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「袴田事件」最終意見書を提出し差戻し審が結審、3月末までに高裁が決定へ/弁護団は再審開始に自信、検察は請求棄却と再収監を要求

小石勝朗 ライター


意見陳述を終え記者会見する袴田巖さんの姉、秀子さん(中央)と弁護団=2022年12月5日、東京・霞が関の司法記者クラブ、撮影/小石勝朗

 袴田事件(1966年)第2次再審請求の差戻し審で、再審開始を求めている元プロボクサー袴田巖さん(86歳)の弁護団と検察が12月2日、それぞれ最終意見書を東京高裁(大善文男裁判長)へ提出した。弁護団は12月5日、意見書の概要を陳述し、差戻し審の審理は終結した。高裁は再審を開始するかどうかの決定を「今年度中には出したい」と明言したという。

 12月5日の弁護団の意見陳述に先立ち、袴田さんが東京高裁を訪れ、大善裁判長らと面会した。最高裁で1980年に死刑判決が確定した後、1次、2次の再審請求を通じて裁判官が袴田さんに会うのは初めて。

最大のテーマは5点の衣類が味噌タンクに投入された時期

 差戻し審のテーマと審理のポイントを改めて振り返る。

 最大のテーマは、死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」(半袖シャツ、ズボン、ステテコ、ブリーフ、スポーツシャツ)が、いつ味噌タンクに入れられたかだった。

 5点の衣類は事件発生から1年2カ月後の1967年8月31日に、味噌タンクの底部で見つかった。このタンクでは事件20日後の1966年7月20日に大量の味噌が仕込まれており、味噌の取り出しが始まった翌年7月25日までは底部に入れることは不可能だった。袴田さんは1966年8月18日に逮捕されたので、犯人だとすれば事件発生から7月20日までの間にタンクに投入したことになる=表。

 逆に言えば、5点の衣類が発見直前の1967年7月25日以降に味噌に漬けられたことが立証され、1966年7月20日までにタンクに投入されたことに疑義が出れば「袴田さんの犯人性の認定にも合理的な疑いを差し挟む可能性が生じ得る」(最高裁決定)のだ。

「血痕の色調変化」が争点に

 最高裁の決定(2020年12月)は審理を高裁へ差し戻すにあたって、5点の衣類に付いていた血痕の色合いに着目した。発見直後の調書や鑑定書は血痕を「濃赤色」「濃赤紫色」「赤褐色」と記すが、袴田さんの弁護団による実験では味噌の色の濃淡にかかわらず血痕は短期間で黒褐色化しており、検察の実験でも「遅くとも味噌漬けから30日後には黒くなり、5カ月後以降は赤みが全く感じられない」(最高裁の認定)という状態になっているからだ。

 味噌に漬けた血痕の赤みが失われる化学的な要因が分かれば、5点の衣類がタンクに投入された時期を推定でき、その結果、発見直前に投入された可能性が立証されれば、この時期に隠すことが不可能だった袴田さんが犯人であることに合理的な疑いが生まれる、と最高裁は見立てた。

 このため、差戻し審では「味噌に漬かった血痕の色調変化」が争点になった。弁護団は、血痕が黒褐色化する化学的な機序を説明した清水恵子・旭川医科大教授(法医学)らの鑑定書を提出。一方、検察は独自に、血液を付けた布を最長1年2カ月間、味噌に漬ける実験を行った。7~8月には5人の学者の証人尋問が高裁で実施された。

「1年以上味噌漬けされた血液に赤みは残らない」

 弁護団の最終意見書はA4判149頁。「味噌に漬かった血痕の色調変化」を中心に、静岡地裁が新証拠と認めながら最高裁が信用性を否定したDNA鑑定にも頁を取っている。

 弁護団は清水教授らの鑑定書をもとに、血液を赤くしているヘモグロビンが味噌の弱酸性の環境や塩分によって変性・分解、酸化してさまざまな色の物質に変化するため、それらが混ざることによって黒褐色化すると分析した。長期的には、血液中のたんぱく質と味噌の糖分が結合して起きるメイラード反応も加わり、「布に付着した血液が1年以上味噌漬けされた場合、血液に赤みは残らない」と主張した。

 検察から鑑定が血液と血痕の違いを考慮していないと批判を受けたが、弁護団は「1年以上という期間は化学反応が十分に進行するだけの長い期間であり、血痕が赤みを残していることはないと言える」と反論した。検察からも「(鑑定書の)化学的機序そのものに対する異論、反論は提出されていない」とし、最高裁が求めた「専門的知見に基づく検討の必要性」に応えたと捉えている。

検察の味噌漬け実験の条件設定を批判

 検察が差戻し審で実施した味噌漬け実験に対しては、試料の中に脱酸素剤を入れ真空パックにして高嫌気の状態にしたり、漬けた味噌が2~2.5kgとタンクの8トンに対して極めて少なかったりと、5点の衣類とかけ離れた「血痕に赤みの残りやすい条件設定がなされている」と指摘した。一方で「にもかかわらず試料の血痕の赤みは期間の経過に伴って減退し、黒褐色化が進行していった」との受けとめを示した。

 弁護団は結論として、5点の衣類は「発見直前に袴田さん以外の何者かが(タンクに)入れたことが明らかとなった」とし、袴田さんの犯行着衣ではないから「袴田さんが犯人であることについて合理的な疑いが生じた」と立論して「速やかに再審が開始されるべきである」と強調した。

 静岡地裁の再審開始決定が新証拠と認めたものの、最高裁が退けた本田克也・筑波大教授(法医学。肩書は鑑定時)による5点の衣類のDNA鑑定にも40頁近くを割き、最高裁決定に対し、試料の劣化や汚染という「『抽象的可能性論』のみ論じることによってDNA鑑定の証拠価値をすべて否定している」と非難した。本田教授は、袴田さんのものとされた半袖シャツ右肩の血痕と被害者4人の返り血とされた血痕のDNA型が、いずれも袴田さんや被害者の型と一致しないと判定していた。

5点の衣類の血痕は「ドス黒い」「茶色ぽい」

 検察の最終意見書はA4判58頁。ほとんどを味噌に漬かった血痕の色調変化の問題に充てている。

 まず、5点の衣類が発見された当時、付着した血痕の色合いを味噌工場の複数の従業員が「ドス黒い」「茶色ぽい」と供述していたことを取り上げ、「黒・茶褐色系が強い色合い、すなわち相当程度『赤み』が後退した色調をイメージする必要がある」と指摘した。また、これまで弁護団と検察が実施してきた味噌漬け実験について「5点の衣類と異なる条件の下で行われていた」と位置づけ、それらの実験から「5点の衣類が味噌漬けされた場合にも同じ結果に至ること、あるいは、どのような条件であっても同じ結果に至ることを推認することはできない」との見方を示した。

 清水教授らの鑑定書に対しては、5点の衣類に付着していたような血痕ではなく血液による実験を基にしていることを問題視した。血痕を血液と比較すれば「化学反応は起こりにくく、仮に起こるとしてもその反応速度は液体より遅い」とする別の法医学者の証言を引いて、「1年以上という長期間、衣類に付着した血痕が味噌漬けの環境に置かれた場合、条件の違いにかかわらず赤みが残ることはないか否かの判断を可能とする内容ではない」と鑑定書を批判した。

味噌漬け実験で「顕著な赤みを観察」と主張

 差戻し審で検察が独自に実施した味噌漬け実験については「5点の衣類がタンクで味噌漬けされた状況を精密に再現することは不可能であることが前提」と釈明した。そのうえで、①血液を多量に付着させた試料では、6点に4~6カ月後に顕著な赤みが残っており、他の2点は1年2カ月後に血痕の周辺部分などに赤みを観察した、②厚手の布と比較して薄手の布に付着させた血痕の方に、より赤みが残りやすい結果が出た──と記載。原因を「凝固、乾燥などにより化学反応が起こりにくくなった」と考察した。

 そして「長期間味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性を十分に示すことができた」と評価し、「速やかに再審請求を棄却すべき」だと主張した。

 目を引くのは、最後に「身柄収容について」の項を設けて、静岡地裁が決定した袴田さんの死刑の執行停止と釈放を取り消し、再収監するよう求めたことだ。検察は、①法律上、刑の執行停止決定は再審開始決定の存在を前提としている、②静岡地裁が挙げた執行停止の理由の根拠が失われている──と論理展開し、「袴田さんの生活状況や心身の状況等を考慮しても、なお拘置の必要性は高い」と記した。

「裁判長は優しく巖に接してくれた」

 弁護団は12月5日午後の意見陳述後に記者会見し、同日午前に行われた袴田さんと大善裁判長の面会の様子も説明した。

 面会は約15分間。袴田さんは長期の身柄拘束による拘禁反応の影響から、脈絡なく「この裁判は終わった」「死刑は廃止されなければならない」などと語ったそうだ。同席した姉の秀子さん(89歳)は「裁判長は優しく巖に接してくれた」と印象を語った。

 この後の弁護団の意見陳述では、秀子さんも「再審開始の判断をお願いします。巖に真の自由を与えてください」と述べたという。

 差戻し審の審理を終えて、間光洋弁護士は「味噌漬けになった血液の『赤み』をめぐる化学的な機序を、きちんとした理論と実験で裏づけることができた」と総括した。西嶋勝彦・弁護団長は「裁判所には十分納得してもらった。再審開始以外の材料はない」と自信を見せた。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2022年12月26日公開) 


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