンの伝記を読みました。リンカーンが大統領になる前、若い弁護士として、無償でいろいろな人の法律相談に乗って助けていた。弁護士にはそういう仕事があるんだ、しかも刑事弁護は社会の一番のはみ出し者を救う仕事なんだ、と思いました。弁護士はとても魅力的なので、そこから法学部を目指したのだと思います。父(早稲田大学名誉教授の笹倉秀夫〔法哲学〕)も法学部の教員でしたので、決して遠い世界ではありませんでした。
大学に入って司法試験を受けようかなとずっと思っていたのですが、私は語学も好きだったので、語学力も活用できて、かつ実務と理論の橋渡しのようなことをしたい。それができるのは刑訴法の研究かなと思って、大学院を受けました。
当時、父が川﨑英明先生に「どこの大学院がいいか」と相談してくださって、川﨑先生が「一橋か、東北大あたりだ」と。一橋は実家から通えましたし、ちょうど後藤昭先生の論文を読んだ後だったのではないかと思います。それで一橋を受けました。後藤先生のところにいなかったら、もちろん研究者にはなれていなかったと思います。一橋の当時の大学院の雰囲気も合っていましたし、後藤先生に育てていただきました。
その後、研究者になり、就職して4年目に「最短で在外研究に行ってもいい」と言われました。そこで1年間アメリカに行き、現地のイノセンス・プロジェクトで——研修というよりは押しかけていって、毎日通っていたら「机をあげるよ」と言われて——向こうの弁護士の方々と一緒にいろいろな事件を担当させてもらいました。それで日本に帰ってきて、イノセンス・プロジェクト・ジャパン(IPJ)とSBS検証プロジェクトを立ち上げました。当初に言っていた「実務と理論の橋渡しをしたい」ということは、この10年で少しはでき始めてきたのかなと思います。
その意味では、自分は研究者的というより、最近はとくに活動家的になっていると思います。プロジェクトをやっていると「これは私がすべきことなのかな」と思うこともありますが、他にできる人がいるかというと、そうでもないかもしれないですね。
——なかなか研究者がそういう問題解決のための実践に参加しないですね。
笹倉 大出良知先生とか新倉修先生とかは先達としていろいろやってこられていますが、そういう方は少ないですね。
バイアスと事実認定
——いま、刑事訴訟法のテーマとしてはどんなところに取り組んでいらっしゃいますか。
会員登録(無料)が必要です
これより先は会員専用コンテンツです。ログインまたは会員登録が必要です。
(2026年10月21日公開)

