『検証・免田事件[資料集]──1948年(事件発生)から2020年(免田栄の死)まで』


無罪に再審 疑問解ける

1 34年半の獄中生活と再審の闘いが詰まっている

 厚さ5センチちょうど。1,000 ページに少し足りないが、DVDの付録があり、さらにポータルサイト「刑事弁護オアシス」(検証・免田事件[資料集]フォローアップ)内に400頁を超える資料を付録として備えている。裁判記録は勿論、獄中からの手紙のやり取り、新聞記事、国会の質疑、様々な評論、要するに免田栄氏の34年半の獄中生活とその後の生き様、事件に関して入手できる限りのあらゆる資料がここに詰まっている。

 非常に重いのでブックスタンドを購入したうえで覚悟を決め、お盆を挟んで読破に努めた。筆者自身、ドキュメンタリー番組や本の執筆の取材で何回かお会いし、ご自宅でかなり長いインタビューも数回している。当時、相当の資料を調べたはずだが、本書の収集資料の分野の広さにまず圧倒された。高峰武・元熊本日日新聞記者など編集チームの記者根性が反映されていると感じた。

 中には、「免田文書の魅力」(本書417頁)という日本中世史の研究者による文章もある。免田家に残る南北朝から戦国時代にかけての土地帳簿群は熊本県あさぎり町の有形文化財に指定されていて、非常に学術的価値が高いという。一見関係がないように思えるが、ぼんぼんだったと言われる免田氏の性格や父との確執の深層を解釈するうえで参考になった。

 本書からどのような示唆を得るのかは、免田事件や冤罪への関わり方や想いの深さで違うかも知れない。しかし、深い森に分け入るような静謐だが興味の尽きない旅をさせてもらった。個人的な発見をいくつか紹介したい。

2 「白鳥決定」を先取りした「西辻決定」

 1956年、第三次再審請求で開始決定が出た。有名な「西辻決定」である。しかし、すぐに取り消されて、再審請求は再び長い闇に入りこむのだが、この決定の論理は、その19年後の「白鳥決定」の先取りであると言われている。白鳥決定は「再審のための新証拠は、それだけで無実の証明には至らなくても、それとこれまでの証拠を総合して評価し、有罪認定に疑いが生じた場合には再審を開始すべき」と判示し、その後の再審裁判に決定的な影響を及ぼした。というところまでは復習で、今回はじめて西辻孝吉・元裁判官のインタビュー記事(本書856頁)を読んだ。1983年7月、免田氏に無罪判決が出た後の特集記事で、西辻決定からすでに27年、ご本人は判事を辞めて弁護士になっていた。

 「実は、私どもの審理でも“明らかな証拠をあらたに発見した”わけではなかったのです。原審に出ていた旧証拠であっても、再解釈次第でこれは条文の言う“明らかな証拠をあらたに”に該当する。このような論理のたて方をしたんです。つまり、証拠の見直しですよ」(本書857頁)

 繰り返し読んだ。提出された新証拠をきっかけにして、古い証拠を読み替えることがあっていい、とはっきり言っている。新証拠の比重を「白鳥決定」よりさらに軽くしているようにも読めて、斬新だと思った。1950年代、検察官の主張をほぼなぞるような裁判官が多かった時代に、こんな人がいた。西辻裁判官が見直した証拠とは、元接客婦のアリバイ証言である。彼女の証言は法廷でも揺れていた。それを他の証拠や証言と関連付けながら緻密に検討し、その結果、犯行当日にこの女性は確かに免田氏と同衾していたと結論付けた。わくわくしながら読んだ記憶があるが、この決定文ももちろん本書(前述のサイト)に収められている。

3 検察官の傲慢さ

 その2。再審公判に立ち会った伊藤鉄男・検察官は退官後に法科大学院の教授となったが、その最終講義(本書569頁)が収録されている(こんなものまで!)。ほかに検察関係では、1986年に最高検察庁がまとめた「再審無罪事件検討結果報告」(本書665頁)というのがあり、共に初めて読んだ。

 この二つには、無実の人を長く獄中に留め置き、その人生を奪ったという反省が全くない、という共通点がある。伊藤氏は、当時の捜査は不十分、勾留を延長し、徹底的に捜査すべきだった、と捜査の未熟さを指摘し、「最高裁で有罪が確定した事件が再審で無罪となったことに、釈然としない人がいるようだ」と語っている。捜査の不備が無罪判決につながったと言いたいのだろうが、免田氏の事件をきちんと見れば、完全な無実であることは揺るがない。

 そして、最高検の前記の無罪事件報告でも「なぜ、間違って、無実の人を起訴してしまったのか」という根本の議論は一切なく、「なぜ、有罪判決が崩れたのか」という技術論に終始している。自白の信用性や任意性についても、「真実の発見」ということには一切関心がなく、どのように書けば、裁判官を納得させられるか、ということだけに腐心している。検察官が求めるのは「事実」ではなく「有罪判決」なのだという当たり前のことが、延々と続く議論から読み取れる。自白の「迫真性」を醸し出すための小手先の技が、高いポストにいる人たちによって熱心に語られる。その手法が日本中の取調室で横行しているのだと思うと情けなかった。

4 裁判所の身勝手な論理を見抜いた免田さん

 もう一点、免田氏が自らの再審無罪判決に対して再審請求を申し立てた、その不思議な出来事に触れておきたい。なぜ、そんなことをしたのか。筆者自身、インタビューの折に免田氏から直接その理由を伺ったが、正直、理解しかねるところがあって、本にも書かなかった。「再審無罪判決は、確定審の死刑判決を取り消していない。だから身柄の拘束も解消されていない」。突き詰めれば、そういうことだったと思う。

 請求を受けた熊本地裁も困ったと思うが、「無罪判決が確定した以上、身柄の拘置の前提となる確定判決の効力が失われたことは明らかであり……」(本書790頁)として当然ながら請求を棄却した。これで、手続的には終わったのだが、もしかすると、免田氏は実社会での居心地の悪さの理由を「法制度」の中に見つけようとしていたのだろうか、などと想像し釈然としないままだった。

 ところがこの度、九州大学名誉教授・大出良知氏が2020年12月に書いた免田氏の死去の際の追悼文(本書927頁)に出会った。

 「……ドイツ法では、新たな判決を言い渡すためには、有罪確定判決を取り消すことを前提としている」として、これには重要な意味があるという。「我が国では、再審公判で言い渡される判決は、新たな証拠関係に基づいて言い渡される新たな判決であり、有罪確定判決自体は、言い渡し時点の証拠関係では誤っていなかったのだから、取り消す必要はないという理屈が、法制定に当たった当局者の考えの基底にあったのではなかったか」(本書928頁)

 そして、大出氏はこう推論する。

 「免田さんは、そのような裁判所や立法当局者の誤判の責任を曖昧にする身勝手な論理を実感として見抜いていたのかもしれない」(本書928頁)

 鋭い指摘だと思う。同時に、再審無罪判決を突きつけられても、一切反省をしない検察官の傲慢さとどこかで繋がっているとも思った。

 これまで胸につかえていた疑問がふっと解けたような気がした。もしかするとこれが、今回のこの分厚い本を巡る旅の一番の収穫なのかもしれない。

里見繁(さとみ・しげる/関西大学名誉教授)

◎著者プロフィール
里見繁(さとみ・しげる) 
 1951年岐阜県生まれ。毎日放送のディレクターなどを経て、今年3月まで関西大学社会学部教授。ドキュメンタリー番組で芸術祭優秀賞やギャラクシー賞など受賞多数。著者に『冤罪 女たちのたたかい』など。

(2022年11月12日公開) 


こちらの記事もおすすめ