「袴田事件」東京高裁が再審開始の決定/捜査機関による証拠捏造の可能性に言及

小石勝朗 ライター


「再審開始」の垂れ幕を掲げる弁護士=2023年3月13日、東京高裁前、撮影/小石勝朗

 袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、東京高裁(大善文男裁判長)は3月13日、死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(87歳)の再審開始を認める決定をした。死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」について、付着した血痕の色合いをもとに発見直前に第三者が味噌タンクに隠した捏造証拠だった可能性を指摘。捜査機関の関与に言及するなど、袴田さんの弁護団の主張を全面的に採り入れた内容になった。検察が最高裁へ特別抗告するかどうかが焦点になる。

笑顔が弾ける袴田巖さんの姉・秀子さん=2023年3月13日、東京高裁前、撮影/小石勝朗

高裁前で喜びが爆発

 弁護団の「完勝」と言って良いだろう。決定文を受け取って東京高裁前に姿を見せた袴田さんの姉の秀子さん(90歳)は「(事件発生から)57年闘って、この言葉を待っていた。すごく嬉しい」と喜びを爆発させた。弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「5点の衣類は犯行着衣ではないとはっきり認めた」と決定の意義を強調した。

 第2次再審請求では、静岡地裁が2014年3月に再審開始と死刑・拘置の執行停止を認める決定をして、袴田さんは47年7カ月ぶりに釈放された。検察の即時抗告を受けた東京高裁は2018年6月、地裁決定を取り消し袴田さんの再審請求を棄却する逆転の判断を下したが、最高裁は2020年12月に高裁の決定を取り消し、審理を東京高裁へ差し戻していた。今回の高裁決定は、2014年の静岡地裁の再審開始決定に対する検察の即時抗告を棄却した形になる。第2次再審請求を申し立ててから、約15年が経過している。

争点を「血痕の赤み」に絞り込む

 高裁決定は差戻し審の争点を「1年以上味噌漬けされた衣類の血痕は赤みが消失することが化学的機序として合理的に推測できるか否か」に絞り込んだ。事件発生の1年2カ月後に味噌タンクで見つかった「5点の衣類」(半袖シャツ、ズボン、ステテコ、ブリーフ、スポーツシャツ)に付着した血痕の色合いを、発見直後の調書や鑑定書は「濃赤色」「濃赤紫色」「赤褐色」と記載しているが、弁護団、検察の再現実験では味噌に漬かった血痕は短時間で黒褐色化したためだ。

 味噌タンクでの仕込みや逮捕の日にちを勘案すると、袴田さんが5点の衣類をタンク底部に投入できたのは事件が発生した1966年6月30日~7月20日に限定される。高裁は決定で、血痕には「十分赤みは残っていた」と判断。そのうえで、1年以上味噌に漬かった血痕の赤みは消えると化学的に裏づけられれば、袴田さんが5点の衣類をタンクに隠して1967年8月末に発見されるまで1年以上味噌に漬かっていたとの死刑判決の認定に「合理的疑いを差し挟む」と見立てた。

弁護団が提出した鑑定書の信用性を認める

 弁護団は差戻し審で、旭川医科大の清水恵子教授(法医学)と奥田勝博助教(同)による鑑定書を提出した。血液を赤くしているヘモグロビンは、味噌に漬かると弱酸性の環境や塩分によって変性・分解、酸化してさまざまな色の物質に変化するため、それらが混ざって黒褐色化することを実験で立証。「布に付着した血痕を1年以上味噌に漬けた場合、赤みが残ることはない」と結論づけた。2人の見解を支持する石森浩一郎・北海道大学大学院教授(物理化学)の鑑定書も提出した。

 高裁は、清水教授らの鑑定の根拠や推論の方法、結論や実験の手法について「不合理な点はない」と捉えた。検察は①「血液」で実験しており「血痕」との差異を検討していない、②味噌タンク底部の酸素が乏しい環境を考慮していない——と批判したが、高裁は味噌の発酵・熟成の過程で生じる液体の「たまり」が浸透して血痕は水溶液に戻り、たまりに含まれる酸素によってヘモグロビンの酸化反応が進むとする清水教授らの説明を受け入れた。

 証人尋問で検察が請求した別の2人の法医学者が述べた異論に対しても、高裁は「一般的、抽象的な反論にとどまっている」と一蹴。清水教授らの鑑定結果は「十分信用することができる」と評価した。

 高裁は加えて、血液中のたんぱく質と味噌の糖分が結合して起きるメイラード反応によって血痕の褐色化が促進されたかどうかについても考察した。検察は5点の衣類が隠されていたタンクで仕込まれた味噌が淡色だったとして「強い褐変は起こらなかった」と立論したが、高裁は味噌が「相応に色がついた状態だった」と認定。「血痕も相当程度、褐変が進行するとみるのが合理的かつ自然」と分析した。

検察の実験でも「血痕に赤みは残っていない」

 検察は差戻し審で、血液を付けた布を1年2カ月間、味噌に漬けて血痕の色調変化を観察する実験を新たに実施した。その結果を踏まえて「長期間味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性を十分に示すことができた」と主張した。

 これに対して高裁は、検察が味噌から取り出した布に付いた血痕の写真を、白熱電球を照射して撮影していることを問題視した。「白色蛍光灯下で撮影された写真に比べ、一般に被写体の赤みが増すとされている」と理由を挙げ、観察に立ち会った弁護団が白色蛍光灯の下でフラッシュをたいて撮影した写真に比べて「赤みが残りやすいように見えることが明らかに認められる」と批判した。

 大善裁判長らは昨年11月に検察の実験を視察しており、その体験に照らして「弁護団が撮影した写真のほうが、実際に肉眼で見た試料の状況をより忠実に反映したもの」と判定し、検察の実験では「血痕に赤みは残っていないと評価できる」と言い切った。さらに検察の実験が味噌の量や酸素濃度、温度など「血痕に赤みが残りやすい条件のもとで実施された」と不備を提示し、実験結果はむしろ「1年以上味噌漬けされた血痕に赤みが残らないとの清水教授らの見解を裏づける」との受けとめを示した。

「自白調書の証拠価値は乏しい」

 高裁は、死刑判決が袴田さんの犯人性を認定する根拠とした「旧証拠」についても改めて検証した。たとえば、こんな具合だ。

 死刑判決は袴田さんの「自白」調書45通のうち44通を「任意性に疑いがある」などとして排除したが、検事調書1通だけは証拠として採用した。これに対し高裁決定は、袴田さんがこの検事調書で5点の衣類ではなくパジャマを着て犯行に及んだと供述していることを挙げ、「犯行着衣という重要事実について死刑判決の認定と異なる」と指摘。「それ以外の部分についても(調書の)証拠価値は乏しい」と切り捨てた。

 5点の衣類のズボンには右足の脛の位置に損傷があり、袴田さんの右足の脛の傷と符合するとして「犯行時に被害者に蹴られてできた」とされ、犯行着衣と認定する重要な要素になった。しかし、袴田さんの逮捕当日の身体検査調書にこの傷の記録はなく、約20日後に初めて確認されていた。高裁決定は、傷が「逮捕時の身体検査で発見されないことは考えがたい」と疑問を呈したうえで、「右脛の傷は逮捕後に生じたもので、それに沿うように袴田さんの自白調書が作られ、それに沿うようにズボンの損傷が右脛の傷に合わせて作出されたのではないかとの疑いを生じさせる」と弁護団の主張に同調した。

袴田さんが犯人との認定に合理的な疑い

 高裁はこれら新旧証拠を総合評価した結果、「5点の衣類が1年以上味噌漬けされていたことに合理的な疑いが生じている」と判断した。5点の衣類は「事件から相当期間が経過した後に、袴田さん以外の第三者がタンクに隠匿した可能性が否定できない」と捏造の疑いを明言し、さらに「事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」とまで踏み込んだ。

 そのうえで、5点の衣類が袴田さんの犯行着衣であることと、袴田さんが犯人であるとの死刑判決の認定に「合理的疑いが生じることは明らか」として、再審開始の結論を導いた。

釈放は「相当」と支持

 差戻し前の高裁審理では、5点の衣類に付着した血痕のDNA型が袴田さんのものでも被害者4人のものでもないとした本田克也・筑波大教授(法医学、肩書は当時)の鑑定の信用性が大きな争点になったが、今回の決定はDNA鑑定について「再審開始を認めるべき証拠に該当するかどうかを改めて判断するまでもなく」とだけ記した。

 検察は、静岡地裁による死刑・拘置の執行停止を取り消し、袴田さんを再収監するよう求めていた。しかし、高裁は「袴田さんが無罪になる可能性、再審開始決定に至る経緯、年齢や心身の状況などに照らして、(地裁の判断を)相当として支持できる」と断じ、釈放の継続を認めた。

日弁連と合同で記者会見に臨む袴田巖さんの弁護団=2023年3月13日、東京・霞が関の弁護士会館、撮影/小石勝朗

「特別抗告するな」の声が渦巻く

 袴田さんの弁護団は高裁決定後、日本弁護士連合会(日弁連)の幹部とともに記者会見に臨んだ。「検察は特別抗告せず速やかに再審公判に臨んでほしい」(小林元治・日弁連会長)との声が渦巻いた。

 西嶋勝彦・弁護団長は「全論点で検察の主張を排斥した画期的な内容だ」と決定を評価し、「内容を見れば特別抗告できないことは明らかだ」と検察を牽制した。血痕の色問題を担当してきた間光洋弁護士は、大善裁判長らが検察の味噌漬け実験を視察したことに触れ、「見に行かないと血痕の赤みが消失していることは分からなかった。自信を持って判断してくれた」と称賛した。

 「特別抗告されようが、とにかく頑張っていく。再審開始を見届けるのが私の仕事。早く死刑囚でなくなってほしい」。袴田さんの姉の秀子さんは言葉を振り絞る。静岡地裁の再審開始決定から9年を費やし、ようやく同じ地点に戻ってきた。検察には「特別抗告は引き延ばしでしかない」との批判に真摯に向き合うことが求められる。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年03月17日公開)


こちらの記事もおすすめ