
大川原化工機事件で、勾留中に同社元顧問・相嶋静夫さんが胃がんで死亡したことで、遺族が2026年4月に、保釈を認めなかった裁判官37人の判断に違法があったとして国家賠償請求訴訟を提起。その第1回口頭弁論が6月29日、東京地裁で開かれた。「人質司法」における裁判官の責任を問うこの裁判は、日本の刑事司法が抱える構造を明らかにできるのか。
この「人質司法」と並んで、取調べをめぐって、いま脚光をあびているのが「黙秘権」、それを実質的に保障する「取調べ拒否」である。黙秘権は日本国憲法に規定され、刑事訴訟法のどの教科書にもその歴史と重要性が必ず書かれている、誰でも知っている被疑者・被告人の権利である。
しかし、警察や検察は、被疑者が「黙秘します」と黙秘権を行使しても、「黙秘するといつまでも家族に会えない」「保釈も認められない」「弁護士の言うことを聞いていると不利になる」などと脅して、被疑者を延々と「説得」し続けることをやめない。
日本弁護士連合会は、2026年2月、こうした黙秘権の現状について、「黙秘権を行使している被疑者の意思に反する取調べの規制を求める意見書」を公表して、黙秘権の実質的保障の重要性について呼びかけている。
これより先、「もう黙っていられない」と、弁護士有志が、「取調べ拒否権を実現する会」(Right Against Interrogation Society〔RAIS〕、代表・高野隆)を設立(2024年3月)し、活動している。現在、160名を超える全国の弁護士が参加している。
同会のメンバーが中心となって、季刊刑事弁護124号で、「取調べ拒否が武器になる」と題した特集を組み、取調べ拒否を捜査弁護のスタンダードとして全国に広めることを呼びかけている。その特集の一端を紹介する。
「黙秘権」の本質——尋問を断る権利
日本国憲法38条1項は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定する。この「黙秘権」の本質について、高野隆弁護士(第二東京弁護士会)は特集の巻頭論文(「憲法上の権利としての取調べ拒否権」)でその歴史を掘り起こす。
日本国憲法が1946年11月3日に公布されたとき、日本文とともにその英文も公表された。英文憲法はこう定める——“No person shall be compelled to testify against himself. ”直訳すると「何人も自己に対立する証言をすることを強制されてはならない」となる。すなわち黙秘権とは、単に口を閉じる権利ではなく、警察官や検察官による尋問そのものを拒否する権利だ。逮捕・勾留中の被疑者が捜査官の要求に従って取調室に赴かなければならない法的根拠はなんら存在しない、と高野弁護士は論じる。
「取調べ拒否」とは、この黙秘権を実質化するために、捜査官の尋問を拒否し取調べを受けないことを意味する。
21日間・合計56時間を無言で耐えた依頼者
江口大和さんは犯人隠避教唆事件に巻き込まれ逮捕・勾留され、取調べでは黙秘権の行使を選択した。21日間・合計56時間にわたる取調べで、横浜地検特別刑事部の検事から人格非難・罵詈雑言を浴びせられながらもじっと耐えて一言も喋らなかった。
江口さんは、後に黙秘権行使の意思を示してもなお取調べを継続したことが、黙秘権侵害にあたるなどとして国賠訴訟を提起する。その代理人が趙誠峰弁護士(第二東京弁護士会)である。
江口さんに対する取調べ動画を見た趙弁護士は、「依頼者に対して、なんと残酷なことを強いてきたか」と衝撃を受けた。弁護士は被疑者に黙秘をすすめるが、被疑者がそれを実行するのは生やさしいものではないことが、はじめてわかったという。
趙弁護士は論文(「江口国賠第一審・控訴審と取調べ拒否」)で、「取調べの受任義務」を認めた判例として有名な最高裁判例(最判平11・3・24)は取調べ拒否の問題に射程が及ぶものではないことを明らかにしたうえで、黙秘権の実質的保障のために取調べ拒否は理論的に十分裏付けられることを示す。
理論と実践の両面から
大角洋平・愛知学院大学准教授の論文(「取調べ受忍義務(出頭・滞留義務)と取調べ遮断効の学際的分析」)は、取調べ受忍義務(出頭・滞留義務)をめぐる議論を法学・経済学の双方から学際的に分析し、黙秘権に取調べ遮断効を認めるべきだと論じる。
鵜飼裕未弁護士(東京弁護士会)の論文(「取調べ拒否権を実現する弁護活動」)は、弁護人が取調べ拒否を弁護方針として採用するための実践指針をまとめている。刑事訴訟法198条1項但書が「被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」と規定することを踏まえ、初回接見での説明のポイントや被疑者がもつ懸念事項への対応を詳述している。
座談会(「取調べ拒否を実践して」)では、全国各地の弁護士が取調べ拒否の実践を報告する。大阪では、拒否する被疑者を無理やり車椅子に乗せて取調室に連れて行くなど強行手段をとることもある。地域によって捜査機関の対応に差があること、依頼者への説明の工夫、実践例などが紹介されており、「取調べ拒否は現実にはできないのではないか」「依頼者の負担が大きすぎるのではないか」といった弁護士の不安に丁寧に応える内容だ。
インタビューに応じた、司法研修所の教官を務めた神山啓史弁護士(第二東京弁護士会)は、司法研修所で「原則黙秘」を教えるに至った経緯と、さらに進んで「原則取調べ拒否」へと立場を深化させた理由を語った。2017年(70期)の修習生以降、「黙秘が原則である。被疑者の利益になる場合に限り解除する」という考え方を一貫して教えてきたという。
全国標準化に向けて——今こそ実践を
「もっと早く取調べ拒否を実践すればよかった」と後悔する弁護士が多い、と特集の趣旨は指摘する。取調べの録音・録画映像を見て、黙秘権を行使する依頼者が延々と説得(非難)される様子に怒りや違和感を覚える読者も多いのではないだろうか。黙秘を選んだ依頼者(被疑者)をそのような場に送り続ける理由はないはずだ——特集はそう訴える。
同号は取調べ拒否を単なる戦術ではなく、被疑者の憲法上の権利を守る捜査弁護の原則として位置づけ、全国の弁護士に実践を求めている。季刊刑事弁護の創刊号(1995年)から今日までに掲載された黙秘権に関する論文・記事5本も収録されており、理論の蓄積を一望できる特集でもある。
なお、季刊刑事弁護で連載中の「取調べ拒否!RAIS弁護実践報告」が、刑事弁護オアシスに転載されている。
(2026年07月02日公開)