「袴田事件」1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残るか、証人尋問で専門家の見解は分かれる/袴田さんの弁護団は立証に自信

小石勝朗 ライター


証人尋問の終了後に概要を説明する袴田巖さんの弁護団と袴田さんの姉・秀子さん(左から2人目)=2022年8月1日、東京・霞が関の司法記者クラブ、撮影/小石勝朗。

 袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、最大のヤマ場となる法医学者らの証人尋問が7月22日、8月1日、5日の日程で行われた。テーマは、1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残るかどうか。元プロボクサー袴田巖さん(86歳)の弁護団と検察がそれぞれ請求した計5人の学者が東京高裁(大善文男裁判長)で証言したが、見解は分かれた。ただ、袴田さんの弁護団は「最高裁が求めた専門的知見を立証できた」と自信を見せている。

 差戻し審では、死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」に付着していた血痕の色合いが争点になっている。

 事件発生の1年2カ月後に味噌タンクから見つかった5点の衣類は、味噌の仕込みや袴田さんの逮捕の時期を勘案すると1年以上味噌に漬かっていたことになるが、発見時の血痕には赤みが残っていた。弁護団は「1年以上味噌に漬かった血液に赤みが残ることはない」として、5点の衣類は発見直前にタンクに投入された捏造証拠だと主張。一方の検察は「長期間味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性は十分に認められる」と反論している。

弁護団請求の法医学者は「赤みが残ることはない」

 証人尋問は非公開で行われ、弁護団が各日、終了後に記者会見して概要を説明した。

 初日の7月22日に尋問を受けたのは、旭川医科大・法医学講座の清水恵子教授と奥田勝博講師。弁護団の委託を受けて、味噌に漬かった血液の色調が変化する化学的な要因を分析。血液を赤くしているヘモグロビンが味噌の塩分や弱酸性の環境によって変性・分解、酸化し褐色の別の物質に変わるため、1年以上味噌に漬かれば黒褐色になる、と結論づけた鑑定書をまとめている。

 弁護団によると、2人は鑑定書に沿った内容を証言し、味噌に漬かった血液が黒褐色化する化学的機序や鑑定のために実施した実験の方法・結果を説明したうえで「1年間味噌に漬かった血液に赤みが残ることはない」と明言した。

 反対尋問で検察は「色調変化のメカニズムそのものはほとんど取り上げなかった」(笹森学弁護士)そうだ。一方で「味噌に漬かると酸素が少なくなるから、血液に化学変化が生じなかったり、生じても時間がかかったりするのではないか」「血痕になると赤みがきちんと消えなかったり、消えるのに時間がかかったりすることがあるのではないか」と問うた。

 これに対して2人は、5点の衣類が入っていた麻袋に酸素は十分含まれていること、発酵が進んでも味噌中の酸素はゼロにはならないこと、味噌の発酵・熟成の過程で生じる液体の「たまり」が血痕に浸透して溶かすこと、などを挙げて検察の見立てを否定したという。

検察請求の法医学者は黒褐色化のスピードを問題視

 2日目の8月1日は、検察が請求した別の法医学者2人が尋問を受けた。ともに検察に供述調書の形で見解を示し、旭川医大の鑑定書を批判している。

 弁護団によると、2人とも旭川医大の鑑定書が示した血液が黒褐色化するプロセスの化学的説明に対しては積極的に反論しなかった。2人が論点にしたのは黒褐色化するスピードで、「1年で赤みが消えるかどうかは結論が出せない」旨を強調。5点の衣類は8tの味噌が仕込まれたタンクの底で見つかっていることから「酸素濃度が低い環境に置かれていたことを考慮しているのか」と鑑定に異を唱えた。また、鑑定書が血液を使った実験に基づいていたため、5点の衣類のような「血痕にそのメカニズムはあてはまらないのではないか」との疑問も呈したという。

 午前中に尋問を受けた中国・四国地方の大学の教授は、5点の衣類が見つかった味噌タンクの条件は正確に分からないとして「鑑定書は言い過ぎではないか」と指摘した。午後に尋問を受けた関西の大学の教授は、検察が独自に実施している、血液を付けた布を味噌に漬けて血痕の色調変化を観察する実験に言及。味噌から取り出した布を開始4ヵ月後に直接見たほか、その後の状況も写真で確認したところ、血痕に赤みが残っている試料があったとして、「赤みが残る可能性を推論できる」と述べたという。

検察の実験は「条件が違いすぎる」

 3日目の8月5日は、弁護団が請求した北海道大学大学院の石森浩一郎教授(物理化学)が尋問を受けた。ヘモグロビンの化学反応を研究する立場から、旭川医大の鑑定書や検察の味噌漬け実験について見解を聞いた。

 弁護団によると、石森氏は旭川医大の鑑定書について「味噌に漬かって1年経てば血痕の赤みは消えると言える。異論はない」と評価。検察の実験に対しては、2~3kg程度の味噌に漬けており、5点の衣類が見つかったタンクの8tと比べ圧力や生じるたまりの量が異なることなどを挙げて「条件が違いすぎる」と批判した。「味噌の量が多いと赤みは早く消える」とも述べたという。

最高裁が求めた課題に「決着がついた」

 証人尋問を終えて、弁護団は「最高裁が差戻しにあたって課題とした『長期間味噌に漬かった血液の赤みが消える要因についての専門的知見』に決着がついた。検察の立証は証人尋問や味噌漬け実験によっても成功しなかった」(間光洋弁護士)と自信を見せた。中でも、味噌に漬かった血液が黒褐色化するメカニズムについて検察請求の証人がほとんど反論しなかった点を強調し、「裁判所にも十分理解してもらった」(西嶋勝彦・弁護団長)と期待を寄せた。

 関西の大学教授が検察の味噌漬け実験を赤みが残る根拠としたことに対しては「味噌タンク内のたまりの量や酸素濃度、温度、5点の衣類の発見経過などを考慮せずに結論だけを述べた」と批判。5点の衣類が見つかったタンクの条件にあてはめて赤みが残る理由を明確に説明していない、との受けとめを示している。

 ただ、警戒すべきは「タンクの正確な条件が分からない」という検察側のロジックだろう。55年前の味噌タンクの状態を正確に再現することなどおよそ不可能なのだから、ある意味、いかなる主張をも否定するのに万能な言葉と言える。いかにも裁判所が好みそうな理由づけでもあり注意が必要だ。

高裁の決定へ向け審理は大詰め

 8月5日の証人尋問の終了後には、今後の審理の進行について高裁と弁護団、検察の間で打ち合わせが行われた。

 次回の三者協議は9月26日に設定され、弁護団は補充の証拠を提出するかどうかをそれまでに決める。検察の味噌漬け実験の開始から1年2カ月となる11月初めには、血液を付けた布を最終的に味噌から取り出して血痕の色調を観察し、その場に裁判官も立ち会うことがすでに確認されている。

 高裁は、弁護団が補充証拠を出さなければ、そこから1カ月~1カ月半程度の間隔を置いた12月中に弁護団、検察双方の最終意見書の提出期限を設ける方向を示し、弁護団、検察ともに受け入れたという。その通りに進んだ場合、再審を始めるかどうかの高裁決定は今年度中にも出されるとみられ、差戻し審は大詰めを迎える。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2022年08月18日公開)


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