〈袴田事件・再審〉法医学者ら5人を証人尋問、「5点の衣類」の血痕の色合いめぐり異なる見解/第10~12回公判

小石勝朗 ライター


 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された「袴田事件」で強盗殺人罪などに問われ、死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(88歳)の再審(やり直し裁判)第10、11、12回公判が3月25~27日、静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。3日とも証人尋問が行われ、袴田さんの弁護団と検察がそれぞれ請求した法医学者ら5人が証言をした。テーマは、死刑判決が袴田さんの犯行着衣と認定した「5点の衣類」に付いた血痕の色合い。長期間味噌に漬かると血痕の「赤み」が消えるかどうかをめぐり、双方の証人は異なる見解を示した。

3日間の証人尋問を終え弁護団の記者会見に参加した旭川医科大の清水恵子教授(右から2人目)、奥田勝博助教(同3人目)、北海道大大学院の石森浩一郎教授(一番左)。一番右は袴田巖さんの姉・秀子さん=2024年3月27日、静岡市葵区、撮影/小石勝朗

「赤み」の有無で味噌タンクへの投入時期を判断

 5点の衣類は事件発生の1年2カ月後に、現場そばの味噌工場のタンクで、味噌に漬かった状態で見つかった。発見直後の鑑定書や調書には付着した血痕が「濃赤色」「濃赤紫色」「赤褐色」と記されており、赤みを帯びていたとされる。

 第2次再審請求の差戻審で弁護団が委託した法医学者は、血液を赤くしているヘモグロビンが味噌の塩分と弱酸性の環境で変性・分解、酸化して短期間で褐色化するとの実験結果をもとに「1年以上味噌に漬かった血液に赤みは残らない」と結論づけた鑑定書をまとめた。東京高裁はこれを受け入れ、5点の衣類は発見直前に、すでに逮捕されていた袴田さん以外の第三者がタンクに投入した捏造証拠である可能性に言及し、再審開始決定を出した。

 これに対し検察は再審公判で、7人の法医学者による共同鑑定書などを新たに提出し、差戻審に引き続いて「赤みが残っても不自然ではない」と反論した。「議論の蒸し返しだ」と抗議する弁護団を押し切る形で静岡地裁が審理のテーマとすることを認めたため、再審でも「血痕の赤み」が最大の争点になっている。

法医学会の理事長が検察側の証人に

 今回、弁護団が請求して採用された証人は、旭川医科大の清水恵子教授と奥田勝博助教(ともに法医学)、北海道大学大学院の石森浩一郎教授(物理化学)の3人。清水氏と奥田氏は再審請求・差戻審で「赤みは残らない」とする鑑定書をまとめ、再審公判でも補強する鑑定書などを提出。石森氏も差戻審の段階から、両氏の鑑定結果を支持する鑑定書などを出している。

 一方、検察が請求して採用されたのは、神田(こうだ)芳郎・久留米大教授(日本法医学会理事長)と池田典昭・九州大名誉教授(同学会元理事長)の法医学者2人。神田氏は、共同鑑定書をまとめた7人の法医学者の座長。池田氏は検察の聴取に応じて弁護側の鑑定結果を批判し、その内容が供述調書になっている。

検察側証人は「血痕が黒くなる速度」を重視

 証人尋問は検察側の2人から始まり、弁護側の3人の後、5人を同時に尋問する「対質」が行われた。

 検察側の2人は、弁護側の鑑定が示した血液の赤みが失われる化学的機序については異論を唱えなかった。一方で「赤みが失われるのは一般的だが、必ずそうなると言うのは言い過ぎだ」「問題は化学反応の有無ではなく速度」(神田氏)との論理を展開し、弁護側の鑑定は「黒くなる速度を検討していない」(池田氏)のが問題だとした。

 褐色化の速度を遅くする「阻害要因」として、血液が乾燥・凝固して血痕になっていたことや、5点の衣類が8トンの味噌の底部にあって酸素濃度が乏しい状況だったことを取り上げた。神田氏は、味噌の仕込みの段階で麹が酸素を消費するため、味噌中の酸素は「極めて低い量になる」とも述べた。

 そうした点を考慮すると、1年以上味噌に漬かった血痕に「赤みが残る可能性がある」と主張。弁護側の鑑定に対し「塩分や弱酸性だけでなく血痕化や酸素濃度といった他の要因も十分に検討すべきだ」(神田氏)、「想定される阻害要因をすべて検討すべきだ」(池田氏)と疑問を投げかけた。

弁護側証人は「赤みは残らない」と改めて強調

 一方の弁護側の証人は、鑑定結果をもとに「1年以上味噌に漬かった血液に赤みが残ることはない」(清水氏、奥田氏)と改めて強調した。石森氏も「清水氏と奥田氏の鑑定に化学的な問題はない」と言い切った。

 血痕になることで褐色化の速度が遅くなるとの検察側の主張に対しては「味噌醸造の過程で発生する(液体の)たまりが血痕に浸透し、表面は水溶液になる」(清水氏)と反論した。酸素濃度についても、5点の衣類が入っていた麻袋や衣類のすき間に酸素があったと指摘。さらに、5点の衣類が事件直後にタンクに投入されたとすれば味噌は多くても200kgしか入っておらず、20日後以降に8トンの原料が仕込まれるまでの間に「血痕は十分な酸素に触れている」と説明した。そして、検察側が挙げた阻害要因を「検討する必要はない」(石森氏)と切り捨てた。

 清水氏は「赤みを失うのは普遍的な現象で、赤みが残るのは稀な事象」との前提に立ったうえで、検察側の共同鑑定書の結論は「赤みが残る可能性があるという抽象的可能性論。仮説を裏づける実験がない」と非難した。

「裁判官に分かってもらえた手応えがある」

 3日間の証人尋問を終えて弁護団が3月27日に静岡市内で開いた記者会見には、清水氏、奥田氏、石森氏の3人も同席した。

 「再審制度の新しい未来のために証人尋問に参加した。あとは裁判官に任せて大丈夫。判決日が待ち遠しい」。清水氏はこう語り、尋問での応答に自信を見せた。奥田氏は「裁判官に分かってもらえた手応えがある」、石森氏も「裁判官に理解してもらえた」と判決への期待を言明した。

 弁護団の間光洋弁護士は「疑いの余地がない程度に、血痕には赤みが残らないと立証できた。検察側の証人は抽象的可能性を言うだけで、揚げ足取りのような議論に終始しており、結論に影響は及ぼさない」と総括。主任弁護人の小川秀世・事務局長は「裁判所がはっきり無罪判決を出すと確信が持てた。あとは捜査機関の違法行為をどこまで認定させるかだ」と力を込めた。

 再審公判は4月17日と24日に血痕のDNA鑑定をテーマに開いた後、5月22日に検察が論告求刑、弁護団が最終弁論をして結審する見通しだ。袴田さんの補佐人として公判に毎回出廷している姉の秀子さん(91歳)は「検察側の反論は苦し紛れだった」と証人尋問の感想を話し、「(再審は)ひと山も、ふた山も、み山も越え、最終段階に入った。頑張っていきたい」と語った。

初日の証人尋問後に記者会見に臨む袴田秀子さん(右)と主任弁護人の小川秀世弁護士=2024年3月25日、静岡市葵区、撮影/小石勝朗

日弁連は再審法制の整備をアピール

 証人尋問に合わせて、日本弁護士連合会(日弁連)の再審法改正実現本部のメンバーが3月27日、静岡市を訪れ、学習会や街頭宣伝をした。小林元治・日弁連会長は静岡県知事、静岡市長とそれぞれ面会し、法改正に賛同するよう要請した。日弁連は、再審請求段階での証拠開示の義務化や、再審開始決定が出た際の検察の抗告禁止などを盛り込んだ改正案を独自にまとめており、超党派の国会議員による「えん罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」も3月11日に発足している。

街頭で再審法改正を訴える村山浩昭弁護士。10年前のこの日、静岡地裁の裁判長として袴田巖さんに再審開始決定を出した=2024年3月27日、静岡市葵区、撮影/小石勝朗

 第2次再審請求審で静岡地裁が再審開始を認め袴田さんを釈放する決定を出したのは、10年前のこの日だった。当時の担当裁判長の村山浩昭弁護士も同本部の行動に参加し、街頭で資料を配ったりマイクを握ったりした。村山氏は報道陣に「再審の実現までにこんなに時間がかかるとは思わなかった」「この10年に結果的に意味があったとは思えない」と語り、再審法制を整備する必要性を強調。街頭では「袴田さんのような方を今後出さないためにどうすれば良いか考えてほしい」と訴えた。

【おことわり】
 これまでの記事にも何度か書いていますが、静岡地裁が今回の再審公判に使っている法廷の傍聴席は48席で、しかも地元記者クラブ所属のマスコミに優先的に割り当てられるので、証人尋問の公判でも一般の傍聴席は26席しかありませんでした。記者クラブに所属していない筆者は傍聴券の抽選にはずれたため入廷できず、この記事は弁護団の記者会見や傍聴した人の話、入手した資料などに基づいています。

【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
〈袴田事件・再審〉静岡地裁の傍聴者への規制は「過剰で不必要」/袴田巖さんの弁護団が中止を申入れ
〈袴田事件・再審〉5点の衣類の血痕の色合いに「不自然な点はない」、検察が第9回公判で主張/5月22日に結審へ
〈袴田事件・再審〉「ズボンの端切れも警察の捏造」、5点の衣類めぐり弁護団が主張/第6、7回公判

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2024年04月01日公開)


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