〈袴田事件・再審〉検察が死刑を求刑、弁護団は無罪を主張し結審/判決は9月26日(上)

小石勝朗 ライター


この日で終結する再審公判へ向かう袴田巖さんの姉・秀子さん(前列・左から2人目)と弁護団、支援者=2024年5月22日、静岡地裁前、撮影/小石勝朗

 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の一家4人が殺害された「袴田事件」で、強盗殺人罪などに問われ死刑が確定した元プロボクサー袴田巖さん(88歳)の再審(やり直し裁判)第15回公判が5月22日、静岡地裁(國井恒志裁判長)で開かれた。検察は論告で「袴田さんが金品を得るために犯行に及んだ」と主張し、改めて死刑を求刑。袴田さんの弁護団は「捏造された証拠で犯人にされた」と無罪判決を出すよう訴えた。昨年10月から約7カ月間に及んだ再審の審理は終結。地裁は判決言渡しを9月26日に指定した。

検察:5点の衣類以外でも「袴田さんの犯人性は推認される」

 検察は論告を、事件の1年2カ月後に味噌タンクで見つかり確定審で袴田さんの犯行着衣と認定された「5点の衣類」ではなく、「それ以外の証拠だけでも袴田さんの犯人性は相当程度、推認される」と主張することから始めた。

 理由として、①味噌工場にあったはずの雨合羽が事件現場に落ちており、そのポケットに凶器とされたクリ小刀の鞘が入っていた、②味噌工場にあった混合油が減っており、放火に使われたとみられる——などを並べ、味噌工場の住込み従業員で事件当夜、寮の部屋に1人でいた袴田さんが「このような犯人の行動を取ることが可能だった」と見立てた。袴田さんが借金をしていたことから「金品を手に入れようとする動機があった」とした。

 5点の衣類については、ズボンとステテコに付いた血痕の位置や輪郭が符合しているなどとして「犯行着衣であると認められる」と論理展開した。また、ズボンの端切れ(共布)が袴田さんの実家のタンスから見つかったことや、事件の前に袴田さんが着ていた衣類の特徴と酷似していることを挙げて「袴田さんのものであると認められる」と強調した。

 さらに、下着のシャツとスポーツシャツの損傷個所が袴田さんの右上腕部の傷の位置と符合することも併せて、袴田さんの犯行着衣だと立論。5点の衣類が見つかった味噌タンクが袴田さんの作業スペースだったことに触れ、「隠匿場所に選ぶのは非常に自然」と指摘した。

ズボンをはけなかったのは袴田さんが太ったため

 確定審で実施された装着実験で、袴田さんはこのズボンをはけなかった。検察はズボンのタグに記された「B」をもとに大きいサイズ(B体)のズボンが味噌に漬かって縮んだと説明していたが、再審請求審の証拠開示によって「B」は色を表すことが明らかになった。

 検察は論告で、事件当時の袴田さんのベルトで最も使われていた穴とズボンの胴回りのサイズが合致し、股下のサイズも当時はいていた別のズボンと同じであることを根拠にして、袴田さんのズボンだと主張した。そして、袴田さんは逮捕後に太っており、ズボンも味噌に漬かった後に乾燥して縮んだと、はけなかった理由づけをした。

 再審でも最大の争点になった、5点の衣類に付いた血痕の色合いをめぐっては、1年以上味噌に漬かっていたのに赤みが残っていたのは不自然だとして再審開始決定が出た経緯がある。弁護団が鑑定を委託した法医学者が、血液を赤くしているヘモグロビンが味噌の塩分や弱酸性の環境で変性・分解、酸化して短期間で黒褐色化するとの化学的機序を示したのが決め手になった。

 検察は論告でまず、味噌工場の従業員の証言から血痕は発見時点で「ほとんど赤みを感じさせるような色調ではなかった」との前提に立った。そのうえで、事件発生から新たな味噌が仕込まれるまでの約20日間、血痕が空気に触れていたとしても条件次第で赤みは保たれる、と学者の見解をもとに主張。さらに、醸造中の味噌から発生し血痕に浸透した液体(たまり)の酸素濃度は低いとして「(衣類が発見された)タンクの底部では血痕の褐色化の進行が極めて遅い可能性がある」との見方を示した。

 再審公判の証人尋問で「1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残ることはない」と証言した弁護団側の学者を批判し、検察が実施した味噌漬け実験の結果や別の学者らの意見を引いて「血痕の赤みは残り得る」と強調した。

捏造は「非現実的で実行不可能」

 再審開始決定は、5点の衣類を捜査機関が捏造した疑いにも言及している。検察は論告で、①袴田さんが事件前に着用していた衣類と酷似した品を、販売ルートにも矛盾がないように用意するのは不可能、②衣類を密かに味噌工場のタンクに入れるのは不可能、③内部告発などで発覚する危険を冒してまで捏造を敢行するとは想定しがたい——として、捏造は「非現実的で実行不可能な空論」と強く反発した。

 検察は最後に「犯行は強固な殺意に基づき、極めて冷酷で残忍」と指弾。袴田さんが死刑判決の確定から約33年間、身柄を拘束され、訴訟能力としては心神喪失の状態にあるとしても「量刑の事情を変更させるものではない」とし、死刑を求刑した。

 検察は論告に先立ち、被害者夫妻の孫にあたる男性の意見書を読み上げた。事件後、夫妻の娘である母親が亡くなるまで悲嘆にくれて生活することを余儀なくされ、今日でもSNSに母親を誹謗中傷するような書き込みがされるなど遺族の苦しみは続いている、と訴える内容だったという。

(下)につづく

【袴田事件の再審決定後の動き】は以下を参照(編集部)
〈袴田事件・再審〉「5点の衣類」の血痕のDNA鑑定をめぐり攻防/「袴田さんの型と一致せず」との結果に評価は対立/第13、14回公判
〈袴田事件・再審〉法医学者ら5人を証人尋問、「5点の衣類」の血痕の色合いめぐり異なる見解/第10~12回公判
〈袴田事件・再審〉静岡地裁の傍聴者への規制は「過剰で不必要」/袴田巖さんの弁護団が中止を申入れ

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2024年05月30日公開)


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